風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

メディアの変容

2020-10-21 23:39:43 | 時事放談
 2016年は、BREXITとトランプ氏の大統領当選によって、英米のポピュリズムと社会の分断という認めたくない事実が眼前に突き付けられ、話題になった年だった。その当時、トランプ大統領の登場は原因ではなく結果だと言われたもので、そういう意味では、今回の大統領選挙でトランプさんが勝つにせよ負けるにせよ、今の社会的状況は大して変わらないのだろう。しかしながら・・・アメリカのCNNやNYタイムズやWAポストなどのリベラル系大手メディアや、私がお付合いがあるような弁護士さんなどの所謂エリート層は、トランプ大統領を毛嫌いし、悪しざまに罵るのは不思議なほどで、まあ、およそ大統領らしくない品のなさが情けないのは、分からないではない。しかし、その彼を(あのヒットラーと同様)選挙という正当な手続きを踏んで選んでしまったのは当のアメリカ人であって、彼らエリート層にはその民度がまた情けないであろうことも、また分からないではない。彼らはこれを「汚点」だと思っているに相違なくて、この度の大統領選挙は一掃のチャンスと張り切っていることだろう。しかし、繰り返しになるが、問題は社会的状況なのだが・・・
 それにしてもこれらアメリカの大手メディアの対応は酷い・・・とは、私は具体的に知らないが、在米ジャーナリストの古森義久さんがコラムに書かれていた(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62592)。バイデンさんの認知症を疑う人は世論調査で40%に及ぶと言われるが、相変わらず失言を重ね、政策面でも不透明な対応を続けているにもかかわらず、大手メディアはバイデンさんの問題点は取り上げることなく、トランプさんの言動に専ら容赦ない糾弾を浴びせるのだという。典型的なのが、保守系のニューヨーク・ポストが報じたという、バイデンさんの次男ハンター氏がウクライナや中国の大企業と取引して、父親が現職副大統領だったコネを利用して年間1000万ドルという巨額の「顧問料」を得ていたことを示すEメール記録のことで、NYタイムズなどは一切無視し、フェイスブックとツイッターはこの報道の拡散を防ぐ措置を取ったという。こうした「報道しない自由」は、モリ・カケ・サクラ問題での日本の大手メディアの報道でも見られたことだ。
 メディアの変容と軌を一にしているのだろう。スマホやSNSでしかニュースを見ない若者たちが増え、見たいものしか見ない、見たくないものは見ない層が増えて、SNSの世界が(古い言い方になるが)左・右に分断されるとともに、既存のリベラルな(とは、反体制・反権力の意だが)大手メディアの影響力、いわば神通力が薄れているのだ。日本では、余り上等ではない想像力を駆使して疑惑を醸成し、もはや事実であるかのように報道して印象操作するなど、どんなに安倍さんの足を引っ張ろうとしても、岩盤支持とされた40%ほどの内閣支持率は動かなかった(このあたりは、アメリカの状況と同じとは言わないが、似ている)。その焦りから、大手メディアの偏向報道は度を増すばかりで、今や政治とメディアの不幸な関係は不可逆的で修復できそうにない。スガ総理就任のご祝儀相場で、いったんは様子見だった大手メディアも、日本学術会議問題を契機に、俄かに蠢き始めた。そして嘆かわしいことに、フェイク・ニュースも増えた。
 折しも、元・週刊文春/月刊文藝春秋編集長の木俣正剛さんが、30年前、北朝鮮や朝鮮総連について厳しい報道をすると差別的報道として朝鮮総連の抗議を受けたり記者自身が糾弾されたりすることが多かった時代に、『週刊文春』1990年11月29日号が「アメリカが警告。北朝鮮原爆工場の恐怖」と題して、北朝鮮が核開発に手をつけたことをいち早く詳細に報道した経緯をコラムで取り上げておられて、興味深かった(https://diamond.jp/articles/-/251833)。余談になるが、私の学生時代はもう少し前のことで、寮闘争をしていた知人に、どの週刊誌が面白いか尋ねたところ、何でもいいけど(今はなき)『朝日ジャーナル』を読んでみたらと勧められて、何週か我慢して読んでみたが、面白みを感じられず(当時の編集長は筑紫哲也さんだったと思う)、仕方なしにいろいろな週刊誌を片っ端から読んで、一番面白いと思ったのが『週刊文春』だった。
 当時、確かに面白い週刊誌があったのだ。いや、週刊誌だけではない。新聞で日々の細切れの事実を追い、月刊誌で落ち着いて纏まった解説を堪能し、週刊誌はその間にあって、それなりに纏まりのある、センセーショナルで鋭く切り込んだホットな記事を楽しみにしていた。そんな平和な棲み分けは、基本的に今も変わらないが、その内実は随分変わったように思う。日刊にしても週刊にしても月刊にしても販売部数が随分減って、そのために過激なものが増えたように思う。まあ、過激でも構わなくて、時代の流れで、紙媒体が自らの存在意義を見出すことが難しくなっているのは理解するが、編集という目利きを通すからこそ信頼のおける良質な記事を期待する読者がいることは忘れないで欲しいと切に思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする