韓国の日本に対する仕打ちは(と敢えて過激な言葉を使う)思い出すだに精神衛生上よろしくないのだが(苦笑)、今回は日本側の対応とりわけメディアの心掛けがよろしくないことをぼやこうと思って書き始めたら、相変わらずだらだら長くなってしまった。
北朝鮮を巡って韓国の保守派は「北が変わらないのは韓国がしょっちゅう変わるからだ」とよく皮肉を言うらしい(産経のソウル駐在客員論説委員・黒田勝弘氏による)。「北は内部的に危機になると決まって韓国との対話を言い出す。すると韓国は対北強硬姿勢を変えて支援や協力に転じ、結果的に北の変化の芽を摘んできた」(同)ということらしい。それって、韓国と日本との間の関係もそうじゃないか・・・と思わず溜息が漏れてしまった。韓国が変わらないのは日本がしょっちゅう譲歩してきたからだ。
2年前の慰安婦問題を巡る日韓合意は、安倍首相にとっては随分思い切った譲歩で、国内の保守派からは不満が漏れ、批判に晒されもした。なにしろその前年に朝日新聞も誤報と認めた(しかし人権問題という現代的意味合いは変わらないなどと居直ったのはまるで韓国の歴史認識の構造と同じ)吉田証言という、今なお歴史的事実とは確認されていない虚構から始まり、日韓両国間の請求権については1965年の日韓基本条約で「完全かつ最終的な解決」が図られていたにも関わらず、韓国の市民団体が虚に吠えたことを、韓国メディアがさんざん煽るのをよいことに、韓国政府が外交カード化して、ゴネ続けたため、安倍首相が妥協したものだ。その意味では安倍首相も当時の朴槿恵大統領もお互いにリスクをとった政治決着だったことは間違いない。
こうして見ると、韓国という国は、「歴史的事実」を当時の文脈で読み取るという謙虚な姿勢はまるで持ち合わせず、現代的な意味合いを認めては平気で脚色して「歴史認識」と称して信じて疑わないという意味で、先人の業績にまるで敬意を払わない尊大な国ということになる。
在米のある韓国人女性は、済州島で200人余りの若い女性たちを暴力でトラックに積み込み慰安婦にさせたのが本当だとしたら(所謂強制性の問題)、もともと荒っぽい性格の済州島の男たちは黙っておらず、命をかけて戦っていただろうと言う(在米の新田多美子さんが聞いた話)。言わずもがなだが、その韓国人女性はこうも言う。「慰安婦は、今の世の中を基準にして考えてはいけません。あの時代は、人権なんてありませんよ。特に女性は。日本だって金のため親は娘を売りました。当時は、それが悪ではなかったのです。村々を回って親から娘を買っていた女衒は朝鮮人だったのですよ」(同)と。
またしても前置きが長くなってしまった。慰安婦問題を巡る日韓合意について、韓国外相が政権の方針を発表した翌日の社説を読み比べてみる。
読売新聞は、冒頭、「自ら果たすべき約束は棚に上げ、日本側にさらなる譲歩を求める。韓国の文在寅政権の態度は、外交常識に外れ、非礼である。両国関係の破綻につながりかねない」と激しい口調で非難する。そして日本が拠出した10億円について、韓国政府の予算で充当すると表明したことに対して、「いまさら覆すのは、合意に執拗に反対する市民団体への迎合にほかならない」と切り捨て、最後に「合意では、韓国側が少女像を巡る問題の解決に向けて努力することを約束した。しかし、文政権はいまだに、撤去に向けた具体的な行動に踏み切っていない。外国公館の安寧と威厳を守ることは、国際条約が定める受け入れ国の責務だ。少女像を放置するならば、韓国は規範を無視する国家だと見なされても仕方ない」と結んでおり、保守系日刊紙の代表らしく主張は手厳しいことで一貫している。
一方、朝日新聞は、冒頭、「韓国政府として今後どうするのか明確な考え方が見えない。理解に苦しむ表明である」と、さすがに韓国政府の対応には疑問を投げかける。しかし、「きのう表明した方針で問題が解決するかといえば、甚だ疑問であり、むしろ事態はいっそう混迷しかねない」と、無責任な評論家の遠吠えの如く、批判は手ぬるい。そして、「何よりめざすべきは、元慰安婦のための支援事業のていねいな継続であり、そのための日韓両政府の協力の拡大である。その意味では日本側も『1ミリたりとも合意を動かす考えはない』(菅官房長官)と硬直姿勢をとるのは建設的ではない」と、韓国政府の思いを忖度し、代弁でもしているかのような口ぶりには驚かされる。そして最後をこう結ぶ。「平昌五輪の開幕まで1カ月を切り、きのうは南北会談が板門店で実現した。朝鮮半島情勢は予断を許さない状況が続く。歴史に由来する人権問題に心を砕きつつ、喫緊の懸案に共に取り組む。そんな日韓関係への努力を滞らせる余裕はない」と。この「人権問題」は、吉田証言を誤報だと認めつつ、現代的な意味合いはあるのだから問題に変わりはないと居直ったロジックそのものだ。実に物わかりのよい(日本的な意味での)リベラルの論説で、韓国としては有難い援軍、日本にとって獅子身中の虫だ。
引越しできない隣人なのだからこのままで良いはずがない、仲良くした方がいい、などと、ことあるごとに外交の専門家は言うのだが、本当にそうだろうか。西欧でも東南アジアでも、近隣国が仲が良いとは限らないのが世の常であって、そのこと自体はさして気にすることはないのではないか。
本ブログの冒頭に戻ると、韓国が北朝鮮を甘やかしてきたからこそ、犯罪者であり国際社会のお尋ね者で(前回ブログによる)、経済制裁により困窮しているはずの北朝鮮が、立場を弁えず、図に乗って、韓国の要望に応えてやったみたいな勘違いな言動をするのを許してしまうのだ。同じように日本が韓国を甘やかしてきたからこそ、韓国は増長しているにも関わらず増長していることにすら無自覚で、10億円の扱いを日本側と協議すると言い放っただけでなく、文在寅大統領は「日本が心から謝罪し、被害者(元慰安婦)らが許すことができたら完全な解決だと思う」などと、2年前に日韓両国首脳が苦渋の末に歩み寄って前に進めたゴールポストを元に戻して恬として恥じることがなくなってしまうのだ。トランプ大統領の健康診断と同じで、病には至らずとも、正常には違いないのだろうけれども、常識外れの思考は健康診断結果には表れず、さりとて治らないのだ。
北朝鮮といい韓国といい、「食えない」とはこういうことを言うのだろう。やれやれ・・・
北朝鮮を巡って韓国の保守派は「北が変わらないのは韓国がしょっちゅう変わるからだ」とよく皮肉を言うらしい(産経のソウル駐在客員論説委員・黒田勝弘氏による)。「北は内部的に危機になると決まって韓国との対話を言い出す。すると韓国は対北強硬姿勢を変えて支援や協力に転じ、結果的に北の変化の芽を摘んできた」(同)ということらしい。それって、韓国と日本との間の関係もそうじゃないか・・・と思わず溜息が漏れてしまった。韓国が変わらないのは日本がしょっちゅう譲歩してきたからだ。
2年前の慰安婦問題を巡る日韓合意は、安倍首相にとっては随分思い切った譲歩で、国内の保守派からは不満が漏れ、批判に晒されもした。なにしろその前年に朝日新聞も誤報と認めた(しかし人権問題という現代的意味合いは変わらないなどと居直ったのはまるで韓国の歴史認識の構造と同じ)吉田証言という、今なお歴史的事実とは確認されていない虚構から始まり、日韓両国間の請求権については1965年の日韓基本条約で「完全かつ最終的な解決」が図られていたにも関わらず、韓国の市民団体が虚に吠えたことを、韓国メディアがさんざん煽るのをよいことに、韓国政府が外交カード化して、ゴネ続けたため、安倍首相が妥協したものだ。その意味では安倍首相も当時の朴槿恵大統領もお互いにリスクをとった政治決着だったことは間違いない。
こうして見ると、韓国という国は、「歴史的事実」を当時の文脈で読み取るという謙虚な姿勢はまるで持ち合わせず、現代的な意味合いを認めては平気で脚色して「歴史認識」と称して信じて疑わないという意味で、先人の業績にまるで敬意を払わない尊大な国ということになる。
