韓国・釜山の日本総領事館前の通りに慰安婦像が設置されたのをウィーン条約違反として日本国政府が毅然とした対抗措置(4項目)をとったことが、韓国で波紋を広げているようだ。
伝えられるところによれば、韓国政府は「(日本は)ここまでやるのか」と驚きを持って受け止めたという。過去、日本が韓国に対して如何に宥和的だったかの証左だろう(あるいは韓国は日本に甘えてきた、あるいは舐めてきたとすら言うべきかも知れない)。それはともかく、ほぼ一年前に日韓合意に至りながら、ソウル大使館前の慰安婦像については「適切に解決されるよう努力する」という韓国政府の努力義務に過ぎないのをいいことに、「民間が行っていることで、あれこれ言えない」と世論に気兼ねしてずるずる腰が引けたままの韓国政府の対応への苛立ちが、根底にあることだろう。釜山総領事館前でも、韓国政府は「自治体が判断する問題」だとして、驚くべきことに問題解決を丸投げしたという。アメリカの顔を立てるためとは言え、妥結に至ったその日韓合意で、日本が一方的に妥協したのではないかと日本の保守派から批判されかねないリスクを背負う覚悟を、保守派を代表する政治家としての安倍首相が示した以上(そのために合意を担保する仕掛けとして「国際公約」に仕立てたと言うべきだろうが)、韓国にも同様の覚悟を見せて欲しいところだろう。
こうして、慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に解決する」ため、日本国民の血税である10億円を既に拠出して履行を果たしている「国際公約」を反故にするような事態を平然と見過ごす韓国政府とは、一体何だろう(まあ、ある程度予測はついたことだけど)。タイトルに言う「クスリ」はもとより「ない」のであって、天を仰ぎたくなるような絶望感である(まあ、いつものことだけど)。
韓国は、歴史的な事実ではなく、国民感情や民意といった極めて情緒的な理由で行動することがあると、ある韓国研究者は解説する。その民意について、以下のように述べておられる。
(前略…)ことの真偽ではなく、「独島(竹島の韓国名)はわが領土」「慰安婦は日本の蛮行」とする思い込みが、行動の原点となって(…中略…)そこに、大衆に迎合的な言論界が積極的に歴史問題を報道し、「市民団体」と称する一団が国内外でパフォーマンスを繰り返すと、幼稚園児から老人までが歌い踊って、「独島はわが領土」と叫ぶ(…中略…)韓国ではこの種の動きが民意となる(…後略、下條正男・拓殖大教授)
韓国側にどんな理があるか知らないが、客観的には、過去30年にわたる韓国の民主化はまだ成熟していないと言えばそうだと言えるし、そもそも韓国の民主化自体が、東アジア固有の儒教思想や華夷秩序の意識に歪められて正常な発展を阻害されていると言えばそうだと言えるし、韓国憲法前文にあるように、歴史問題を国家建設の基礎とするような、“恨”を抱えた(ある意味で卑屈な)国にあって、日韓を巡る国民感情の激烈さは、民族的な宿痾と言えばそうだと言える。なんだか取りつく島のない話で(苦笑)、だから韓国につけるクスリは「ない」と言い切るわけだが、民族的な宿痾は、外的な刺激は与え続けるにしても、自ら治癒して頂くほかはない。ただ手を拱いてもいられない。以下は蛇足ながら・・・
行動基準として、欧米的な価値観に裏打ちされた法と正義を基とする日本国の信義を国際社会に示し続けることだろう。これは簡単なようでそれほど簡単なことではない。欧米以外では、直ぐ近くに中国やロシアという、欧米とは必ずしも相容れない価値観に基づいて行動することもある大国がいて、それ以外の地域には、その対立軸を遠巻きにする(韓国をはじめとする)中小国が、固唾を呑んで成り行きを見守り、自らの立ち位置の距離感を測ろうとしている。法と正義という価値観で一貫する立場からは、たとえロシアであっても北方領土で譲歩することがあってはならない(さもないと尖閣諸島や竹島での争いにも影響してしまう)。今の経済的繁栄など夢のまた夢としか思えなかったであろう、敗戦の灰の中から、(国連のような組織が頼りにならない場合には自ら立つことも辞さずして)「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と、壮大な理想を掲げて日本国憲法前文を起草した、言わば(第三の)創業当時の人々の思いを忘れてはならないだろう。
