ドイツ政府が、中国国有の投資ファンドによるドイツ半導体企業(アイクストロン)の買収に対する認可を取り消したと報じられた。アメリカの諜報機関がドイツ政府に対し、この売却で中国は軍事転用可能な技術を手に入れることになると警告したからだという(Newsweek日本版)。2020年までにイノベーション型国家への転換を目指す中国は、昨秋、米中の投資協定が不調に終わって、中国マネーは欧州、とりわけ技術大国ドイツに向かい、そこでも警戒感が広がると、次には日本に向かいかねない。
前回ブログで「模倣と創造」(池田満寿夫著)に触れた。本の詳細は忘れてしまったが、「オリジナル」の意味を突き詰め「模倣」に積極的な価値を認めたもので、芸術家目線に新鮮な感動を覚えるとともに、俗なところで「模倣」に対して抱いていた否定的なイメージが払拭されてほっとしたのを覚えている。それは戦後の日本が工業生産の上で「ものまね」から出発し、やがて欧米先進国に追いつき追い越すまでに至りながら、彼らのやっかみからか自虐的にへりくだってか、日本の生い立ちに「ものまね」イメージが付きまとい、どこか後ろめたさを感じていたことと関係するのだろう。ルーブル美術館に行けば、「模倣」に精を出す画家の卵を見かけるように、「模倣」はその道を歩むごく自然なステップなのだろう。長じるにつれ、工芸の世界ではマイセンに柿右衛門様式があったことを知り、また日本人好みのゴッホやモネの絵に浮世絵が描かれるなど、芸術の世界にジャポニスム(日本趣味)があったことを知った。そして日本の「ものまね」イメージを完全に払拭し去ったのは、自らの努力もさることながら、中国という新たなコピー大国の登場だった。
問題は「模倣」そのものではなく、誰もが「模倣」から始めるにしても、そこで得た技術や技法をもとに、単なる「模倣」を脱して「創造」へと向かう持続的・自律的な軌道を描けるかどうかにあるのだろう。日本も、リバース・エンジニアリングを駆使して、技術の習得(コピー)に努めた時期があったが、やがて自分のものにした上で自分のスタイルを築くに至った。それは機能性を超える意匠と経済性を超える品質の追求である。中国でも、華為や中興といった一部のIT企業の中には特許出願数で世界トップクラスに位置するなど技術革新を進めている。しかし中国全般の印象として、偏見を恐れずに言えば、そもそも経済価値を超えるプレミアムなもの、所謂ブランド価値には理解も興味もなさそうなこと、そして地道な技術革新をコツコツ続けるほど我慢強くなさそうなこと、そのため意匠や新技術はカネで買うか盗んだ方が早いと考えそうなこと、を感じてしまうのである。えらい大雑把な偏見であるが、そこには「創造」への契機がない。
そこに、中国の“国家”資本主義の問題が覆いかぶさる。華為はバックドアの疑いでアメリカの官公庁ビジネスから排除されているし、中興もイランへの違法輸出のためアメリカから制裁されかかっている(とりあえず制裁停止措置が継続中)。冒頭のドイツ企業買収も同様で、中国企業による他国の企業買収には、企業の陰に国家が隠れていることが疑われるため、純粋なビジネスにとどまらず安全保障問題が付きまとうのである。そのときカネに糸目は付けない。
困った隣人である。日本の産業基盤をなす中小企業は守らなければならない。
前回ブログで「模倣と創造」(池田満寿夫著)に触れた。本の詳細は忘れてしまったが、「オリジナル」の意味を突き詰め「模倣」に積極的な価値を認めたもので、芸術家目線に新鮮な感動を覚えるとともに、俗なところで「模倣」に対して抱いていた否定的なイメージが払拭されてほっとしたのを覚えている。それは戦後の日本が工業生産の上で「ものまね」から出発し、やがて欧米先進国に追いつき追い越すまでに至りながら、彼らのやっかみからか自虐的にへりくだってか、日本の生い立ちに「ものまね」イメージが付きまとい、どこか後ろめたさを感じていたことと関係するのだろう。ルーブル美術館に行けば、「模倣」に精を出す画家の卵を見かけるように、「模倣」はその道を歩むごく自然なステップなのだろう。長じるにつれ、工芸の世界ではマイセンに柿右衛門様式があったことを知り、また日本人好みのゴッホやモネの絵に浮世絵が描かれるなど、芸術の世界にジャポニスム(日本趣味)があったことを知った。そして日本の「ものまね」イメージを完全に払拭し去ったのは、自らの努力もさることながら、中国という新たなコピー大国の登場だった。
問題は「模倣」そのものではなく、誰もが「模倣」から始めるにしても、そこで得た技術や技法をもとに、単なる「模倣」を脱して「創造」へと向かう持続的・自律的な軌道を描けるかどうかにあるのだろう。日本も、リバース・エンジニアリングを駆使して、技術の習得(コピー)に努めた時期があったが、やがて自分のものにした上で自分のスタイルを築くに至った。それは機能性を超える意匠と経済性を超える品質の追求である。中国でも、華為や中興といった一部のIT企業の中には特許出願数で世界トップクラスに位置するなど技術革新を進めている。しかし中国全般の印象として、偏見を恐れずに言えば、そもそも経済価値を超えるプレミアムなもの、所謂ブランド価値には理解も興味もなさそうなこと、そして地道な技術革新をコツコツ続けるほど我慢強くなさそうなこと、そのため意匠や新技術はカネで買うか盗んだ方が早いと考えそうなこと、を感じてしまうのである。えらい大雑把な偏見であるが、そこには「創造」への契機がない。
そこに、中国の“国家”資本主義の問題が覆いかぶさる。華為はバックドアの疑いでアメリカの官公庁ビジネスから排除されているし、中興もイランへの違法輸出のためアメリカから制裁されかかっている(とりあえず制裁停止措置が継続中)。冒頭のドイツ企業買収も同様で、中国企業による他国の企業買収には、企業の陰に国家が隠れていることが疑われるため、純粋なビジネスにとどまらず安全保障問題が付きまとうのである。そのときカネに糸目は付けない。
困った隣人である。日本の産業基盤をなす中小企業は守らなければならない。