震災9年2月4日
お寿司は私の大好物です。よく女房とスシローにいってます。寿司は最近、そのおいしさが案外酢飯にあるように想うようになりました。おいしい所とそうでない所の差はすし飯の酢と塩の加減にあるのではと想うところです。また、この辺の所はページを改めてブログしたいと思います。
ところで、昨日は恵方巻きを食べる日でした。我が家でも寿司好きですので、この時期は必ず食べるようになっています。結構ボリュームがあるので、少ないようでお腹が張ります。
恵方巻きはハローインのようなもので、コマーシャリズムに乗っていつの間にか定着しつつあります。クリスマスが来ないとお正月がこないようなものです。クリスマスもバレンタインも商売繁盛を掲げた業者がしかけたものだと理解してますが、このようにして増えて来た行事がいつの間にかたくさん日本の風土にも定着して来ています。
まあ、竹は節あってこそのしなやかな竹ですから、行事は竹の節に当たり毎日の単調な生活にリズムや活を与えるものだと思います。そうして、竹も人もしなやかに成長してゆくと考えれば納得もできます。上手にその行事は利用していきたいと思います。
ただ、最近では、和洋の行事が重なり、節だらけの様相になってきています。2月3日は昔は豆まきの日と決まっていましたが、最近は、恵方巻を食べる日と重なり、恵方巻の方が豆まきよりエネルギーを増して来ているように感じます。
また、週休二日制もあり休みもたくさん増えて来した。今年のゴールデンウィークは10連休と聞いています。年号も変わりますし、休みが増えるのはいいのですが、なんとなくせわしく忙しい年になりそうです。出費もかさみますので、どう過ごそうかと今から心配をしています。来年はオリンピックの年にもなります。
労働環境も過労死の問題もあり、改善され、自由時間が増えて来ています。自由を得るとそれをどう使うかでその人の人生が決まります。自由になると、差が大きくなることは明白です。自由というと放縦の自由を考えてしまいますが、本当はそれは、天に唾するのと同じでその付けは自分にいつか降りかかってきます。心の中にしっかりした規範を持ってのぞまないと、結局それは不自由な世界になってしまいます。自然界も自由にしているように見えてもその中に必ず法則や規範があるのが分かります。放縦の自由など本来ないのです。そこに気づかないで、今、ブラごみの問題で世界がつまづいています。当たり前です。地球環境のサイクルに本来乗らないものものを作っているのですから、これは、作り出した時点でその功罪が分かっていたはずです。即刻これは生産中止にしないと大変なことになります。自由を主体的に使うことの難しさとそれに気づかない人の愚かさを近年感じ始めています。
自分とは自らの分け前と書きます。その人生を決めるのは最終的にはその自分です。天から与えられたその自分の良さを見つけ、気づき、自分で主体的に取り組んで行ける人が求められる時代です。そういう、自己肯定感の強い精神を作っていくしか方法はありません。
人は生来その人が持つらしさと良さがあります。それに気づき周りの騒音にもぶれずにその道を進むしかありません。私も好奇心旺盛ですので、色々とやりたがりますが、しっかりしてないとぶれそうになります。しかし、本来の自分に戻り微調整しつつ、一歩後退二歩前進で思考錯誤しながら進んでいます。
さて、今回の恵方巻きを食べる習慣がいつ始まったのかをちょっと調べてみました。私が若かった頃はこういうものは無かったと思います。クリスマスは幼少からありましたが、その後、バレンタインができてハローウィンになり最近恵方巻きを食べる日ができたのでは無いかと思っています。
恵方巻きとは、節分に恵方を向いて無言で食すると縁起が良いとされる巻寿司のことです。 「恵方巻」という名称は1989年にセブン-イレブン広島県広島市中区舟入店の野田靜眞が「大阪には節分に太巻き寿司を食べる風習がある」と聴いて仕掛けたことにより、1998年から全国へ広がり、2000年代以降に急速に広まりました。
最近問題となるのが、その食品ロスから出る大量の廃棄食品です。今日のニュースでも豚の飼料になっているという話もあります。食品は人が生きてゆくために最も大切なものですので、気を付けていきたいです。
昨日、イオンにいき我が家でも買いましたが、店内にはブースを設け次から次へと恵方巻きが並べられていました。私は黒光りする海苔に目を奪われながら、そこに並べられてゆくたくさんの恵方巻にを見ていました。、そこにはたくさんのお客さんも群がり一種のブームという感じでした。しかし、それも、その日が過ぎれば一種のブームですので、誰も見向きもしません。後は廃棄の山となります。もったないと言えばもったないのですが、仕方が無いのかなとも思います。
最近、マスコミでもその食品ロスが叫ばれています。何かいい方法でもあれがいいのですが、妙案はないようです。世界を見渡すと食糧不足で困っている国もたくさんあるのにどうしたものかと、胸がいたみます。今年もたくさんのものが捨てられているのです。
何をやるには、無理、むら、無駄はつきものです。若いときからこれを3だらりの法則といっていました。これらは極力少なくするように努力するしかありません。できるだけゼロに近づくようにベクトルを向けるしかありません。そのベクトルの持つエネルギーを増やすことが大切です。私はよくベクトルという言葉をよく使いますが、物理の世界の言葉です。物を分析する手法としてその刹那に持つエネルギーと方向性がそこにはあるのです。そこには未来に続くエネルギーが溢れているのです。
いつも想うのですが、ベクトルの向きは表面的には人様と自分の幸せの為にあると想っています。その幸せは最終的には地球環境の保全です。本来の地球の上に私たち生物である自分も乗っているのです。ベクトルの向きを間違えないようにすべての人民が過ごすことができれば、最高だなと想います。