想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

今の時代の価値観とは?

2019年11月24日 | エッセイ

震災9年11月24日

 益々便利な世の中になってきました。勉強が分からなければ、塾に行く、ちょっと調子が悪ければ薬を飲んだり医者に行く、薬も次々と新薬が出て薬漬けになってしまいます。おいしい物が食べたければ外食するなど、何でも頼めば相手がやってくれる時代です。

 便利な世の中は、トイレも、用を足せば自動で水が流れ、汚物が処理されてしまいます。果たしてこれでいいのだろうかと想うときがあります。自分で考えたり工夫したりしてやったりするのでなく、他力に頼っているということです。便利な世の中は自分で何もやりません。これでは、益々自分で考え、行動するという力が衰えてきます。

 生活や文化も長い年月経てば、常識に従っていれば、事足りてしまいます。それに従っていれば、生活しやすいのでしょうけど、それは社会や気象が変化しないで固定的な時代はよかったのでしょうが、今のように社会の仕組みも気象も大きく変化してきている時代にあっては、常識も疑って見る必要があります。そして、前提が過去と変わっているのなら、常識も変化していくはずですので、それに合わせて変えていかなくてはなりません。いわゆるそうしていかないと時代の流れについていけなくなるのです。トレンドに乗っていけないのです。

 果たしてこれで、いいのでしょうか。世の中が専門化し、複雑化すればするほど、分業化され、専門は専門に任せるという風になるのはやむをえませんが、専門化し複雑化するのは枝葉末節な事です。本質は昔とちっとも変わっていないはずです。今の様な世の中になればなるほど、本質は何であるかと、問いかける事が重要になってきます。そのことを忘れ、今の時代は、枝葉末節にとらわれる傾向があります。

 そうです。今こそ本質をつかみ、そこから、考え直すことが大切な時代になったのです。何の為に人は生きているのか、生きる最終目標に何をおいて生きるのが、価値ある人間なのだろうか。その遙か究極的な目標をはっきり自覚することが大切です。その上で、専門化分業化を考えるのです。

 専門化し分業化すればするほど、本質は分かりずらくなります。絶えず人生の最終目標に自他の幸せを置き、その中でITはどう機能しているのかな、民主主義の仕組みはいいのだろうか、便利な世の中はただ、それを利用するだけでいいのだろうか、会社は何を目指すのか、働くことは何なのか、食事はどうなのか、便利な物を利用することにより衰えてしまう体の機能は無いだろうかと考える。等々、人生の最終目標から具体を考えることが大切です。

 

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