想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

薔薇(詩)

2022年05月31日 | 
コロナ3年5月31日(ウクライナ侵攻元年)

蕾1

薔薇
難しい字だなと
いつも想う

この字を漢字で 
書いてみようかな

バラと片仮名で書けば
簡単なのに

薔薇という字は
何故難しい

薔薇
見る度に想う

蕾の頃が
一番美しい

つつましやかで
可能性を
感じるからかな

その蕾の中に
秘めたる想い
どごまでも広がる
未来

蕾は完成までの
過程を想起させる

だから蕾は
魅力的

魅力とは
相手を
惹きつける力

綺麗だけど
棘がある

これも
薔薇の魅力

皐月の空を
カラフルな色で
染め上げる

可能性を秘めた
その蕾が
何故か好き

咲くまでの
プロセスを
想い描かせる

蕾は魔術師
私の心を
今日も虜にする

蕾2

薔薇
難しい漢字

バラと書けば
簡単なのに

薔薇
見る度に想う

蕾の頃が
一番美しい

つつましやかで
可能性を
感じる

蕾の中の
秘めたる想い
どごまでも広がる
未来

咲くまでの
わくわく感が
たまらない

だから蕾は
魅力的

魅力とは
相手を
惹きつける力

綺麗だけど
棘がある

皐月の空を
カラフルな色で
染め上げる

蕾たちよ
上を向け
明日がある

蕾は魔術師
私の心を
今日も虜にする











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1/1秒と1/100秒の違いとは、心理的な時間?

2022年05月31日 | エッセイ
コロナ3年5月31日(ウクライナ侵攻元年)

 歳を取ると時が過ぎるのが早くなる。この事は人間なら誰しもが経験して来ているでしょう。あっもう一年が過ぎたと想うことが日に日に多くなります。余程、自分で意識して生活していないと余計に1年が短く感じてしまいます。これが、鬼籍への一里塚というものでしょうか。
 数学という数を扱う学問があります。この事を大袈裟ですが、数学的に考えると、実は、私の直感ですが…、時の流れというものはどうも、数字で表すと1歳児は1年間を1/1年と感じ、2歳児は1/2年と感じ、1/n年、nは自分の歳の様な関係式が成り立つ様に感じます。70歳になれば1/70年と感じるのではないかという仮説を考えています。
 これを証明したいのですが、私には到底できる力はありませんが、この心理的な時間の関係を数学的に誰かが証明してくれる日が来てくれると嬉しいです。
 絵空事かもしれませんが、こんな事を想うのも若返りにはたまにはいいのかもしれません。
 人生は一生気付きの集積です。常に新しい事とふれあい事が肝要かと想っています。

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75歳が想う認知症改善の真実

2022年05月28日 | エッセイ
コロナ3年5月28日(ウクライナ侵攻元年)

