(後半部分を大幅に書き直しました)
日韓の不幸とも言える歴史問題がで~んと横たわっているのは厳然たる事実であろうし、歴史的な東アジア秩序としての華夷秩序のもとで、本来の優越意識が屈折して却って劣等意識となって一部の韓国人の性根を歪めてしまっているのもまた事実であろう。極端なことを言えば、韓国が日本に対して、戦争あるいは何等かの別の形で明確に「勝った!」と思えるまで、続くことなのかも知れない。
しかし、どうもそれだけでは納得しがたい。
韓国の歴代大統領は、退任するや、自殺に追い込まれるか刑務所に送られて来たのは周知の事実で、近代民主国家では尋常なことではない。それだけ韓国という国は、これも儒教社会の故と言えるであろうが、三韓を起源として、内政における左右の対立が激しく(左右に北を加えれば三韓、三つ巴の争いになる)、この点にもっと注目されてもよいのではないかと思う。実際に、韓国内部でも歴史認識問題があって、文在寅大統領のようなバリバリの左派は、金大中氏よりも前のことを、独立した韓国の歴史だと認めていないと言われる。すなわち、朴クネさんのお父ちゃん(朴正煕)や1987年以前に保守・軍事独裁政権で活躍された面々は、日本統治に協力した「積弊」であって「清算」すべきものであること、従って、その当時締結された日韓基本条約を無視するとしても、文在寅大統領の頭の中では、独立国・韓国が締結したものではないから当然だと思っている可能性がある(もとより日本をはじめ国際社会は、外形的には1948年8月15日を以て韓国を独立国と見、従って、国内事情によって条約(日韓基本条約 1965年)をないがしろにするのは明確なウィーン条約違反と認識するのだが)。そして、韓国の内政の争いに、日本が政治利用されている・・・そんな被害妄想を、私は最近抱き始めている(笑)。
さらに朝鮮半島の内政のレベルにとどまらない、地域の問題がある。
学生時代、国際社会にはいくつもの(国の数だけ)「正義」(あるいは「常識」)があると学んだ。共通の価値観のもとに国家を形成し、憲法をはじめとして法整備し、警察制度と裁判制度を整えて、正義を認定して正義ではないものを取り締まって安定を図る国家のありようと、そうした共通の価値観を持ちにくいし強制力をも持たない国際社会のありようとは、明確に違うことを学んだ。それほど国際社会で合意を目指し、あるいは平和を語るのは難しい。ところが、中国や韓国の儒教社会では、自らに「正義」があると思い込んだが最後、相手を只管、非難する一方だから、始末に負えない。恨みは一代に留まらず、墓を暴くなど、一族の問題とみなすほど執念深い。すなわち自らが考える「正義」の前に時効はなく(盧武鉉政権の2005年「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」で、日本統治時代に協力した韓国人の財産を没収するという、法の不遡及と財産権の双方に抵触するような立法を行っている)、自らが考える「正義」の前には国際的な約束も劣後する(従軍慰安婦問題や徴用工問題)。日本は、秀吉の頃にまで遡って、その恰好のターゲットとなっている(しかし元寇のときには元による日本侵略のお先棒を担いだのは朝鮮族ではなかったかと言いたいところだが 笑)。その文脈で、中国にとって日本は対米交渉のカードになっているように、韓国にとって日本は内政でのポジション争いのカードになってしまっている。カードにされるだけの価値がそれなりにあることは喜ぶべきだが(苦笑)、まともに正面から扱われないのは実に腹立たしい(爆笑)。まあ、それはともかく、中国や韓国といった儒教社会のそれぞれの「正義」については我々も一応は理解するから、日本にもまた「正義」があることを彼らは一応は理解するべきであろう。それが近代国際社会の相互主義というものだし、日本国民の怒りの根源はそのあたりにありそうだ。しかし、彼らに近代国際社会の道理が通じるのか甚だ心許ないし、彼らの内政の不安定あるいは政治の弱さは、そうした余裕を許さないところが実に悩ましい。日本が戦争を引き摺り贖罪意識が濃厚な時代には、日本が譲歩することで遣り過ごすという、穏当な解決の仕方が続いたが、さすがに70年以上も経てば環境は変わる。いや、400年以上昔の秀吉のことをつい昨日のことのように語る民族にとって、70年前はついさっきの出来事なのかも知れないが・・・
東アジアの秩序観なり歴史認識が特異であるのは、マレーシア駐在時代、中国系マレー人の上司との会話からも類推できる。日系企業に勤めながら、日本式経営に興味を持たれて、50を過ぎてから大学院に通うような勉強家で、漢字は読めるが英語しか話せない、イギリスの大学院留学という、言わば東南アジアの典型的なエリートと言えよう。その上司とは妙にウマが合って、いろいろな議論をしたのが懐かしいが、その中の一つで、彼は、日本はもっとアジアでリーダーシップを発揮するべきだと言う。10年ほど前のことである。いや、日本は太平洋戦争でアジア諸国に迷惑をかけたから、そのトラウマがあって、前に出るのを躊躇する(だからいつも後ろから支える)のだと答えると、戦争は今の日本人の世代の問題(責任)ではないと一喝された。同じアジアでも、東アジアと東南アジアは違うものだと、また同じ中国系民族でも華人(東南アジアで原地化した中国人)は違うものだと、感心したものだ。恨みが消えているとは言わない。しかし、過去は過去、私たちが生きているのは現在であって、現実的に対処する。
韓国の現状は、文在寅という個人の問題だと考えたい心理が働くのを抑えることが出来ないのが正直なところで、実際に政策が上手く行かず、さらに彼の活動家としてのキャラクターによって増幅されている部分は大いにあると思うが、アメリカがドナルド・トランプという個人の問題ではないように、やはり、以上に述べて来たように、ちょっと極端ながらも、その国が行き着いた一種の「結果」あるいは「現象」と言うべきだろう。それがまがりなりにも自由な民主主義社会というものだ。韓国社会は、日本統治時代も含めて、高度に、しかしイビツに発展を遂げ、社会の分断を深めてきた。最近はトランプ大統領が雪解けさせようとちょろちょろ刺激を与えている南北境界線に象徴されるように、東西冷戦時代が凍結されたままで、根本的な解決に至っていないという問題も抱えている。
百田尚樹さんは「やったで!韓国、ホワイト国除外決定!さあ、韓国がどんな報復措置を取ってくるか、楽しみ。頑張れ、韓国。底力を見せろ!」とツイッターで韓国を挑発したのは、ちょっとおふざけが過ぎるが(苦笑)、「マジレスすると、2019年8月2日は、日韓関係のターニングポイントになるだけでなく、日本という国家にとっても大きなターニングポイントの日となる気がする。というのも、戦後、日本が外国に対して決然とした態度を取った初めての日となったからだ」ともツイートされているのは、これもやや大袈裟ながらも、今回の日本国政府の態度には、韓国、ええ加減にしいや、という悪弊を断つ覚悟を感じるのは事実だ。
さらに今後5年あるいは10年というスパンで考えると、中国による華夷秩序になびく南北朝鮮と、何故か昔から西欧寄りの日本が対峙する場面が容易に想像されるのである。かつての米ソ冷戦ではヨーロッパが正面だったのに対し、新・冷戦とも言われる米中対立では東アジアが正面となる。今はその序曲で、これから益々厳しくなるのではないか、日本はその覚悟と備えは出来ているのか・・・ということが問われなければならないのではないだろうか・・・とは、実に悲観的なブログだ(笑)
日韓の不幸とも言える歴史問題がで~んと横たわっているのは厳然たる事実であろうし、歴史的な東アジア秩序としての華夷秩序のもとで、本来の優越意識が屈折して却って劣等意識となって一部の韓国人の性根を歪めてしまっているのもまた事実であろう。極端なことを言えば、韓国が日本に対して、戦争あるいは何等かの別の形で明確に「勝った!」と思えるまで、続くことなのかも知れない。
しかし、どうもそれだけでは納得しがたい。
韓国の歴代大統領は、退任するや、自殺に追い込まれるか刑務所に送られて来たのは周知の事実で、近代民主国家では尋常なことではない。それだけ韓国という国は、これも儒教社会の故と言えるであろうが、三韓を起源として、内政における左右の対立が激しく(左右に北を加えれば三韓、三つ巴の争いになる)、この点にもっと注目されてもよいのではないかと思う。実際に、韓国内部でも歴史認識問題があって、文在寅大統領のようなバリバリの左派は、金大中氏よりも前のことを、独立した韓国の歴史だと認めていないと言われる。すなわち、朴クネさんのお父ちゃん(朴正煕)や1987年以前に保守・軍事独裁政権で活躍された面々は、日本統治に協力した「積弊」であって「清算」すべきものであること、従って、その当時締結された日韓基本条約を無視するとしても、文在寅大統領の頭の中では、独立国・韓国が締結したものではないから当然だと思っている可能性がある(もとより日本をはじめ国際社会は、外形的には1948年8月15日を以て韓国を独立国と見、従って、国内事情によって条約(日韓基本条約 1965年)をないがしろにするのは明確なウィーン条約違反と認識するのだが)。そして、韓国の内政の争いに、日本が政治利用されている・・・そんな被害妄想を、私は最近抱き始めている(笑)。
さらに朝鮮半島の内政のレベルにとどまらない、地域の問題がある。
学生時代、国際社会にはいくつもの(国の数だけ)「正義」(あるいは「常識」)があると学んだ。共通の価値観のもとに国家を形成し、憲法をはじめとして法整備し、警察制度と裁判制度を整えて、正義を認定して正義ではないものを取り締まって安定を図る国家のありようと、そうした共通の価値観を持ちにくいし強制力をも持たない国際社会のありようとは、明確に違うことを学んだ。それほど国際社会で合意を目指し、あるいは平和を語るのは難しい。ところが、中国や韓国の儒教社会では、自らに「正義」があると思い込んだが最後、相手を只管、非難する一方だから、始末に負えない。恨みは一代に留まらず、墓を暴くなど、一族の問題とみなすほど執念深い。すなわち自らが考える「正義」の前に時効はなく(盧武鉉政権の2005年「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」で、日本統治時代に協力した韓国人の財産を没収するという、法の不遡及と財産権の双方に抵触するような立法を行っている)、自らが考える「正義」の前には国際的な約束も劣後する(従軍慰安婦問題や徴用工問題)。日本は、秀吉の頃にまで遡って、その恰好のターゲットとなっている(しかし元寇のときには元による日本侵略のお先棒を担いだのは朝鮮族ではなかったかと言いたいところだが 笑)。その文脈で、中国にとって日本は対米交渉のカードになっているように、韓国にとって日本は内政でのポジション争いのカードになってしまっている。カードにされるだけの価値がそれなりにあることは喜ぶべきだが(苦笑)、まともに正面から扱われないのは実に腹立たしい(爆笑)。まあ、それはともかく、中国や韓国といった儒教社会のそれぞれの「正義」については我々も一応は理解するから、日本にもまた「正義」があることを彼らは一応は理解するべきであろう。それが近代国際社会の相互主義というものだし、日本国民の怒りの根源はそのあたりにありそうだ。しかし、彼らに近代国際社会の道理が通じるのか甚だ心許ないし、彼らの内政の不安定あるいは政治の弱さは、そうした余裕を許さないところが実に悩ましい。日本が戦争を引き摺り贖罪意識が濃厚な時代には、日本が譲歩することで遣り過ごすという、穏当な解決の仕方が続いたが、さすがに70年以上も経てば環境は変わる。いや、400年以上昔の秀吉のことをつい昨日のことのように語る民族にとって、70年前はついさっきの出来事なのかも知れないが・・・
東アジアの秩序観なり歴史認識が特異であるのは、マレーシア駐在時代、中国系マレー人の上司との会話からも類推できる。日系企業に勤めながら、日本式経営に興味を持たれて、50を過ぎてから大学院に通うような勉強家で、漢字は読めるが英語しか話せない、イギリスの大学院留学という、言わば東南アジアの典型的なエリートと言えよう。その上司とは妙にウマが合って、いろいろな議論をしたのが懐かしいが、その中の一つで、彼は、日本はもっとアジアでリーダーシップを発揮するべきだと言う。10年ほど前のことである。いや、日本は太平洋戦争でアジア諸国に迷惑をかけたから、そのトラウマがあって、前に出るのを躊躇する(だからいつも後ろから支える)のだと答えると、戦争は今の日本人の世代の問題(責任)ではないと一喝された。同じアジアでも、東アジアと東南アジアは違うものだと、また同じ中国系民族でも華人(東南アジアで原地化した中国人)は違うものだと、感心したものだ。恨みが消えているとは言わない。しかし、過去は過去、私たちが生きているのは現在であって、現実的に対処する。
韓国の現状は、文在寅という個人の問題だと考えたい心理が働くのを抑えることが出来ないのが正直なところで、実際に政策が上手く行かず、さらに彼の活動家としてのキャラクターによって増幅されている部分は大いにあると思うが、アメリカがドナルド・トランプという個人の問題ではないように、やはり、以上に述べて来たように、ちょっと極端ながらも、その国が行き着いた一種の「結果」あるいは「現象」と言うべきだろう。それがまがりなりにも自由な民主主義社会というものだ。韓国社会は、日本統治時代も含めて、高度に、しかしイビツに発展を遂げ、社会の分断を深めてきた。最近はトランプ大統領が雪解けさせようとちょろちょろ刺激を与えている南北境界線に象徴されるように、東西冷戦時代が凍結されたままで、根本的な解決に至っていないという問題も抱えている。
百田尚樹さんは「やったで!韓国、ホワイト国除外決定!さあ、韓国がどんな報復措置を取ってくるか、楽しみ。頑張れ、韓国。底力を見せろ!」とツイッターで韓国を挑発したのは、ちょっとおふざけが過ぎるが(苦笑)、「マジレスすると、2019年8月2日は、日韓関係のターニングポイントになるだけでなく、日本という国家にとっても大きなターニングポイントの日となる気がする。というのも、戦後、日本が外国に対して決然とした態度を取った初めての日となったからだ」ともツイートされているのは、これもやや大袈裟ながらも、今回の日本国政府の態度には、韓国、ええ加減にしいや、という悪弊を断つ覚悟を感じるのは事実だ。
さらに今後5年あるいは10年というスパンで考えると、中国による華夷秩序になびく南北朝鮮と、何故か昔から西欧寄りの日本が対峙する場面が容易に想像されるのである。かつての米ソ冷戦ではヨーロッパが正面だったのに対し、新・冷戦とも言われる米中対立では東アジアが正面となる。今はその序曲で、これから益々厳しくなるのではないか、日本はその覚悟と備えは出来ているのか・・・ということが問われなければならないのではないだろうか・・・とは、実に悲観的なブログだ(笑)