ミャンマーで発生した軍事クーデターに反対する市民の抗議デモが広がり、軍・警察によるデモ弾圧によって、(人権監視団体によると)死者は180人以上、現在も身柄を拘束されている市民は2000人以上にのぼる(AFPによる)など、極めて憂慮される事態に立ち至っている。ヤンゴンなどの一部では戒厳令が発出された。軍・警察のことを治安部隊と称するメディアがあって、これではデモ参加者がまるで暴徒であるかのようだが、基本的には「不服従」運動の一環のようである。
クーデターと言えば、日本人は二・二六事件を思い浮かべて過剰反応してしまいがちだ。私も10数年前、マレーシアに駐在していたときに、お隣のタイでクーデターがあって、テレビ報道は盛んにクーと呼び、新聞はCoupと書き立てて(フランス語のcoup d'Étatの略)、会社の現地人の同僚に、大丈夫か!?と心配して尋ねたら、いつものことだと平然と言い放たれて、へえ、そんなものかと驚いたものだった。そのため、今回もミャンマーでクーデターが発生した当初は、不覚にも、またやってるな、とか、こういう土地柄だしなあ、などと軽く受け流してしまった。
数日前のウォールストリート・ジャーナル紙は、「選挙で選ばれた政府を復活させようとする運動で先頭に立っているのは、比較的開放的で民主的な移行期に大人になった若者たち」で、「こうした動きは、香港やタイ、ベラルーシ、ロシアの大規模なデモに続くもの」だと報じた。2011年にようやく民政移管を果たしたミャンマーでは、完全な民主化ではなかったにしても、2012年には国家の検閲が解除され、「何百万人もの若者がインターネットを通じて初めて世界とつながった」(同紙)らしい。「当局が武力行使を開始して以来、デモの最前線にいる若者は戦術を変更。香港の街頭デモに倣って流動的に行動し、暗号化されたメッセージアプリを使用している」(同紙)そうだ。
僅か10年とは言え、民主化の経験は尊いものだと思う。
たとえば中国には、歴史上、民主化の国民的経験がなく(そもそも西欧的な意味での“国民”国家とは言えず、今なお人民と呼ぶ)、天安門事件はこともなげに捻り潰されてしまった。中国共産党という革命政権(王朝)は、ネットを通して世界が繋がる時代に、グレート・ファイアーウォールを築いて外の世界から情報を遮断するなど、本来この地にあったはずの革命思想(天子=皇帝は、命を天に受けて主権者となり、天下を乱すと、天命によって主権者であることを改められる=革命)を否定し、反革命を抑えつけるべく、独裁体制を着々と強化している。また、中東地域は、部族制の特殊な社会にあって、アラブの春で盛り上がったものの、やはり民主化の国民的経験がなく、民主化どころか地域の安定を維持することにも苦労する始末だ。その点、ミャンマーの場合、アウンサンスーチーさんには政治力がないとか中国に阿っているなどの批判が軍部にあるようだが、国民からは絶大なる信頼を寄せられ、軍制に対する明確な反対意思が表明されている。この10年の国民的経験、とりわけその民主化の中で育った若者たちの経験は、重い。
ここでも注目されるのは、一帯一路を通して勢力圏を拡げる中国の存在である。マラッカ海峡を通らずにインド洋に抜ける道としてミャンマーを地政学的要衝と見做す中国は、軍政時代には欧米が経済制裁を科す中で経済支援を通して軍部を取り込み、その後はアウンサンスーチーさんとも良好な関係を築いている(もっとも、いつものようにプラグマティックに内政不干渉を貫く中国は、却って軍政の後ろ盾と見られてミャンマー国民の反発が広がっていることに神経を尖らせている模様だが)。欧米では民主化弾圧を批判する声が高まるが、下手に制裁強化するとミャンマーを中国側に追いやりかねないとして、今のところ制裁するにしても抑制的だ。
そんな中、日本の立ち位置が問われている。大東亜戦争ではミャンマー(当時ビルマ)独立を支援し、戦後も欧米とは一線を画して特別な関係を維持した歴史があって、おいそれと欧米の制裁に同調できない事情は理解できなくはない。それだけに、軍部と、アウンサンスーチーさん率いるNLD(国民民主連盟)政権と、両方にパイプがあると言われるのであれば、旗幟鮮明に、あくまでも民主的な価値への支持を表明しつつ、和解の舞台や条件を設定するなど双方の歩み寄りを促す日本独自の外交を発揮して貰いたいものだと切に思う。何よりミャンマーの若者たちが、香港の若者たちの二の舞(のよう)になるのを見るのは忍びない。