在米のある韓国人女性は、済州島で200人余りの若い女性たちを暴力でトラックに積み込み慰安婦にさせたのが本当だとしたら(所謂強制性の問題)、もともと荒っぽい性格の済州島の男たちは黙っておらず、命をかけて戦っていただろうと言う(在米の新田多美子さんが聞いた話)。言わずもがなだが、その韓国人女性はこうも言う。「慰安婦は、今の世の中を基準にして考えてはいけません。あの時代は、人権なんてありませんよ。特に女性は。日本だって金のため親は娘を売りました。当時は、それが悪ではなかったのです。村々を回って親から娘を買っていた女衒は朝鮮人だったのですよ」(同)と。
またしても前置きが長くなってしまった。慰安婦問題を巡る日韓合意について、韓国外相が政権の方針を発表した翌日の社説を読み比べてみる。
読売新聞は、冒頭、「自ら果たすべき約束は棚に上げ、日本側にさらなる譲歩を求める。韓国の文在寅政権の態度は、外交常識に外れ、非礼である。両国関係の破綻につながりかねない」と激しい口調で非難する。そして日本が拠出した10億円について、韓国政府の予算で充当すると表明したことに対して、「いまさら覆すのは、合意に執拗に反対する市民団体への迎合にほかならない」と切り捨て、最後に「合意では、韓国側が少女像を巡る問題の解決に向けて努力することを約束した。しかし、文政権はいまだに、撤去に向けた具体的な行動に踏み切っていない。外国公館の安寧と威厳を守ることは、国際条約が定める受け入れ国の責務だ。少女像を放置するならば、韓国は規範を無視する国家だと見なされても仕方ない」と結んでおり、保守系日刊紙の代表らしく主張は手厳しいことで一貫している。
一方、朝日新聞は、冒頭、「韓国政府として今後どうするのか明確な考え方が見えない。理解に苦しむ表明である」と、さすがに韓国政府の対応には疑問を投げかける。しかし、「きのう表明した方針で問題が解決するかといえば、甚だ疑問であり、むしろ事態はいっそう混迷しかねない」と、無責任な評論家の遠吠えの如く、批判は手ぬるい。そして、「何よりめざすべきは、元慰安婦のための支援事業のていねいな継続であり、そのための日韓両政府の協力の拡大である。その意味では日本側も『1ミリたりとも合意を動かす考えはない』(菅官房長官)と硬直姿勢をとるのは建設的ではない」と、韓国政府の思いを忖度し、代弁でもしているかのような口ぶりには驚かされる。そして最後をこう結ぶ。「平昌五輪の開幕まで1カ月を切り、きのうは南北会談が板門店で実現した。朝鮮半島情勢は予断を許さない状況が続く。歴史に由来する人権問題に心を砕きつつ、喫緊の懸案に共に取り組む。そんな日韓関係への努力を滞らせる余裕はない」と。この「人権問題」は、吉田証言を誤報だと認めつつ、現代的な意味合いはあるのだから問題に変わりはないと居直ったロジックそのものだ。実に物わかりのよい(日本的な意味での)リベラルの論説で、韓国としては有難い援軍、日本にとって獅子身中の虫だ。
引越しできない隣人なのだからこのままで良いはずがない、仲良くした方がいい、などと、ことあるごとに外交の専門家は言うのだが、本当にそうだろうか。西欧でも東南アジアでも、近隣国が仲が良いとは限らないのが世の常であって、そのこと自体はさして気にすることはないのではないか。
本ブログの冒頭に戻ると、韓国が北朝鮮を甘やかしてきたからこそ、犯罪者であり国際社会のお尋ね者で(前回ブログによる)、経済制裁により困窮しているはずの北朝鮮が、立場を弁えず、図に乗って、韓国の要望に応えてやったみたいな勘違いな言動をするのを許してしまうのだ。同じように日本が韓国を甘やかしてきたからこそ、韓国は増長しているにも関わらず増長していることにすら無自覚で、10億円の扱いを日本側と協議すると言い放っただけでなく、文在寅大統領は「日本が心から謝罪し、被害者(元慰安婦)らが許すことができたら完全な解決だと思う」などと、2年前に日韓両国首脳が苦渋の末に歩み寄って前に進めたゴールポストを元に戻して恬として恥じることがなくなってしまうのだ。トランプ大統領の健康診断と同じで、病には至らずとも、正常には違いないのだろうけれども、常識外れの思考は健康診断結果には表れず、さりとて治らないのだ。
北朝鮮といい韓国といい、「食えない」とはこういうことを言うのだろう。やれやれ・・・