風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

アジアの声・おまけ

2014-01-07 23:53:54 | 日々の生活
 前々回、中・韓・ロシアとの浅からぬ因縁と言いました。百数十年来、東アジアの対立の構図は変わらないことに慄然とさせられます。
 歴史を紐解けば・・・アヘン戦争以来、欧米による中国への植民地支配が強まったことに危機感を強めた日本は、明治維新という無血革命を成し遂げ、中央集権国家としてまとまり、富国強兵に邁進します。そして、日本列島のど真ん中を刃のように突き刺さり、日本へ侵略する際に通り道となる、朝鮮半島の安全確保に、頭を悩ませます。仮想敵国は、言わずと知れた超大国・ロシアです。そこで、中国の属国だった朝鮮を独立させ、朝鮮半島を一種の緩衝地帯にしようと画策しますが、日本の支援を受けた独立派の野望を挫いた朝鮮は、二大国である中国とロシアとの間をのらりくらりと行き交うばかりで、あの福沢諭吉さんでさえ見限るほど、頼りになりません。このあたり、現代の二大国である中国と米国の間で二股外交を続ける韓国を彷彿とさせます。今も昔も、所謂事大主義ですね。しかしそうは言っても今の韓国の方が、如何に経済的に中国に依存しようと、まがりなりにも独立国であって、まだマシでしょう。結果として、当時、朝鮮半島の解放と独立を巡って、日本は、中国とロシアと、二度にわたって正面衝突し、決死の覚悟で二度の戦争を戦うハメになったのですから。そして、今となっては余計な事だったとつくづく思いますが、当時の文脈ではやむを得なかったのでしょう、日本自らが朝鮮半島経営を引き受け、緩衝地帯を更に満州へと広げる内に、海洋国・日本はいつしか大陸経営という不慣れな森に彷徨って・・・。
 領土紛争を抱え、政権の正統性をかつての抗日の歴史に見出し、現在も愛国と裏腹の反日を政権の求心力として利用する中国や韓国とは、いまなお戦争状態が終わらないかのような錯覚に陥ります。少なくとも先の大戦をどう評価するのかという歴史認識の問題ではバトルが続いています。しかし、中国と日本は戦争状態にあったわけではありませんし、韓国が先の戦争の被害者だったというのも大いに疑問です。しかも、韓国(そして台湾)に対しては、欧米的な植民地支配か内地の延長かといった議論の末に、当時の国家財政の十数%とも20%とも言われる投資によって、学校や病院をはじめ、港湾、鉄道などのインフラを整備し、欧米は見捨てて見向きもしなかった朝鮮半島の近代化の礎を、日本が築いたのでした。勿論、きれいごとばかりではなく、控えめに見れば功罪相半ばしたことでしょう。しかし台湾は「功」に感謝しますが、韓国は「罪」しか見ようとしません。更には、戦後、日本のもとでかつて働いた韓国人官憲や教師などの公務員を永遠に追放するという(その成れの果てが慰安婦像で活躍する在米韓国人と言われます)、恩を仇で返す国柄です。
 そもそも当時、中国は統一国家としての実体がありませんでした。如何に今の中国が、北支事変あるいは支那事変を日中戦争と読み替えさせ、さも日本に対して宣戦布告したかのように、また日本の敗戦によって勝利したかのように装っても、日本は大陸の各地で起こる事変に対処していただけのことであって、国としての実体がなかった中国と、国対国の戦争にはなりようがありませんでしたし、戦って負けたという意識もありませんでした。むしろ個々の戦闘にはことごとく勝利していたくらいです。その間、中国共産党は何をしていたかと言うと、各地の国民党との闘争に敗れ、長征という名の逃亡の果ての崩壊寸前に、敵の目を日本に向けさせ、国共合作を隠れ蓑に、辛うじて自らを温存することで生き延びたのであって、そこから攻勢に転ずると言うより、蒋介石の国民党軍と日本軍を戦わせ、双方を疲弊させて、まんまと漁夫の利を得た、というのが抗日と建国神話の実態です。戦後、日本社会党の使節団が訪中して先の戦争を詫びたのに対し、毛沢東主席が、いやいや中国共産党が政権を獲ることが出来たのは日本軍のお陰だと、むしろ礼を述べたのは、その意味です。韓国に至っては、中国大陸でともに戦っていたのであり、被害者と自己規定するのは無理があります。こうした中国大陸を巡る泥沼の争いの背後に、中国さらには日本の赤化を目論む、革命後のソ連が暗躍していました。
 今、中国が語る歴史はプロパガンダであり、韓国が語る歴史はファンタジーだと揶揄されますが、それぞれ国内を酔わせる分には勝手ですが、歴史認識問題などと言って、当の日本を巻き込まないで欲しい。
 安全保障の文脈で日本が海洋国家を名乗るのはおこがましいのかも知れません。しかし、安全保障の文脈では、やはり海洋国家として、アメリカやオーストラリアやインドや海洋アジア(東南アジア・島嶼部)と連携するのが、自然のように思います。だからと言って、中・韓・ロシアと反目していいとは言いません。どうも国情は違う。かと言って、厭でも、引っ越すことは出来ない。そんな隣人として、中国や韓国が国家・社会として成熟するまで、粘り強く付き合って行くしかありません。だいたいインドネシアとマレーシア、マレーシアとシンガポール、ベトナムと中国、等々、仲が良くない隣人同士の例は枚挙に暇がないではありませんか。そのためには、経済をはじめとして、日本は強くあらねばならない。アメリカの国力が相対的に弱くなるのを補いつつ、あくまで平和国家として、奥床しくも隠然たるアジアの要となり、科学技術と文化の両面で先端を行く、凛とした存在でありたいものです。
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遠藤浩一氏の死を悼む

2014-01-07 01:44:57 | 日々の生活
 突然の訃報に接し、ただただ驚いています。
 長い正月休みの徒然に、実は、前回ブログの続編(オマケ)を殆ど書き終えていたのですが、急遽、追悼メッセージを差し込みます。
 故・遠藤浩一氏は、拓殖大学大学院地方政治行政研究科教授で、近代日本政治史を専門とされていました。同大学日本文化研究所所長も務めておられた関係で、氏の講演をよく聴く機会があり、保守派の若手論客として期待されてきた通り、私も、バランス感覚に優れた穏健な、しかし文章は歴史的仮名遣で記述されると言われるほどに真性の、保守思想には、明晰な論理と巧みな弁舌も相俟って、敬服し、興味深く拝聴してきました。とりわけものごとを批判するときにこそ丁寧に言葉を選ぶ真摯さには、氏の人柄が表われ、的確であること比類ないものでしたし、話が脱線するときに垣間見させるクラシック音楽や演劇への造詣の深さは、氏の論説が情感の豊かさに裏打ちされているのを納得させるに十分で、すーっと心に沁みとおるほどの細やかさを備えたものでした。
 折しも、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が4、5両日に実施した合同世論調査で、「安倍政権が目指す憲法改正論議や安倍首相の靖国神社参拝などへの賛成・支持が20~30代に広がり、『安倍カラー』と呼ばれる保守的な課題が若者世代に受け入れられている実態が明らかになった」と言います。靖国神社参拝について、「評価しない」回答(53.0%)は「評価する」回答(38.1%)を15%ポイント近く上回りましたが、年齢別に見ていくと、20代では「評価する」(43.2%)が「評価しない」(41.6%)を若干上回り、30代では「評価する」(50.6%)が「評価しない」(41.4%)を10%ポイント近く上回ったそうです。特に30代の男性に限定すると「評価する」は64.3%に達したと言います。
 こうした若い世代の、親の世代や私の世代とも異なり、過去に囚われることなく現状を虚心に見る保守的な心情には、これからの日本の新たな胎動を感じさせ、氏には理論的支柱として益々活躍が期待されたところでした。つい年末にも氏の話を伺う機会があり、相も変わらぬ朴訥とした、しかし力強い言説を思い出すにつけ、年齢も近いことから、亡くなられたことが、俄かに信じられませんし、私としても氏とのいわば思想的な対話はこれからだっただけに、その早過ぎる突然の死が惜しまれます。そんな喪失感を、今となっては遺言となってしまった言葉の数々で埋め合わせることが出来ることに辛うじて感謝し、ご冥福をお祈りしつつ。合掌。
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