震災5年10月27日
生きていることとは、今、その瞬間の時間の中を流れていることです。自分が意識するかしないかに、関わらず、私たちはその刹那の中に今いるのです。今という刹那は未来に向かっていつもX軸を横に流れているのです。諸行無常も同じようなものでしょう。
それは、いつもエネルギーとベクトルを持って流れているのです。まさに、私たちはその真っ只中にいるわけです。それを意識するかしないかの問題です。
神がいるかいないかも同じような問題ではないでしょうか。いないと思えばいなし、いると思えばいます。ただ、その存在に気づいているかいないかの問題では無いかと思います。あまり、考えすぎると哲学の問題に入ってしまいます。単純に信ずるか信じないかの問題でもいいのではと思います。
Simple Is Beautifulと言う言葉があります。そうです。物事は、単純に考えることが大切です。一見複雑に見えることも、基をただせば、シンプルに立ち返るのです。tabula rasaも一面、同じようなことかもしれません。もともと、人間はtabula rasaの状態で生まれてくるようです。
もっとも、人間には遺伝子がありますので、生まれる前からある程度は素質を持って生まれて来ます。後は、環境との関連でその人の人生は決まってくるのでしょう。そう考えると、単純にtabula rasaの状態で生まれて来るというのは、ちょっと、考えられません。
さて、複雑に絡まっている糸も基は一本の糸です。それをほぐして行けば、解決します。現在の世の中がITなどでどんなにか複雑で迷路のように思われるかもしれませんが、根本は今も昔も同じ単純なんだろうと思います。それに、惑わされている現代人がいるだけです。
信仰も難しく考えたり理屈をこねても出来ません。単純に信ずるか信じないかだけなのです。ただ、神様も右から左まで色々いますので、おかしな宗教にはまると大変なことになります。私は神は存在するという考えに立っています。ただ、人はそれに気づく人と気づかない人がいるだけだと思っています。
その神も色々あるでしょう。キリストやアラーなどの人格神といえるものから、日本のように万の神、または自然を神と考える人もいます。
私はどちらかというと、自然を作っている根源的なものを神としています。置き換えると自然の摂理=神と考えています。多分、現世がつきるまで、この考えをよりどころにして来世に旅立ってゆくのでしょう。
その後の世界がどうなるかはわかりません。ただ、ただ自分の価値を生かすことしか考えていません。素晴らしい価値があるからこそ、このように存在しているという自覚を持って生活しています。残された人生この考えにそって毎日息をしているようなものです。現世をどう生きるのが自分や人の為になるのかを考えている毎日です。
「人間到る処青山あり」まあ、そんな心境でしょうか。 ???