風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

署名本

2016-11-01 22:49:54 | 日々の生活
 都心の、ある古書店は、古ぼけた佇まいそのままに、無造作に有名作家の署名本を多く並べていて、私も時折り立ち寄ってはしげしげと眺めることがある。印刷された画集ではなく、美術館でホンモノの絵の、そのリアルな大きさとともに、微妙な色合いや塗り重ねられた絵の具の生々しい立体感を眺めていると、時空を超えて画家の息遣いが伝わって来るようで、ちょっとした緊張感を覚えて堪らないものだが、単なる印刷物に過ぎない書籍も、直筆の署名があることによって作家の作品であることを自己主張しているようで、作家を前にしたようなある種の重々しい空気が流れるような緊張感を覚えるのである(ただの気のせいだが)。永井荷風や三島由紀夫といった私の好きな有名作家の署名本ともなると、最低3万円(場合によっては10万円)もして、そこまでの好事家ではない私は、個性的な筆致に見入っては、ささやかに目を楽しませ、溜息をつくのである。
 古書店では斯様に値がつく署名本も、リサイクルショップのブックオフでは、署名があろうものなら汚れと見なされかねず、どうも価値は認められていないようだ(そもそも事務的に値付けをしているので、気が付かないし、気にもしないのだろう)。以前、谷内正太郎さんや一橋大・石倉教授の署名を見かけたことがあるが、値付けは変わらなかった(まあ官・学の世界の人だから当然だろう)。ところがある時、署名本とは違うが、たまたま手にしたフランスの詩人ピエール・ルヴェルディの詩集に、唐木順三さんが編集者から贈られた書籍のことをしたためた礼状が挟まれているのを見つけて、その一枚の葉書のために、その本ごと衝動買いしたことがある(300円くらい)。また、昔懐かしい佐伯彰一さんの本を買ったら(250円)、署名とともに知人と思しき宛名が添えられていて、後で調べたら同時期に東大教員だった方と判明して、その本の数奇な運命に思いを馳せたものだ。その程度に、私は酔狂である。が、繰り返すが、柳澤協二さんの本に署名があったからと言って買ったわけではない。
 つい先日、立ち寄ったブックオフで、池田満寿夫さんの「私のピカソ 私のゴッホ」(単行本)を見つけて、懐かしくなってつい手に取ってみた。その昔、クイズ番組に出て来る変わり者の彫刻家程度にしか見ていなかったが、学生時代に「模倣と創造」を読んで以来、見る目が変わり、絵画に対する私の好みも変わって(つまり日本人好みの印象派から離れて行って)、その後、古書店で見つけた芥川賞受賞作「エーゲ海に捧ぐ」の初版本を買うほどには、気になる(お気に入りの)存在となっていた。さてその「私のピカソ 私のゴッホ」は、古臭さを全く感じさせない、新古車ならぬ新古本で、それにもかかわらず1983年の初版であることに気が付き、意外に思って、さらにパラパラめくっているうちに、中表紙にパラフィン紙が挟んであることにも気が付いて、反対頁に落款の印と署名を見つけた。当時の定価2000円はそれほど安い値段ではないが、今、いくら美品とは言え1260円とは安くない(最近のブックオフは美品の値段を上げている)。しかし、署名本なら高くはない・・・かな。ささやかなコレクションがまた一冊・・・これじゃあ荷物が増えるわけである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする