大切な事は認知症の前にまず症状があるわけですね。それを老人は怖がっているわけですね。その症状が穏やかな人もあるしね。徘徊する人もあるしいろんな人がいると思います。同じ認知症とといってもレヴィー 小体認知症とかいろいろ血管が詰まる病気もいろいろありますので、いろいろですね。
まぁ歳をとれば、生物は必ず老いて行きます。認知症と言う言葉が最近盛んに使われるようになってきました。発達障害と言う言葉も盛んに使われるようになってきましたね。言葉は後から人間が勝手につけます。生物である限り、人間は必ず死を迎えるわけです。
だからやたら薬を飲んで直そうとしたりしないで、自然治癒力が尽きたなと思えばいいのです。困る事はありません。
認知症と言う言葉ができちゃったもんだから大変なことになりましたけども、言葉だけが一人歩きをしていますね。MCIも同じです。別に忘れることがあったっていいんじゃないですか。歳をとれば必ず衰えていくわけですので、それを受け止めればいいです。ただそれだけです。
認知症と言う言葉だけが突出してしまいますが、要は生物は必ずいつかあの世に行くわけです。あんまりあくせくしないで、自分と言うものを見つめてください。案外知識は忘れたりしますが、感性や感情はいくつになっても衰えないものです。基本的には死ぬまで残ります。
歳を重ねれば、必ず人間はすべての活動が弱まっていくのが世の中の原理です。1番最初に衰えるのはやはり知識でしょう。記憶でしょう。感じる心と言うのは案外最後まで残るものです。高齢者は経験もありますので、ある面、若い人よりはしっかりしています。知識は若い頃のやり方で覚えるのではなく、シナプスでつながった所の力を利用して年寄りには年寄りなりの覚え方があるのです。
年齢などを忘れて過ごすのが私は1番いいんだと思います。ほっといても必ずあの世からお迎えが来ます。そのときには一緒に手を携えて黄泉の世界へ行けばいいのです。
そうしていけば穏やかな死を迎えることができると思います。下手な医療を施すよりも心の持ち方でどうにでもなるものです。
医者の免許も西洋医学ばかりでなく、東洋医学の良い点もたくさんありますので、東洋医学の医師資格も考えてほしいと常々思っています。
認知症と言う言葉に惑わされることなく、穏やかな死を迎えていきましょう。エージングという言葉がありますが、いつか人は私を迎えるものです。また、諸行無常という言葉もありますが、これは絶えず人間の体は変化していると言うことです。ですから、必ず次はいつか来ますので静かに迎えてください。
コロナ4年11月10日(ウクライナ、ロシア戦争2年)
お医者さんは理論を述べます。実践家は行動で示します。認知症予防には、理論より実践です。多方面に興味と意欲を持ち、簡単なことでも実行することが大事です。
どんな高邁な知識理論を持っていても、それを行動に移さなかったら何にもなりません。歩くことが大切だと言う事は誰でもわかります。問題は歩くのを毎日することです。
私は乾布摩擦を毎朝しています。パンツ1丁になり足や体を擦ります。それから、寝床で10分間柔軟体操をいたします。その後ウォーキングをします。そこで、自分の健康状態を把握しています。健康状態は自分で把握することが最も大切なことです。
健康状態を把握して分かった事は1月の間でも自分の健康に、リズムがあると言うことです。調子の良い時、悪い時があります。一番大切な事は自分の体を自分で知ると言うことです。
どんな立派なお医者さんでも私の体の事は他人には分かりません。やはり1番大切な事は自分の体を自分で知り、理解することです。自分の体のことを知り尽くすことです。
今は薬づけの時代です。まあ、いい薬もありますが、基本的には自分の自然治癒力で直すのです。そういう強い意志力が認知症を防ぐのです。まあ、前頭葉を鍛え、感性を高めることです。
健康を保つには頭で考えないで行動で示すことです。そして、他人と比較しないことです。他人の事は気にはなりますが、自分は自分です。他人に振り回されてはいけません。その人の人生はその人が決めるのです。
何歳まで生きるということじゃなくて、どう生きたかと言うことが大切です。そして、QOLを意識して毎日行動することです。
平均寿命を伸ばすことに意義があるのではなくて、健康寿命はいかに伸ばすかこれが大切なことですね。
仮に平均寿命が伸びたとしても、健康寿命からの期間が長いと医療費だけがかかります。ですから、大切な事はやはり健康である年齢がいくつまで続くかと言うことです。