第40回大阪国際女子マラソンで、一山麻緒選手が2時間21分11秒で優勝した。日本記録を狙っていたそうで、残念ながら野口みずきさんが持つ記録2時間19分12秒(2005年ベルリン)には及ばなかったが、野口さんが持つ大会記録2時間21分18秒(2003年)を18年ぶりに更新した。
今大会は、新型コロナ感染予防の一環で、従来の市街地を走るコースから、長居公園内を約15周(1周約2.8キロ)する周回コースに変更された。長居と言えば、私が高校生の頃、インターハイ大阪予選の会場となったところで、格別の思い入れがあるのは、まあどうでもいいことで(笑)、周回コースが選手にどういう影響を与えるのか・・・ペースを掴み易いかも知れないが、変化に乏しく、沿道の声援もない中での走りは独特のものだったに違いない。私は7年前、F1日本グランプリが開催される富士スピードウェイ(一周4.4キロ)を5周弱走るハーフマラソンの大会に出たことがあり、私のようなお気楽な市民ランナーは変化に乏しい周回コースを好まないが、集中力があるエリート・ランナーは違った感想をもつかも知れない。それから、川内優輝さんをはじめ男子選手がペースメーカーとなったのも史上初めてだそうで、オールジャパンの雰囲気が醸し出されて、良かった。川内さんは、青梅マラソンで一度、お見掛けしたことがあり、私のようなへなちょこランナーの倍のスピードで走るので、折り返し30キロのコースで、私がようやく10キロ地点にさしかかった往路で、復路を激走する彼とかち合って、毎度の全力疾走する勇姿がなんともカッコ良かった。今日も、時折り一山選手に声を掛けながら先導する姿がカッコ良かった。
その一山選手は、相変わらず腰高の惚れ惚れする走りで、快調に飛ばした。日本人でこのような走りが出来る人が出て来たのかと思うと、感慨深い。しかし、前半飛ばし過ぎたこともさることながら、そもそも昨年末(ということは一ヶ月前)に扁桃腺炎で5日間静養したそうで、結果に繋がらず、「いつも、私と同じ気持ちで目標に向かって最高のサポートをしてくれるワコールのスタッフなので、本当は一緒に喜びたかったんですけど、残念でした」と涙ぐみながら振り返った。私は高校時代に、レベルは違うが陸上部で競技として中・長距離に取り組んだことがあって、感覚的に5日間のブランクはリカバリーするためには少なくとも倍以上の時間を要して、折角の上り調子に水を差して、肉体的にも精神的にも必ずしも万全ではなかったことだろうと想像する。しかも、東京五輪が延期され、ゴールが一年先送りされたことも、心理的にさぞ辛かったことだろうと想像する。私のことを言っても仕方ないのだが、20年ほど前、アメリカ駐在最後の年に、一年の間に4回もフルマラソンを走ったことがあって、フルマラソンなるものはド素人の市民ランナーでもメンタル面を調整するのは簡単ではないことを痛感した。ましてや微妙な加減の中で体力ぎりぎりのところで挑戦するエリート・ランナーをや・・・である。
インタビューで、「自分のためだけには頑張れない」 「誰かのためにとか、誰かが喜んでいる姿を見たいと思ってやっていると、自然とやらなきゃなって、期待に応えたいっていう気持ちが原動力になっているかなあって思います」と語っていた。なんて素直でよい子なんだろう。
東京五輪について、軽々しく延期や中止を語る著名人が話題になるが、選手の思いを想像したことがあるのかと、実に不愉快である。野球やバスケやフットボールやラグビーは、毎年、盛り上がるので、まだいい。それ以外の競技の中には、オリンピックでもなければ、なかなか注目されないものもあって、モチベーションを維持するのはもとより、下世話な話で、スポンサーを確保し(それが国の場合であっても)、支援してもらうのがどれほど大変か、私も知らないので想像するしかないが、一世一代の檜舞台であることを、著名人の方々は想像したことはないのではないか。五輪の商業主義は褒められたものではないが、競技に打ち込む選手たちが生活できないようでは元も子もない。更に思い出されるのは、1980年のモスクワ五輪ボイコットで、瀬古さんは人生の絶頂期に五輪のマラソンを走る機会を逃してしまった。本人の無念は想像を遥かに超えるであろう。野球やバスケやフットボールやラグビーは、このご時世でもなんとか実施されているので、いろいろな制約はあるにしても(最大の制約要因は医療支援だろう、これは出場選手の母国の医療リソースを要請してもよいのではないだろうか)、どのような形であろうと東京五輪が開催されることを願って止まない。
