松の内が明け、すっかり平常に戻りました・・・と言う言い方は正確ではなくて、今年は暦に従い4日に仕事始めで、正月気分はとうの昔に抜けています。
正月気分と最も密接に関わるのは、お節料理だろうと思います。子供の頃は、年末ともなると、大掃除やお節料理の作りおきなど、正月を迎える準備で母親は大忙しでした。子供も手伝いに借り出され、慌しく年越し蕎麦を駆け込んで、その分、年が明けると、大掃除で埃一つ落ちていない我が家で、家族揃ってあるいは親族とのんびり清新な正月を過ごすのが日本人の形であり姿でした。実際には、子供心に、お節にはすぐに飽きてしまって、次の日にはラーメンやカレーが食べたくなったものでしたが、有無を言わせない伝統の重みがありました。
ところが、そうした庶民の潜在的な欲求を捉えた逞しい商魂のお陰で、今ではお節を作りおきする家庭は極めて稀で、もはや買って来るのが相場となり、せいぜい自作とのミックスなのが実情ではないかと思います。我が家でも、お節をつまむのはせいぜい元旦だけ、残り物を二日に、といったところ。私のような年代(一体どういう年代!?)にとって、お節料理=正月気分のところがあって、お節をつまむ期間が短くなるとともに、正月気分も抜けてしまいます。
こうして逞しい商魂は、日本人がゆっくり休むものだった正月をも商機にしてしまいました。子供の頃は、店のシャッターに張り紙をして松の内は店を開けないことを宣言するところが多かったと記憶しますが、ここ20年で風景はがらりと変わり、正月気分は松の内どころか、いつの間にか三箇日だけになり、やがて元日だけ、つまり正月が一祝日に過ぎなくなり、ついにはお年玉を当て込んだ元旦営業が当たり前になって既に久しく、コンビに至っては24時間営業で休みなしと、良いのか悪いのか、折角の一年の計をじっくり考える暇もないほどです。
お節料理と双璧をなす、新年を迎える年末の行事である大掃除も、正月が特別だという気分が薄れるにつれて、廃れて来ました。昔の家の造りは、大掃除や定期的な手入れが必要なほどの広さと複雑さと繊細さがあったように思いますが、現代のマンションやアパート暮らしは手がかからず平板で、大掃除の必要はもはやないのかも知れません。
正月には欠かせない年賀状も、遠い近いに関わらず友人・知人の年に一度の所在確認として、正月気分を盛り上げてくれたものでしたが、最近はE-Mailや携帯メールで済ませることが多くなりました。携帯電話の普及に伴って、自宅住所の情報としての重要性が後退したことに加え、特に会社においては、情報セキュリティの高まり(過剰反応)とともに、自宅住所が個人情報としておおっぴらに共有されなくなりました。どうせ始終顔を突合せ、正月明けにはまた顔を合わせる間柄とは言いながらも、儀礼的に年賀状を出して来ましたが、今年は、いざ年賀状を書こうにも、同僚の住所を知らないという事態に立ち至り、とうとう一枚も出さずじまいでした。
何もやることがない正月を裏で支えてきたテレビ番組だけは、今も変わらず、正月気分を騒々しく盛り上げています。特番のオンパレードで、どうせ撮影したのは12月だろうと斜に構えつつ、子供の頃はそれなりに楽しんでいましたが、どこもかしこも同じような趣向で、今では見るとはなしに、子供に付き合う程度です。最近のお笑いには「芸」がない、あるのは学生のコンパ芸レベルの内輪受けだと思うのは、年齢のせいで、若い人たちの笑いについて行けないヒガミです。
そんなこんなで、久しぶりに日本で正月を迎えてみると、海外に滞在していた時には、ないものねだりのように憧れを抱いていた正月気分は、今の日本には存在せず、あるのは、いにしえの日々の中にだけという現実に、あらためて気がつきます。正月気分は、もはや郷愁になってしまった。現代文明社会における便利さと引き換えの、文化的な味気なさ、と言えるでしょうか。
上の写真は、ウルル(エアーズ・ロック)の日の出です。人間にとっての原風景・・・都会と違ってけばけばしいネオンは一切なく、夜は漆黒の闇に包まれ、それだけに、周囲がだんたん明るくなって朝日が昇り、また一日が始まる・・・ときの喜びには、えも言われぬ感動があり、ごく素直に自然の恵に感謝したくなります。それは一年が始まるときにも繋がるものだと思います。
正月気分と最も密接に関わるのは、お節料理だろうと思います。子供の頃は、年末ともなると、大掃除やお節料理の作りおきなど、正月を迎える準備で母親は大忙しでした。子供も手伝いに借り出され、慌しく年越し蕎麦を駆け込んで、その分、年が明けると、大掃除で埃一つ落ちていない我が家で、家族揃ってあるいは親族とのんびり清新な正月を過ごすのが日本人の形であり姿でした。実際には、子供心に、お節にはすぐに飽きてしまって、次の日にはラーメンやカレーが食べたくなったものでしたが、有無を言わせない伝統の重みがありました。
ところが、そうした庶民の潜在的な欲求を捉えた逞しい商魂のお陰で、今ではお節を作りおきする家庭は極めて稀で、もはや買って来るのが相場となり、せいぜい自作とのミックスなのが実情ではないかと思います。我が家でも、お節をつまむのはせいぜい元旦だけ、残り物を二日に、といったところ。私のような年代(一体どういう年代!?)にとって、お節料理=正月気分のところがあって、お節をつまむ期間が短くなるとともに、正月気分も抜けてしまいます。
こうして逞しい商魂は、日本人がゆっくり休むものだった正月をも商機にしてしまいました。子供の頃は、店のシャッターに張り紙をして松の内は店を開けないことを宣言するところが多かったと記憶しますが、ここ20年で風景はがらりと変わり、正月気分は松の内どころか、いつの間にか三箇日だけになり、やがて元日だけ、つまり正月が一祝日に過ぎなくなり、ついにはお年玉を当て込んだ元旦営業が当たり前になって既に久しく、コンビに至っては24時間営業で休みなしと、良いのか悪いのか、折角の一年の計をじっくり考える暇もないほどです。
お節料理と双璧をなす、新年を迎える年末の行事である大掃除も、正月が特別だという気分が薄れるにつれて、廃れて来ました。昔の家の造りは、大掃除や定期的な手入れが必要なほどの広さと複雑さと繊細さがあったように思いますが、現代のマンションやアパート暮らしは手がかからず平板で、大掃除の必要はもはやないのかも知れません。
正月には欠かせない年賀状も、遠い近いに関わらず友人・知人の年に一度の所在確認として、正月気分を盛り上げてくれたものでしたが、最近はE-Mailや携帯メールで済ませることが多くなりました。携帯電話の普及に伴って、自宅住所の情報としての重要性が後退したことに加え、特に会社においては、情報セキュリティの高まり(過剰反応)とともに、自宅住所が個人情報としておおっぴらに共有されなくなりました。どうせ始終顔を突合せ、正月明けにはまた顔を合わせる間柄とは言いながらも、儀礼的に年賀状を出して来ましたが、今年は、いざ年賀状を書こうにも、同僚の住所を知らないという事態に立ち至り、とうとう一枚も出さずじまいでした。
何もやることがない正月を裏で支えてきたテレビ番組だけは、今も変わらず、正月気分を騒々しく盛り上げています。特番のオンパレードで、どうせ撮影したのは12月だろうと斜に構えつつ、子供の頃はそれなりに楽しんでいましたが、どこもかしこも同じような趣向で、今では見るとはなしに、子供に付き合う程度です。最近のお笑いには「芸」がない、あるのは学生のコンパ芸レベルの内輪受けだと思うのは、年齢のせいで、若い人たちの笑いについて行けないヒガミです。
そんなこんなで、久しぶりに日本で正月を迎えてみると、海外に滞在していた時には、ないものねだりのように憧れを抱いていた正月気分は、今の日本には存在せず、あるのは、いにしえの日々の中にだけという現実に、あらためて気がつきます。正月気分は、もはや郷愁になってしまった。現代文明社会における便利さと引き換えの、文化的な味気なさ、と言えるでしょうか。
上の写真は、ウルル(エアーズ・ロック)の日の出です。人間にとっての原風景・・・都会と違ってけばけばしいネオンは一切なく、夜は漆黒の闇に包まれ、それだけに、周囲がだんたん明るくなって朝日が昇り、また一日が始まる・・・ときの喜びには、えも言われぬ感動があり、ごく素直に自然の恵に感謝したくなります。それは一年が始まるときにも繋がるものだと思います。