アパ・グループのアパ・ホテル客室に「南京大虐殺」や「慰安婦の強制連行」を否定した書籍が備えられていることに対し、中国外務省・報道官が異例の批判を行ったと、産経Webが報じていて、さすがに驚いた。アパ・ホテルには泊まったことがないので、そんなものを置いていたのかと、へええ、であるし(西洋のホテルには聖書が置いてあるので、そのヒソミに倣ったか)、異国の、たかが(などと言っては失礼だが、ビジネスの成功とは別次元の話として進める)一民間企業のやることにイチャモンをつける中国共産党は、大人(たいじん)の風格や器量なるものはそもそも期待していないが、いくらこの秋に共産党大会を控え、権力闘争の真っ只中にあるとは言え、とうとう窮状極まったかと、却って心配になるほどだ。一応、それぞれの言い分を並べてみるが(産経Webとアパ・グループHPから)、どちらに理があるとかいう問題ではなく、とにかく異様と言うほかない。
■中国外務省・報道官・・・「日本国内の一部勢力は歴史を正視しようとしない。正しい歴史観を国民に教育し、実際の行動でアジアの隣国の信頼を得るよう促す」、「強制連行された慰安婦と南京大虐殺は、国際社会が認める歴史的事実であり、確実な証拠が多くある」
■アパ・グループ・・・「本書籍は特定の国や国民を批判することを目的としたものではなく、あくまで事実に基づいて本当の歴史を知ることを目的としたもの」、「したがって、異なる立場の方から批判されたことを以って、本書籍を客室から撤去することは考えておりません」、「日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならないと考えます」
更にアパ・グループのHPニュース・リリースはこう続ける。「なお、末尾に本書籍P6に記載しています、南京大虐殺に関する見解を掲載いたしますので、事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたいと考えています」。見事である。中国外務省の報道官が言う「確実な証拠」とやらを是非見せて頂きたいものである。
と、そうこうしている内に、かつての忌まわしき歴史教科書問題を思い出してしまった。私の心に焼き付いているのはWikipediaで「第一次」と呼んでいるもので、各日刊紙の1982年6月26日付朝刊が、日本国内の教科用図書検定において、昭和時代前期の日本の記述について「日本軍が『華北に“侵略”』とあったのが、文部省(現・文科省)の検定で『華北へ“進出”』という表現に書き改めさせられた」と報道されたことに端を発し、日中間の外交問題に発展したものだ(このあたりはWikipediaから引用)。なんで他人様の教育(しかも歴史教育という国のありように係る大事な)内容に口を挟むかと驚いただけでなく、後日、今はなき保守系オピニオン誌「諸君!」に掲載された渡部昇一氏の論文で、書き換えた事実はない、つまり単に各紙の「誤報」だったことが分かって、二度驚いたのだった。当時、我が家では朝日新聞を購読していて(その頃、多くの家庭では、朝日新聞とNHKと岩波書店は三種の神器だったと思う 笑)、私の中で中曽根元総理は青年将校の軍服姿のイメージが出来上がってしまって、いまだに困っている(苦笑)。
これに関してついでに言いたくもないことだが、教科用図書検定基準の中に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という、忌まわしき「近隣諸国条項」の追加が宮澤官房長官談話と連動して行われたのだった。
アパということで、近現代史研究支援 アパ日本再興財団主催「真の近現代史観」懸賞論文についても思い出してしまった。晴れの第一回懸賞論文・最優秀藤誠志賞に選ばれたのは、言わずと知れた、航空幕僚長・空将(当時)の田母神俊雄氏である(因みに藤誠志とは、アパ・グループ代表・元谷外志雄氏のペンネーム)。私は、残念ながら当時シドニー駐在で、ネットで状況を追いかけていたのだが、もう少し世の中の空気を肌で感じてみたかったと思う(と、野次馬根性丸出し)。中国が所謂「韜光養晦」をかなぐり捨てて、あからさまに覇権を振りかざすようになったのは、2008年のリーマンショック後、大胆な景気対策によって世界に先駆けてV字回復を果たし、世界経済を下支えしたと自信過剰になった2009年以降と言われる。今、田母神氏騒動があったら大変だったろうと、野次馬根性丸出しの私としては、見てみたい気がする。
こうしてみると、アパのこだわりには、脱帽、である。
■中国外務省・報道官・・・「日本国内の一部勢力は歴史を正視しようとしない。正しい歴史観を国民に教育し、実際の行動でアジアの隣国の信頼を得るよう促す」、「強制連行された慰安婦と南京大虐殺は、国際社会が認める歴史的事実であり、確実な証拠が多くある」
■アパ・グループ・・・「本書籍は特定の国や国民を批判することを目的としたものではなく、あくまで事実に基づいて本当の歴史を知ることを目的としたもの」、「したがって、異なる立場の方から批判されたことを以って、本書籍を客室から撤去することは考えておりません」、「日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならないと考えます」
更にアパ・グループのHPニュース・リリースはこう続ける。「なお、末尾に本書籍P6に記載しています、南京大虐殺に関する見解を掲載いたしますので、事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたいと考えています」。見事である。中国外務省の報道官が言う「確実な証拠」とやらを是非見せて頂きたいものである。
と、そうこうしている内に、かつての忌まわしき歴史教科書問題を思い出してしまった。私の心に焼き付いているのはWikipediaで「第一次」と呼んでいるもので、各日刊紙の1982年6月26日付朝刊が、日本国内の教科用図書検定において、昭和時代前期の日本の記述について「日本軍が『華北に“侵略”』とあったのが、文部省(現・文科省)の検定で『華北へ“進出”』という表現に書き改めさせられた」と報道されたことに端を発し、日中間の外交問題に発展したものだ(このあたりはWikipediaから引用)。なんで他人様の教育(しかも歴史教育という国のありように係る大事な)内容に口を挟むかと驚いただけでなく、後日、今はなき保守系オピニオン誌「諸君!」に掲載された渡部昇一氏の論文で、書き換えた事実はない、つまり単に各紙の「誤報」だったことが分かって、二度驚いたのだった。当時、我が家では朝日新聞を購読していて(その頃、多くの家庭では、朝日新聞とNHKと岩波書店は三種の神器だったと思う 笑)、私の中で中曽根元総理は青年将校の軍服姿のイメージが出来上がってしまって、いまだに困っている(苦笑)。
これに関してついでに言いたくもないことだが、教科用図書検定基準の中に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という、忌まわしき「近隣諸国条項」の追加が宮澤官房長官談話と連動して行われたのだった。
アパということで、近現代史研究支援 アパ日本再興財団主催「真の近現代史観」懸賞論文についても思い出してしまった。晴れの第一回懸賞論文・最優秀藤誠志賞に選ばれたのは、言わずと知れた、航空幕僚長・空将(当時)の田母神俊雄氏である(因みに藤誠志とは、アパ・グループ代表・元谷外志雄氏のペンネーム)。私は、残念ながら当時シドニー駐在で、ネットで状況を追いかけていたのだが、もう少し世の中の空気を肌で感じてみたかったと思う(と、野次馬根性丸出し)。中国が所謂「韜光養晦」をかなぐり捨てて、あからさまに覇権を振りかざすようになったのは、2008年のリーマンショック後、大胆な景気対策によって世界に先駆けてV字回復を果たし、世界経済を下支えしたと自信過剰になった2009年以降と言われる。今、田母神氏騒動があったら大変だったろうと、野次馬根性丸出しの私としては、見てみたい気がする。
こうしてみると、アパのこだわりには、脱帽、である。