夕方の産経電子版によると、今般の西日本豪雨では14府県で死者が209人に達したらしい。共同通信によると、依然として1府4県で35人が安否不明という。
気象庁が1982年1月以降の各月上/中/下旬の全国総降水量を比較したところ、今月上旬(1~10日)が19万5520ミリで最も多かったと発表した。これまでの最多は1985年6月下旬の18万5915ミリだったというから、実に33年振りとなる。
今回、これほどの広域被害を惹き起こしたのは、今月5~8日、太平洋高気圧が本州の東にあって、空気の通り道が広がったところに、太平洋や東シナ海から多量の水蒸気を含む空気が次々と西日本に流れ込んで合流する一方、オホーツク海高気圧から冷たい空気が南下し、本州付近に停滞していた梅雨前線の南と北で温度差が開いて、大気の状態が不安定になり、大雨になるという、複合的な要因が重なったためと解説される。連続発生した積乱雲が風に吹かれて連なり、同じ場所に長時間、大雨を降らせる「線状降水帯」も、広島県など一部の地域で形成されたという(このあたり、日経や産経電子版による)。
こうして見ると、日本列島では水害こそ災いをもたらすことをあらためて実感する。東日本大震災では地震の揺れそのものより津波の被害が甚大だったし、日本の河川はその地形から短くて急流が多いと言われるように川の氾濫もさることながら、山あいの地では川がなくても土石流が民家を押し流した例もあったようだ。IPCCは、地球温暖化が進めば極端な降水量の雨が増えると言い、今回の豪雨の分析にあたる気象庁の担当者は「(同規模水害は)当然あり得る」と認めているように、そして先日の大阪北部地震でも脆弱なインフラは悲鳴をあげたように、私たちはこれまでの想定を見直し、仮にハードなインフラ整備は財政事情ですぐには難しいにしても、ハザードマップの周知徹底や早期非難によって人的被害を最小限にするソフトな対策強化を進めるべきなのだろう。この災害列島にあっては、明日は我が身で、他人事ではあり得ない。
そんな中、これまでにない取組みで際立った成果も見られた。
一つは、不明者の氏名を公表した岡山県で、生存情報が続々と寄せられたという。2003年に個人情報保護法が成立して、自治体の条例は、本人の同意なしに個人情報を第三者に提供することを原則禁止しているが、災害時などを想定し、「生命、身体や財産の保護に必要で本人の同意が得るのが困難な場合」や「緊急かつ、やむを得ない必要がある場合」は同意なしでも提供できるとする例外規定がある。岡山県は「公益性の観点から不明者を特定して捜索に役立てるため」、11日から氏名公表に踏み切ったところ、家族や同僚から生存情報が寄せられたほか、報道を見た不明者本人からも申告があって、約30人の生存が確認され、不明者の特定作業が大幅に進んだという。非常時の個人情報保護のあり方が問われる。
もう一つは、Googleマップの「マイマップ」機能を活用した道路通行止め情報を公開した東広島市で、ネット上で称賛の声が上がったらしい。当初、PDFファイルで情報を公開していたが、実際の通行止め地点が明確に分からず不評だったことから、Googleマップを活用したことで、「ユーザーの持つデバイスの画面解像度に自動で合わせて表示できる」「拡大縮小がしやすい」「現在地表示やナビ機能と連携できる」「管理者が情報を更新しやすい」と言ったメリットのほか、文字情報も付加された情報を共有することで「目が見えない人が(デバイス側の)読み上げ機能を使える」と評価されている。
実は、一週間ほど前、岡山の美作大・同短期大学部(津山市北園町)で、「学生らが浴衣姿で登校し、講義を受ける『浴衣登校』が行われ、キャンパスは華やかな雰囲気に包まれた」(産経電子版6日付)という記事を見つけて、ブログで紹介しようと思っていた矢先、まさにその記事が出た夜に豪雨が酷くなり、ブログ掲載を控えたのだった。「浴衣登校」は1993年、「学生有志が七夕に合わせて浴衣姿で登校したのを発端に広がり、今では大半の学生が浴衣姿になって楽しむ恒例の行事となった」(同)のだそうで、なんとも風雅でよいではないか。当日は「あいにくの雨の中、学生らは足元を気にしながら色とりどりの浴衣や甚平姿で登校」(同)したというが、皆無事だったろうか。彼ら・彼女らを含め、今回の豪雨で被害に遭われた方々が(やや紋切型の言い回しになるが)一日も早く普段の生活に戻られることを心より祈念している。
気象庁が1982年1月以降の各月上/中/下旬の全国総降水量を比較したところ、今月上旬(1~10日)が19万5520ミリで最も多かったと発表した。これまでの最多は1985年6月下旬の18万5915ミリだったというから、実に33年振りとなる。
今回、これほどの広域被害を惹き起こしたのは、今月5~8日、太平洋高気圧が本州の東にあって、空気の通り道が広がったところに、太平洋や東シナ海から多量の水蒸気を含む空気が次々と西日本に流れ込んで合流する一方、オホーツク海高気圧から冷たい空気が南下し、本州付近に停滞していた梅雨前線の南と北で温度差が開いて、大気の状態が不安定になり、大雨になるという、複合的な要因が重なったためと解説される。連続発生した積乱雲が風に吹かれて連なり、同じ場所に長時間、大雨を降らせる「線状降水帯」も、広島県など一部の地域で形成されたという(このあたり、日経や産経電子版による)。
こうして見ると、日本列島では水害こそ災いをもたらすことをあらためて実感する。東日本大震災では地震の揺れそのものより津波の被害が甚大だったし、日本の河川はその地形から短くて急流が多いと言われるように川の氾濫もさることながら、山あいの地では川がなくても土石流が民家を押し流した例もあったようだ。IPCCは、地球温暖化が進めば極端な降水量の雨が増えると言い、今回の豪雨の分析にあたる気象庁の担当者は「(同規模水害は)当然あり得る」と認めているように、そして先日の大阪北部地震でも脆弱なインフラは悲鳴をあげたように、私たちはこれまでの想定を見直し、仮にハードなインフラ整備は財政事情ですぐには難しいにしても、ハザードマップの周知徹底や早期非難によって人的被害を最小限にするソフトな対策強化を進めるべきなのだろう。この災害列島にあっては、明日は我が身で、他人事ではあり得ない。
そんな中、これまでにない取組みで際立った成果も見られた。
一つは、不明者の氏名を公表した岡山県で、生存情報が続々と寄せられたという。2003年に個人情報保護法が成立して、自治体の条例は、本人の同意なしに個人情報を第三者に提供することを原則禁止しているが、災害時などを想定し、「生命、身体や財産の保護に必要で本人の同意が得るのが困難な場合」や「緊急かつ、やむを得ない必要がある場合」は同意なしでも提供できるとする例外規定がある。岡山県は「公益性の観点から不明者を特定して捜索に役立てるため」、11日から氏名公表に踏み切ったところ、家族や同僚から生存情報が寄せられたほか、報道を見た不明者本人からも申告があって、約30人の生存が確認され、不明者の特定作業が大幅に進んだという。非常時の個人情報保護のあり方が問われる。
もう一つは、Googleマップの「マイマップ」機能を活用した道路通行止め情報を公開した東広島市で、ネット上で称賛の声が上がったらしい。当初、PDFファイルで情報を公開していたが、実際の通行止め地点が明確に分からず不評だったことから、Googleマップを活用したことで、「ユーザーの持つデバイスの画面解像度に自動で合わせて表示できる」「拡大縮小がしやすい」「現在地表示やナビ機能と連携できる」「管理者が情報を更新しやすい」と言ったメリットのほか、文字情報も付加された情報を共有することで「目が見えない人が(デバイス側の)読み上げ機能を使える」と評価されている。
実は、一週間ほど前、岡山の美作大・同短期大学部(津山市北園町)で、「学生らが浴衣姿で登校し、講義を受ける『浴衣登校』が行われ、キャンパスは華やかな雰囲気に包まれた」(産経電子版6日付)という記事を見つけて、ブログで紹介しようと思っていた矢先、まさにその記事が出た夜に豪雨が酷くなり、ブログ掲載を控えたのだった。「浴衣登校」は1993年、「学生有志が七夕に合わせて浴衣姿で登校したのを発端に広がり、今では大半の学生が浴衣姿になって楽しむ恒例の行事となった」(同)のだそうで、なんとも風雅でよいではないか。当日は「あいにくの雨の中、学生らは足元を気にしながら色とりどりの浴衣や甚平姿で登校」(同)したというが、皆無事だったろうか。彼ら・彼女らを含め、今回の豪雨で被害に遭われた方々が(やや紋切型の言い回しになるが)一日も早く普段の生活に戻られることを心より祈念している。