想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

自然治癒力と医療のバランスを考える

2024年11月30日 | 健康

 コロナ5年11月30日(ウクライナ、ロシア戦争3年)


先日、体調を崩してしまいました。吐き気がしたり、下痢をしたりと散々な状態でした。その原因を考えると、どうも食べ物に関連している気がします。具体的には、今年の高温の影響で十分に熟していない干し柿を食べたことが関係しているのではないかと思っています。ただ、それが本当の原因かどうかは分かりません。


体調を崩した後、私は「自然治癒力」というものについて改めて考えました。医療とは、本来この自然治癒力を補完するものであり、まずは自分自身の力を信じてケアすることが大切だと感じています。特に今回、二日間ほどほとんど何も食べず、水分補給だけで過ごしてみました。普段のウォーキングや軽い運動をしてみても、体力が不思議と衰えていないことに驚きました。


思い返せば、子供の頃も胃の不調で吐いたことが何度かありました。その時と比べて、年齢を重ねた今のほうがむしろ回復が早いように感じることもあります。これは、自然治癒力の恩恵なのかもしれません。


もちろん、医療を否定するわけではありません。現代医療の素晴らしい技術や恩恵をたくさん感じています。ただ、過度に頼りすぎるのではなく、まずは自分の力で乗り越えようとする姿勢が大事だと改めて感じました。そして、そのうえで必要な医療の力を借りれば良いのではないかと考えています。


自然治癒力と医療のバランスをどう取っていくか――これが私の今後の課題です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

干し柿が当たったか?嘔吐、下痢

2024年11月29日 | エッセイ

コロナ5年11月29日(ウクライナ・ロシア戦争3年)

私は体の体調のことを気にするときは、昨日何をしたかな、何を食べたかな。とよく考えます。この習慣は間違ってないなと今でも気にいっています。

まぁ私のスタンスとしては、最終的には何でも自然治癒力で直すと言うのが基本です。それを補完するのが現代医療であると思っています。ですからまず自然治癒力を考え、自分で治せるかどうか、その後やはり西洋医学の力も借ります。借りる時もあります。まぁいいとこ取りかな。

さて、昨日からお腹の調子が悪く、原因はどうも干し柿を食べたことにあるようです。今年の干し柿は高温の影響で湿度が高く、虫が多く寄ってきました。一応アルコール消毒をしていましたが、それでもカビが生えないか心配していました。見た目にはカビは確認できませんでしたが、虫がついていた部分に細菌が付着し、それが体内に入ったのかもしれません。そのせいでお腹を壊してしまったのではないかと思います。

実はその前から少しお腹に膨満感があり、胃の調子があまり良くなかったのです。私の場合、胃の調子が悪くなると胃の消化が遅れたような感覚があり、朝に食欲が湧かないことがあります。そんな時に無理して食べると、さらに調子を崩してしまう悪循環に陥りがちです。

今回もその流れで、干し柿を食べてしまいました。18日の夜に2つ食べたのですが、その直後からお腹の調子が悪くなり、気分も悪化しました。夜中にお腹がゆるくなり、大変な思いをしました。その後、朝食は抜き、昼に少し食べてしまいましたが、昼食べたのは間違いだったかもしれません。もう少し、胃の負担を減らした方がよかったかなと想っています。

昨日の晩から経口補水液を飲み、今日は甘酒を摂りました。これで少し回復するかと思いましたが、お昼にバナナも食べてしまい、再び膨満感が出てきました。幸い熱はほとんどなく、36.9度程度だったのは救いでした。

先ほど、教職員共済の医療相談で先生にお話を伺ったところ、「無理に食べない方が良い」とのアドバイスをいただきました。やはり、こうした時は食事を抜いて、胃腸を休ませるのが正解だったようです。今回のことで改めて、断食の健康効果について考えるきっかけを得ました。1日でも断食をすると、普段たくさん食べ過ぎていることの影響や、胃腸の働きの重要性がよくわかります。

今後は、自分の体調に合わせて、必要に応じて断食を取り入れることを検討していきたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木の実と健康について考える

2024年11月28日 | エッセイ



私は自然が好きで、日々自然の風景を眺めながらいろいろなことを考えます。たとえば、冬ごもりする動物たちのこと。クマなどの動物は、越冬の準備のために秋には木の実や種をたくさん食べて栄養を蓄えますよね。その食べたものの中には、木の実や種がたくさん含まれています。


木の実や種は、植物が成長するためのエネルギーや栄養を蓄えた「生命の源」ともいえるものです。その中には発芽する力(胚)があり、成長のためのすべての栄養素が詰まっているのではないか、と私は考えます。言い換えれば、木の実や種は自然のエネルギーそのもの。


私は「医食同源(いしょくどうげん)」という考え方に共感しています。食べ物は薬と同じように健康に直結するという考えですね。だからこそ、木の実や種を日々の食事に取り入れることは、健康を保つうえでとても大切なことだと思っています。


実際、私は20年以上ゴマを毎日のように食べています。ゴマには抗酸化作用のあるセサミンや豊富な栄養が含まれていて、そのおかげか健康を維持できていると実感しています。ゴマだけでなく、松の実、くるみ、アーモンドなどの木の実にも、それぞれ体に良い成分が含まれていますよね。


これからもさまざまな木の実や種を試してみたいと思っています。それが自然からの恵みであり、私たちの健康を支える秘訣なのかもしれません。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私から詩が生まれるとき

2024年11月27日 | エッセイ
コロナ5年11月27日(ウクライナ、ロシア戦争3年)
 
   詩を作るということは、自分の内側から湧き上がる思いを短い言葉に凝縮し、相手に届ける営みです。そのためには、まず自分の感性を研ぎ澄ませ、周りの世界や自身の内面に気づき、感じ取ることが必要です。

  詩とは、論理では割り切れないものを感じ、直感的に捉えるところから始まります。

  
  感覚が鋭くなると、自分の中に自然と湧き上がってくる思いがあります。それをどう言葉にするかが次のステップです。詩は短い言葉の中に豊かな意味を込めるもの。だからこそ、限られた言葉に思いを織り込む工夫が必要です。

   最終的には、自分自身の本物の想いがなければ、詩は形になりません。どんな表現でも同じですが、本当に伝わるものは、自分の中に根付いた想いが基盤となっています。

 
 言葉選びも重要です。相手にどう伝わるかを考えながら、リズムや響きを意識します。言葉には音や流れの美しさがあるので、それを活かすことで詩の魅力が増します。また、繰り返し試行錯誤する中で、新しいアイデアが生まれることもあります。言葉を連想しながら展開させるのも良い方法です。例えば「青」という言葉から「空」や「雲」を思い浮かべるのは一般的ですが、「青」と言ったときにどんな新しいイメージを紡げるかが創造の鍵です。一言で青といっても、群青の青と藍の青ではイメージが全然違います。
 
 ただし、最も大切なのは、人の言葉や考えをそのまま借りるのではなく、それを自分の中で咀嚼し、自分自身の言葉として紡ぎ直すことです。借り物では本当の感動を与えることはできません。それは詩に限らず、生き方にも通じます。
 
 自分自身の納得のいく生き方をしていれば、自然と表現にもそれが反映されます。

 詩作とは、日々の感性と姿勢が形となるもの。その営みこそが、相手の心に響く言葉を生むのです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

枯葉の舞 詩

2024年11月26日 | 
枯葉の舞 
          
行くあてもなく 
風に舞い踊る落ち葉
左へ右へ空へと
舞い上がり  
風の意のまま  
    
その姿は         
生きる目的を見失い
迷い
翻弄される日々のよう 
   
それでも
風の中で静かに輝く  
一片の葉が
陽を浴びて煌めくように

私たちもまた           
小さな輝きを探して        
舞い続ける




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする