一週間ほど前のことになるが、フランスの女優ナタリー・ドロンが亡くなった。享年79。
あらためて79歳と知ると、もうそんなに時間が経つのかと感慨深いが、名前の通り、アラン・ドロンと結婚したことで有名な彼女については、青春映画の金字塔(のひとつ)、『個人教授』(1968年)に出演した頃のことが、フランシス・レイの甘いテーマ音楽とともに、忘れられない。もとよりリアルタイムに映画館ではなく、後にテレビの●曜ロードショーで観たのだが、洋画に目覚めて、なけなしの小遣いで『スクリーン』という洋画専門の映画雑誌を毎月購読していた中学生の頃だったから、ルノー・ベルレー演じる高校生と、ナタリー・ドロン演じる年上女性の、ほろ苦くも切ない恋物語には、当時のパリの街並みや、黄色いランボルギーニ・ミウラの爆音(!)や、コケティッシュな魅力のパリジェンヌのイメージが強烈で、ことのほか思い入れが強い。なお、偶々だが、この映画で恋人のレーサー役を演じたロベール・オッセンも、ほんの三週間前の昨年12月末に亡くなっている。享年93。50年もの歳月は、生身の人間をこのように変えてしまう。
アラン・ドロンはAFPに対し、「とても悲しい。自分が愛した人が亡くなることは常に痛ましいものだ」「僕らは常に連絡を取り合い、頻繁に会っていた。僕は彼女の人生の一部で、彼女は僕の人生の一部だった。クリスマスをまた共に過ごして、一緒に写真を撮った。最後の写真になった」と語った。結婚生活は僅か4年だったが、完全に破綻したわけではなく、その後も良い関係が続き、確かに昨年のクリスマスを一緒に過ごす姿が、二人の一粒種のアントニー・ドロンのインスタグラムに投稿されているらしい。フランス人らしい男女の機微であろうか。
レベルは違うが、私の人生でも、ほんの一瞬ながらも大切な「一部」だった。人は10代の頃に出会った人やモノ(映画や音楽など)の感動については一生引き摺るようだ。もっとも、YouTubeで映画の一場面を見て懐かしく胸がきゅっと痛むのは、垣間見えるパリの生活や、二人乗りするバイクの奔放な姿や、若かりし頃の彼女の輝きそのものと言うより、それらのイメージに染みついた当時の自分の思いが俄かに蘇るからなのかも知れない。記憶のメカニズムのなんと不思議なことだろう。ただの通りすがりでしかない彼女は、私の人生に陰影を与え、特別な思いを喚起して、作品の中で永遠に生き続ける。
あらためて79歳と知ると、もうそんなに時間が経つのかと感慨深いが、名前の通り、アラン・ドロンと結婚したことで有名な彼女については、青春映画の金字塔(のひとつ)、『個人教授』(1968年)に出演した頃のことが、フランシス・レイの甘いテーマ音楽とともに、忘れられない。もとよりリアルタイムに映画館ではなく、後にテレビの●曜ロードショーで観たのだが、洋画に目覚めて、なけなしの小遣いで『スクリーン』という洋画専門の映画雑誌を毎月購読していた中学生の頃だったから、ルノー・ベルレー演じる高校生と、ナタリー・ドロン演じる年上女性の、ほろ苦くも切ない恋物語には、当時のパリの街並みや、黄色いランボルギーニ・ミウラの爆音(!)や、コケティッシュな魅力のパリジェンヌのイメージが強烈で、ことのほか思い入れが強い。なお、偶々だが、この映画で恋人のレーサー役を演じたロベール・オッセンも、ほんの三週間前の昨年12月末に亡くなっている。享年93。50年もの歳月は、生身の人間をこのように変えてしまう。
アラン・ドロンはAFPに対し、「とても悲しい。自分が愛した人が亡くなることは常に痛ましいものだ」「僕らは常に連絡を取り合い、頻繁に会っていた。僕は彼女の人生の一部で、彼女は僕の人生の一部だった。クリスマスをまた共に過ごして、一緒に写真を撮った。最後の写真になった」と語った。結婚生活は僅か4年だったが、完全に破綻したわけではなく、その後も良い関係が続き、確かに昨年のクリスマスを一緒に過ごす姿が、二人の一粒種のアントニー・ドロンのインスタグラムに投稿されているらしい。フランス人らしい男女の機微であろうか。
レベルは違うが、私の人生でも、ほんの一瞬ながらも大切な「一部」だった。人は10代の頃に出会った人やモノ(映画や音楽など)の感動については一生引き摺るようだ。もっとも、YouTubeで映画の一場面を見て懐かしく胸がきゅっと痛むのは、垣間見えるパリの生活や、二人乗りするバイクの奔放な姿や、若かりし頃の彼女の輝きそのものと言うより、それらのイメージに染みついた当時の自分の思いが俄かに蘇るからなのかも知れない。記憶のメカニズムのなんと不思議なことだろう。ただの通りすがりでしかない彼女は、私の人生に陰影を与え、特別な思いを喚起して、作品の中で永遠に生き続ける。