クーデターと言えば、日本人は二・二六事件を思い浮かべて過剰反応してしまいがちだ。私も10数年前、マレーシアに駐在していたときに、お隣のタイでクーデターがあって、テレビ報道は盛んにクーと呼び、新聞はCoupと書き立てて(フランス語のcoup d'Étatの略)、会社の現地人の同僚に、大丈夫か!?と心配して尋ねたら、いつものことだと平然と言い放たれて、へえ、そんなものかと驚いたものだった。そのため、今回もミャンマーでクーデターが発生した当初は、不覚にも、またやってるな、とか、こういう土地柄だしなあ、などと軽く受け流してしまった。
数日前のウォールストリート・ジャーナル紙は、「選挙で選ばれた政府を復活させようとする運動で先頭に立っているのは、比較的開放的で民主的な移行期に大人になった若者たち」で、「こうした動きは、香港やタイ、ベラルーシ、ロシアの大規模なデモに続くもの」だと報じた。2011年にようやく民政移管を果たしたミャンマーでは、完全な民主化ではなかったにしても、2012年には国家の検閲が解除され、「何百万人もの若者がインターネットを通じて初めて世界とつながった」(同紙)らしい。「当局が武力行使を開始して以来、デモの最前線にいる若者は戦術を変更。香港の街頭デモに倣って流動的に行動し、暗号化されたメッセージアプリを使用している」(同紙)そうだ。
僅か10年とは言え、民主化の経験は尊いものだと思う。
たとえば中国には、歴史上、民主化の国民的経験がなく(そもそも西欧的な意味での“国民”国家とは言えず、今なお人民と呼ぶ)、天安門事件はこともなげに捻り潰されてしまった。中国共産党という革命政権(王朝)は、ネットを通して世界が繋がる時代に、グレート・ファイアーウォールを築いて外の世界から情報を遮断するなど、本来この地にあったはずの革命思想(天子=皇帝は、命を天に受けて主権者となり、天下を乱すと、天命によって主権者であることを改められる=革命)を否定し、反革命を抑えつけるべく、独裁体制を着々と強化している。また、中東地域は、部族制の特殊な社会にあって、アラブの春で盛り上がったものの、やはり民主化の国民的経験がなく、民主化どころか地域の安定を維持することにも苦労する始末だ。その点、ミャンマーの場合、アウンサンスーチーさんには政治力がないとか中国に阿っているなどの批判が軍部にあるようだが、国民からは絶大なる信頼を寄せられ、軍制に対する明確な反対意思が表明されている。この10年の国民的経験、とりわけその民主化の中で育った若者たちの経験は、重い。
ここでも注目されるのは、一帯一路を通して勢力圏を拡げる中国の存在である。マラッカ海峡を通らずにインド洋に抜ける道としてミャンマーを地政学的要衝と見做す中国は、軍政時代には欧米が経済制裁を科す中で経済支援を通して軍部を取り込み、その後はアウンサンスーチーさんとも良好な関係を築いている(もっとも、いつものようにプラグマティックに内政不干渉を貫く中国は、却って軍政の後ろ盾と見られてミャンマー国民の反発が広がっていることに神経を尖らせている模様だが)。欧米では民主化弾圧を批判する声が高まるが、下手に制裁強化するとミャンマーを中国側に追いやりかねないとして、今のところ制裁するにしても抑制的だ。
そんな中、日本の立ち位置が問われている。大東亜戦争ではミャンマー(当時ビルマ)独立を支援し、戦後も欧米とは一線を画して特別な関係を維持した歴史があって、おいそれと欧米の制裁に同調できない事情は理解できなくはない。それだけに、軍部と、アウンサンスーチーさん率いるNLD(国民民主連盟)政権と、両方にパイプがあると言われるのであれば、旗幟鮮明に、あくまでも民主的な価値への支持を表明しつつ、和解の舞台や条件を設定するなど双方の歩み寄りを促す日本独自の外交を発揮して貰いたいものだと切に思う。何よりミャンマーの若者たちが、香港の若者たちの二の舞(のよう)になるのを見るのは忍びない。