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自然は、よく観察することが大切、詰まるところすべては繋がっている。自分と自然界すべて、ある事実とある事実、その裏に因縁果も関連している。物や心もすべて関連の中で起こっている。そして、それらは瞬時にして世界に伝わっている。意識の中ではその関連を断ち切って考えることはできるのだが、根本では繋がっているのが事実なのだ。
昔、小学校で説明文を指導するときに、事実と感想を分けなさい。と、いう指導をよく言われたことがあった。説明文を読んで、事実と感想を分けることは、その内容をある意味ではわかりやすくしているが、事実といえどもその裏には人間の感情がうごめいていると考えるのが妥当だろうと思う。事実と感想とのつながりが見えてくれば大したものだと思う。最初は事実と感想を分けて考えてもいいだろう。しかし、根底ではつながっていると考えないと主題が見えてこない。人間とはそのように簡単には分けることのできないものなのだ。
自然界も然り、白と黒と分ければこんなに簡単なことだと思っても、その間にグレーゾーンというか、のりしろの部分が存在するのだ。その「のりしろ」が結構大事な役割をしているのだ。家いえば空間である。朗読でいえば間である。人生でいえばゆとりであろう。それらがあるからこそ、それがクッションとなり間合いがうまく行く。
最近の温暖化の気候はそれが、なくなりつつあるように思う。猛暑と極寒、洪水と干ばつが交互に来て、春や秋というクッションになる季節がなくなりつつある。由々しき問題である。
色々な場面でこのような先鋭化が起こっている。しかし、世の中を広くとらえれば、それもやがて収まって来るというのが自然界であるはずだ。気圧の高いところから空気は低いところに向かって流れる。そして、風が起こる。やがてそれが終われば、気圧の差はなくなり、風はやむ。いわゆる凪(なぎ)という現象だ。しかい、やがて、また、気圧の差が生じ風が起こる。弁証法的な考え方である。自然界はこのようにして日々瞬時流転する。 経済とて同じである。日本が絶頂期を迎えればやがて、バブルとなりはじけてその流れが変わる。地価が下がり、その流れは中国へ向かった。中国は今や世界第2位の経済大国となった。しかし、それも矛盾を抱えやがてバブルを生み、その流れはインドへ向かい、やがてアフリカや中南米の貧しい国に向かうだろう。そして、すべて一巡した後の世界こそ、経済を主体として世界でなく、心や精神的な幸せを第一に考える世界に向かうだろうと考えられる。
どちらにしても、世の中はつながりの世界なのだ。周りの事象を主観を離れ客観的な目で観察する必要がある。そして、今、何が起こっているか。どうして、このようなことが起こるのか、よく考える必要がある。そして、そのことが、世界と瞬時につながっていることを理解する必要があるなとつくずく思う。どこかで、干ばつがおこっているということは、どこかで洪水が起こっていると言うことだ。世界はつながっているのだ。そのことが今は、インターネットで瞬時に分かる世界になってきている。インターネットの世界でもWWWのウェブで世界はつながっている。ガラパゴス化などと言っている場合でないのだ。