伝えられるところによれば、韓国政府は「(日本は)ここまでやるのか」と驚きを持って受け止めたという。過去、日本が韓国に対して如何に宥和的だったかの証左だろう(あるいは韓国は日本に甘えてきた、あるいは舐めてきたとすら言うべきかも知れない)。それはともかく、ほぼ一年前に日韓合意に至りながら、ソウル大使館前の慰安婦像については「適切に解決されるよう努力する」という韓国政府の努力義務に過ぎないのをいいことに、「民間が行っていることで、あれこれ言えない」と世論に気兼ねしてずるずる腰が引けたままの韓国政府の対応への苛立ちが、根底にあることだろう。釜山総領事館前でも、韓国政府は「自治体が判断する問題」だとして、驚くべきことに問題解決を丸投げしたという。アメリカの顔を立てるためとは言え、妥結に至ったその日韓合意で、日本が一方的に妥協したのではないかと日本の保守派から批判されかねないリスクを背負う覚悟を、保守派を代表する政治家としての安倍首相が示した以上(そのために合意を担保する仕掛けとして「国際公約」に仕立てたと言うべきだろうが)、韓国にも同様の覚悟を見せて欲しいところだろう。
こうして、慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に解決する」ため、日本国民の血税である10億円を既に拠出して履行を果たしている「国際公約」を反故にするような事態を平然と見過ごす韓国政府とは、一体何だろう(まあ、ある程度予測はついたことだけど)。タイトルに言う「クスリ」はもとより「ない」のであって、天を仰ぎたくなるような絶望感である(まあ、いつものことだけど)。
韓国は、歴史的な事実ではなく、国民感情や民意といった極めて情緒的な理由で行動することがあると、ある韓国研究者は解説する。その民意について、以下のように述べておられる。
(前略…)ことの真偽ではなく、「独島(竹島の韓国名)はわが領土」「慰安婦は日本の蛮行」とする思い込みが、行動の原点となって(…中略…)そこに、大衆に迎合的な言論界が積極的に歴史問題を報道し、「市民団体」と称する一団が国内外でパフォーマンスを繰り返すと、幼稚園児から老人までが歌い踊って、「独島はわが領土」と叫ぶ(…中略…)韓国ではこの種の動きが民意となる(…後略、下條正男・拓殖大教授)
韓国側にどんな理があるか知らないが、客観的には、過去30年にわたる韓国の民主化はまだ成熟していないと言えばそうだと言えるし、そもそも韓国の民主化自体が、東アジア固有の儒教思想や華夷秩序の意識に歪められて正常な発展を阻害されていると言えばそうだと言えるし、韓国憲法前文にあるように、歴史問題を国家建設の基礎とするような、“恨”を抱えた(ある意味で卑屈な)国にあって、日韓を巡る国民感情の激烈さは、民族的な宿痾と言えばそうだと言える。なんだか取りつく島のない話で(苦笑)、だから韓国につけるクスリは「ない」と言い切るわけだが、民族的な宿痾は、外的な刺激は与え続けるにしても、自ら治癒して頂くほかはない。ただ手を拱いてもいられない。以下は蛇足ながら・・・
行動基準として、欧米的な価値観に裏打ちされた法と正義を基とする日本国の信義を国際社会に示し続けることだろう。これは簡単なようでそれほど簡単なことではない。欧米以外では、直ぐ近くに中国やロシアという、欧米とは必ずしも相容れない価値観に基づいて行動することもある大国がいて、それ以外の地域には、その対立軸を遠巻きにする(韓国をはじめとする)中小国が、固唾を呑んで成り行きを見守り、自らの立ち位置の距離感を測ろうとしている。法と正義という価値観で一貫する立場からは、たとえロシアであっても北方領土で譲歩することがあってはならない(さもないと尖閣諸島や竹島での争いにも影響してしまう)。今の経済的繁栄など夢のまた夢としか思えなかったであろう、敗戦の灰の中から、(国連のような組織が頼りにならない場合には自ら立つことも辞さずして)「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と、壮大な理想を掲げて日本国憲法前文を起草した、言わば(第三の)創業当時の人々の思いを忘れてはならないだろう。