今大会は、新型コロナ感染予防の一環で、従来の市街地を走るコースから、長居公園内を約15周(1周約2.8キロ)する周回コースに変更された。長居と言えば、私が高校生の頃、インターハイ大阪予選の会場となったところで、格別の思い入れがあるのは、まあどうでもいいことで(笑)、周回コースが選手にどういう影響を与えるのか・・・ペースを掴み易いかも知れないが、変化に乏しく、沿道の声援もない中での走りは独特のものだったに違いない。私は7年前、F1日本グランプリが開催される富士スピードウェイ(一周4.4キロ)を5周弱走るハーフマラソンの大会に出たことがあり、私のようなお気楽な市民ランナーは変化に乏しい周回コースを好まないが、集中力があるエリート・ランナーは違った感想をもつかも知れない。それから、川内優輝さんをはじめ男子選手がペースメーカーとなったのも史上初めてだそうで、オールジャパンの雰囲気が醸し出されて、良かった。川内さんは、青梅マラソンで一度、お見掛けしたことがあり、私のようなへなちょこランナーの倍のスピードで走るので、折り返し30キロのコースで、私がようやく10キロ地点にさしかかった往路で、復路を激走する彼とかち合って、毎度の全力疾走する勇姿がなんともカッコ良かった。今日も、時折り一山選手に声を掛けながら先導する姿がカッコ良かった。
その一山選手は、相変わらず腰高の惚れ惚れする走りで、快調に飛ばした。日本人でこのような走りが出来る人が出て来たのかと思うと、感慨深い。しかし、前半飛ばし過ぎたこともさることながら、そもそも昨年末(ということは一ヶ月前)に扁桃腺炎で5日間静養したそうで、結果に繋がらず、「いつも、私と同じ気持ちで目標に向かって最高のサポートをしてくれるワコールのスタッフなので、本当は一緒に喜びたかったんですけど、残念でした」と涙ぐみながら振り返った。私は高校時代に、レベルは違うが陸上部で競技として中・長距離に取り組んだことがあって、感覚的に5日間のブランクはリカバリーするためには少なくとも倍以上の時間を要して、折角の上り調子に水を差して、肉体的にも精神的にも必ずしも万全ではなかったことだろうと想像する。しかも、東京五輪が延期され、ゴールが一年先送りされたことも、心理的にさぞ辛かったことだろうと想像する。私のことを言っても仕方ないのだが、20年ほど前、アメリカ駐在最後の年に、一年の間に4回もフルマラソンを走ったことがあって、フルマラソンなるものはド素人の市民ランナーでもメンタル面を調整するのは簡単ではないことを痛感した。ましてや微妙な加減の中で体力ぎりぎりのところで挑戦するエリート・ランナーをや・・・である。
インタビューで、「自分のためだけには頑張れない」 「誰かのためにとか、誰かが喜んでいる姿を見たいと思ってやっていると、自然とやらなきゃなって、期待に応えたいっていう気持ちが原動力になっているかなあって思います」と語っていた。なんて素直でよい子なんだろう。
東京五輪について、軽々しく延期や中止を語る著名人が話題になるが、選手の思いを想像したことがあるのかと、実に不愉快である。野球やバスケやフットボールやラグビーは、毎年、盛り上がるので、まだいい。それ以外の競技の中には、オリンピックでもなければ、なかなか注目されないものもあって、モチベーションを維持するのはもとより、下世話な話で、スポンサーを確保し(それが国の場合であっても)、支援してもらうのがどれほど大変か、私も知らないので想像するしかないが、一世一代の檜舞台であることを、著名人の方々は想像したことはないのではないか。五輪の商業主義は褒められたものではないが、競技に打ち込む選手たちが生活できないようでは元も子もない。更に思い出されるのは、1980年のモスクワ五輪ボイコットで、瀬古さんは人生の絶頂期に五輪のマラソンを走る機会を逃してしまった。本人の無念は想像を遥かに超えるであろう。野球やバスケやフットボールやラグビーは、このご時世でもなんとか実施されているので、いろいろな制約はあるにしても(最大の制約要因は医療支援だろう、これは出場選手の母国の医療リソースを要請してもよいのではないだろうか)、どのような形であろうと東京五輪が開催されることを願って止まない。