震災2年2月12日
震災後早や11ヶ月になろうとしている。野田総理が早々終息宣言を打ち上げたが、最近になり、また、炉の温度が上昇してきている。原因が分からないだけに心配というか不気味な感じがする。大きなことにならなければと祈る。
さて、我が家の畑も昨年は遊ばせておいた部分があり、そこは夏は雑草がすごく、一時はどうしようかと思ったが、これはこれで色々な虫たちの住みかになり虫たちの目から見れば素晴らしい隠れ家ができよかったと思う。やがて、夏の草も晩秋になり寒くなり始めると枯れ草となり土に帰る準備を始めた。一年そこは休めた土地なので今年はどう使おうかと考え、昨年12月に焼き畑にしておいた。灰がカリ肥料にもなるので、作物には結構いいと思う。今年も4畝全部を耕すのは自分の仕事との関係上、無理があるので、半分くらいは土地を休めておくことにしている。その辺のリズムが畑を元気にしたり昆虫や微生物の力を借りながら生態系を維持しながら作物を作るのにいいリズムになるような気がする。{むだ、無理、むら}と、いう言葉があるが、これをどう畑作にいかしていくか今後も考えたいと思う。音楽でいうところの休符の部分をどう畑作に、盛り込むか、また、建築でいう空間の部分をどうとらえるか、絵画でいう地の部分も同じようなものであろう。自然は偉大である。上手に扱えば行き過ぎれば修復する能力がある。科学は自然を理解するのに使うべきである。そうすれば自然は人間に刃を向けない。恵みを与える。畑作は自然理解の素晴らしい道場である。
※焼き払った後
また、11月頃種をまいておいたエンドウ豆も少しばかり伸びてきた。この調子では春になると収穫ができるようになると思う。
マメ科植物の根には、こぶのような根粒がついています。この中には根粒菌という細菌がいて、宿主のマメ科植物から栄養をもらって生きています。一方、根粒菌は、植物がつくれない物質をつくることができ、その物質をマメ科植物にも与えています。
まだまだ、自然の懐はとてつもなく大きい、自然の恵みに感謝しないと大変なことになる。そう、自然に畏敬する念が大切だといつも思う。自然は偉大なる教師である。
※手前は白菜 真ん中はエンドウ豆 後ろはエシャレット
今日は朝のウォーキングを終え、朝食を済ませ、新聞を読み、テレビを見た後畑に行って鶏糞を混ぜ、畝を二つほど作った。休みの日に少しずつやっておけば暖かくなってジャガイモを植えるに楽になるだろうと思う。また、焼き畑にしたところなので、カリ肥料も十分ありおいしいジャガイモができるだろうと思う。もう少し気温が上がってきたら植えていきたい。種がはいればインカノメザメあたりがいいのだが希少品種なのでむつかしいかもしれない。メイクイーンでも植えるしかないかな。
日本の農業の自給率は 40%以下といっているが、まだまだ、近くの畑を耕作して使えばもっと、自給率は上がるのではないかと思う。昔は、このようにして地産地消していたわけだから、今後もできるだけ地産地消で旬のものを食べるように心掛ければTPPの問題もクリアできるのでは無いかと思う。だいたい、冬に夏野菜であるトマトやキュウリを食べることは自然の摂理からいっておかしいと私は思う。これを機会に食育とは何かをもう一度各自が自問自答してみるといいと思う。夏には夏のものを食べればそれだけ栄養価も高いことだし、わざわざ温室で育てたものや外国から冷蔵で輸入したものを食べる必要はさらさら無いと思う。食の多様化と地産地消とは別のものだろうと思う。自然のことを考えれば当然輸入もんを食べることがおかしいと言うことに気づくことだろうと思う。クリスマスになると苺が沢山出回るが、苺の旬はもともと5月頃である。その時期まで待って食べればよい。また、日本人は無理して外国産のものを食べなくても困ることは無いだろう。困るのは食品会社や商社などだろう。
もっと、自然のことを理解するようになれば、必然、地消地産に流れは向かうだろう。人間の体ももともとそのようなものを受け入れるようになっているはずだ。
※鶏糞を混ぜ二畝ほど作った。