風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

青梅への道 三たび(4)

2017-04-17 23:16:37 | スポーツ・芸能好き
 青梅マラソンへの道と題しているが、1シーズンに1回くらいはフル・マラソンを走りたくて、長野マラソンにエントリーしていたので、その番外編、長野マラソン編である。
 長野マラソンは、何故4月半ば(今年は4月16日)に行われるのか、行ってみて分かった。東京より一週間から二週間の遅れで、桜が満開なのである。しかも、オリンピックで使用された施設が残り、1万人が参加する大会でも、男女別々の着替えのために収容できるスタジアムや体育館をスタート地点とゴール地点のそれぞれに用意できるくらい恵まれていて、ロジスティクスは実によくオーガナイズされ、全てがスムーズに流れるのだ・・・と、感心している場合ではない。今回は、不覚にも41.1キロ地点の最後の関門に引っ掛かり、フィニッシュ出来なかった。完走メダルも、記念タオルも貰えずじまいで、落ち込んでいる。
 言い訳はいくらでも思いつく。先ず、この地方にしては珍しく気温が高かった。宿泊した温泉宿屋の女将も、異常だと言うくらい、予想最高気温24度(最低気温7度)、私が40キロ手前をよたよた走っていた13時の気温22.3度(長野気象台発表)は、お世辞にもマラソン日和ではない。なかなかスピードが出ないし、10数箇所の給水所のたびに立ち止まり、スポーツ・ドリンクを口に含み、顔や首や手に水をかけるだけでも、時間のロスになる。それから、今回はマメ対策で、1サイズ小さくて、靴ベラがないと履けないくらいぴっちりした靴にしたのだが、これまでとは違う箇所に・・・小指や薬指の爪の周りがマメで膨れてしまって、右足の方は破裂して、またしても痛くて力が入らなくなってしまった。さらに練習不足である。
 思えば今シーズンは、12月の湘南国際マラソンを(ある資格試験の二次試験と重なったために)欠場して、勢いを削がれてしまった。2月の青梅マラソンまでの一ヶ月間に84キロ、この長野までの一ヶ月半の間に125キロの走り込みをやるにはやったが、せいぜいジョギング・ペース(1キロ6分)の身体を作る程度で、毎年、同じ量かやや劣る量の練習しかしないとすれば、加齢とともにキツくなるのは道理だ。甘かったと言わざるを得ない。甘いと言えば、5時間の制限時間のことは気になっていたものの、それぞれの関門の正確な足切りの時間を把握していなかったのも甘かった。40キロ地点で、残り1.1キロ、6分半という掛け声に、我に返って、痛みをこらえて俄かにダッシュしたのだが、時すでに遅く、100メートルほど手前で締め切られてしまった。仮にそのまま完走していたとしても、5時間を切れないペースは、日米通算13回目のフル・マラソンにして初めてで、それだけでもショックなのに、追い討ちをかけるように「記録なし」で、叩きのめされて暫く立ち直れそうにない(とは、ちょっと大袈裟)。なお、決して慰めにならないのだが、この日の男子の出走者8,159名中、完走したのは6,435名(完走率78.9%)、女子の出走者1,504名中、完走者1,089名(完走率72.4%)で、9,700人弱の内、2,100人が完走できなかったのは、ちょっと尋常ではない。
 町興しのためだろう、ゼッケン受け取りは前の晩のみ(当日受付なし)で、遠方からのランナーは前泊する必要があり、この週末、市内の宿屋は大はやりだった。私とかつての同僚が宿泊した隣町の鄙びた温泉宿屋の女将は気さくな方で、帰りに寄っていらっしゃいと言ってくれて、マラソン後の疲れた身体を温泉で癒させてもらった。信州蕎麦も食して、ちょっとした旅行気分で、その限りでは満足だったのだが、帰りの高速では渋滞につかまり、家に辿り着いたのは昨晩11時過ぎ・・・東京から長野はちょっと遠い。そして、何より、来シーズンは、覚悟を決めてもっと練習するか、それともフル・マラソンはもう諦めるか、ちょっとした岐路に立たされているような感じで、いつもにもまして寄る年波という現実を突き付けられて気分が滅入る春の夜である・・・
コメント
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