 高齢者にとって健康は最大の関心事であります。特に最大の課題が認知症問題です。認知症になるには、その前にMCIといわれる前段階を通ります。まれに、脳血管が動脈硬化で詰まってしまったという場合もありますが、通常は徐々になってゆくはずです。
 まあ、後期高齢者になれば、誰でもがMCIであるといわれても不思議ではありません。さっきまで、出ていた名前が急に言えなくなったり無意識にドアを閉めたのを忘れていたなどは誰でもあるのです。きっと、脳の中のシナプスの連携がうまく作動しなかったのでしょう。まあ、それは肉体は劣化していくわけですので、仕方がありませんが、その劣化の速度を遅らせることはできるはずです。それが、精神、筋肉、体液の流れ(含む血流)、神経を鍛えることで少しは減らせることは自明の理でしょう。
 具体的には、
・今まで経験してないことに敢えて挑戦する。
 そのことが出来たことの達成感は何物にも代えがたく、精神に大きなインパ
 クトを与える。年寄りは肉体よりも精神で勝負する。
・知識よりも新しい体験を積む。
 知識は資料をみれば分かるが体験はその人の血肉となる。
・本質をつかむ。
 難問にぶつかったとき、新しい物を作り出す時は本質まで遡りそこから新し
 く考え直すと間違いがない。
・なんでも本物志向に心掛ける。
 素晴らしい芸術は人の心を大いに打つ。偽物に騙されていては駄目、何でも本物を見抜く眼力をもつ。本物を知ればそれを作り出そうとする意欲化につながる。素晴らしい人に出会えば尊敬の念が生ずる。尊敬できる人がないのは人生でまだ、そういう人に出会ってないだけ、どこかにそういう人はいる。うちの子は読書が嫌いなんですが、と、言っている親がいるが、よくよく調べてみるとそういういい絵本と出会ってないという事が経験上分かった。また、その絵本を魅力溢れる状態で相手に示してない教師の力量にもよる。
・いつも、遥か彼方に自他のwin winを置きその方向にベクトルを向ける。
・人様の喜ぶ姿を生き甲斐にする。
・言葉は言霊のなまったものであり、温かい思いやりのある言葉遣いに一生心掛ける。
・長年の経験をもとに、社会の不正義や矛盾に果敢に挑戦し、総合的なアプロ    
ーチで改善してゆく努力を微力でもいいから考え実践に結びつける。
・我々の世代は、次世代の若者を育てていく使命がある。単に知識を学ぶだけでなく、昔の松下村塾のような塾が各地にあってもいい。
・断片的に事象をとらえるのでなく、総合的な視点で物事を見極める。
 オギャーと産声を上げてから長い年月をかけて来ているわけですから、肉体は物質ですので、18歳位でピークを迎えやがて後徐々に劣化していきます。自分の身体を眺めていてもそうなんですが、その劣化の速度は後期高齢の前後から加速度的に増していきます。これは避けがたいものですが、受け入れるしかありません。肉体は必ずや滅びて、やがて無になるわけですので、当たり前といえば当たり前の事ですので、すべて受け入れていけばいいのです。
 諸行無常という言葉がありますが、諸行無常はいつの時代でも真理そのものです。真理は変えることはできないので、正しく受け入れるのが正解です。それにあがなってはいけません。
 しかし、人間には肉体ばかりでなく、精神という高邁な永遠不滅な物質ではない心が誰にも宿っているのです。だから、過去の生まれ変わりだとか、永遠の生命だとか、霊感とか、現在の科学では解明できないものが沢山あるのです。それが畏敬の念に結びついてゆくのです。だから、宗教や信仰も存在するのです。
 精神はいくつになっても陶冶し続けることができるのです。ただし、生きている限りはそこに肉体はついて回りますので、肉体にも大いに影響していきます。
 認知症は肉体と共にある病気です。そこに、認知症の問題が潜んでいるのです。その辺に高齢者の認知症を防ぐ鍵があるのです。心が常に陶冶され心の若さを保つことが出来れば、肉体はやがて衰えなくなっていくのですが、その速度を遅らせることが出来るのです。肉体は衰えるのが当たり前ですが、精神が生き生きしなくなったら危ない状態でしょう。認知症になりたくなかったら、その精神をいつも前向きに生き生きさせていきましょう。肉体は一時ですが、精神は永遠です。とこしえに続いていくのです。
 人類が誕生してから、物質である肉体は必ずや滅びてなくなっていくのです。その肉体に心が結びつき、その心が衰えて行くのが認知症でしょう。西洋医学的に認知症をとらえるから、本質がずれ、忘れることが多くなったから、とか見識障害だとかいう断片的なことが問題となるのです。個別なことが原因でなく、人間は広く人格そのものですので総合的にとらえていかないといけないと想います。
 そういう私も、こんなことを考え実践していれば認知症とは縁のない生活を送れるかと想ってブログを発信しています。心配しても一日、笑っても一日なら笑って過ごしたいですね。
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菜園でカブトムシが誕生

2022年05月26日 | 家庭菜園
コロナ3年5月26日(ウクライナ侵攻元年)
 ここ、2、3年前から、有機肥料にキノコ栽培で使った木屑を使うようになりました。これは、近くのキノコ生産のホクト産業という会社から、購入したものです。
 木屑ですので、そこにカブトムシが卵を産むらしくて、スコップで掘り起こしましたら、この時期、カブトムシが羽化して出てきました。
 ちょくちょく以前に幼虫は見つけていましたが、ちょうど羽化する時期になったのかなカブトムシがたくさん見つかりました。
 以前にはキジも卵を産んでいました。色々な昆虫や生き物が出てきているので、なかなか楽しい菜園となっています。










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椰子の実の中に小菊を

2022年05月24日 | 野山散策
コロナ3年5月7日(ウクライナ元年)
 先日、どこかで椰子の実が売っていたので買ってみた。その中には椰子の実のジュースが満々と入っていた。興味津々で一気でそれを飲み干してみた。トロピカルな味は一石二鳥とはこのことか、まてよ、捨てるのはもったいないと想い、これを鉢がわりにして、なかに小菊を入れてみた。これがなかなか感じが良く似合っている。創造とはこういう事かなと想った。誰も気付かないことに気づく。いわゆる想いつきである。まだまだ、私の創造力は健在だなと安心した。無から有を生ずという言葉があるがまだまだどうやら頭は健在のようだ。これから先も色々とアイデアを出していきたいものだ。まだまだ、75歳捨てたものではない。
下書きを推敲したので、期日がずれている。お許しを!



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