震災8年11月27日
最近、連日、健康をテーマとする番組が放映されています。これだけ、流されますと、もう、視聴者としてはへきへきしてしまいます。その度にテレビで放映された食品がお店から一夜にして無くなってしまっています。が、最近ではこれだけ放映されると、もう、慣れっこになってきているのでは無いでしょうか。それが人情です。これでは、あまねく、すべての食品が健康に役立つのでは無いかとも思ってしまいます。根本においてはそれを受け入れる人体の状態が大切ではないでしょうか。
ブロッコリーは栄養価において、一般的にはカリフラワーを凌駕しているように言われていますが、私的には今の科学では、たまたま、そういわれているだけで、カリフラワーの未知な部分が隠されているのだと思っています。新しい発見があるといいですね。そのような今の科学ではたまたまこうなっているという前提で物事を考えた方が正しいのではと思います。
最近、腎臓の働きの重要性が新たに発見されました。また、脳で考えるばかりでく、臓器での考えを脳に伝えるというようなことも放映されていました。また、従来無用の長物といわれていた盲腸までもが、何らかの働きがあるということまで、分かって来ています。今までの常識が非常識になっていったのです。
このようなことは、今後、次から次へと起こってくるのではと思っています。だいだい、世の中のすべてのものに価値の差は無いのではと思います。路傍の石はそれなりに価値があり、要はそれを、どう、自分たちの生活と結びつけていくかが重要な気がします。
かって、科学は要素還元主義が闊歩していた時代がありました。それは、個別的観点から、物事を眺めていたのです。個と全体という言葉がありますが、その両面から考察することが大切なのです。演繹と帰納と言っていいのです。すべて世の中の事は対比でとらえることもできます。栄養価はなくても、その存在価値は大いにあるのです。
私たちは風邪をひく、お腹を壊す、体調が悪い等の症状が出るときがあるますが、それは病気ではありません。一つの症状なのです。健康な人ならば毎日、体調がいいわけが無いのです。トータルでとらえて、すべてが起こっているのが正常な人間の姿です。自然に四季があるように、そこが、まさにポイントです。生きていると言うことはまさにそのことなのです。
それが、過ぎたときに災害になり、病気になるのです。ですから、ほどほどにこの変化は抑える必要があるのです。無いと思ってはいけません。生きている限り、そこからは逃れる事はできないのです。その根底にすべてはリズムで決まるのです。正反合を繰り返しながら時間軸で流れているのです。資本主義社会もまさにその流れの中で、好不況を繰り返しているのです。
さて、病気になると現代人は頻繁に薬を飲んだり医者にかかったりします。薬には必ず負の側面として副作用があります。よく効く薬ほど反作用としての副作用がでます。それを、どう抑えながら、効果を期待するわけです。
しかし、今の医学は薬の効果はうたいますが、そのときの受け入れる人体の様子については何らコメントしてません。そこが、盲点なのです。同じ薬でも、それを受け入れる場所の状態で代わるはずです。どんなに高性能なヘリコプターでも沼地に着陸できません。沈んでしまいます。それと同じように体の状態がそれと同じようでしたら、どんなにいい薬でもそれを受け入れできません。しかし、そこのことの検討はされていません。薬だけの効能だけが一人歩きしているのです。そこで、大きな過ちを犯しているといえます。
インフルエンザがはやると、今年はA型が爆発的に増えているとか言いますが、大事なことはそのウイルスではなく、それを受け入れている人体の調子が大切なのです。それを、いつも正常にしておけば、よほどの事が無い限り、インフルエンザで病気にならないのです。それが自然治癒力です。最近の人はその自然治癒力の大切さを忘れてしまっているのです。困った物です。その力を最大限に発揮するようにいつも体の状態を保つことが肝要なのです。まあ、そこが一番難しいわけですが、そこに切り込んで行かないとどうしようもないと思うのです。
高齢者が多くなった現在、薬漬けの高齢者が大量に出て来ているのです。そして、製薬会社に個人の尊厳までもが奪われて来ているのです。サプリメントも同じです。膨大な利益をそこから捻出しているのです。もう、一端その流れに乗せられてしまうと逃げられません。医者の言うなりです。
根本に保健医療制度があります。この辺で国民がこのことを再考察してみる時代になってきたのでは無いでしょうか。これでは、医療費は増大の一途をたどってしまいます。生きると何とか、寿命とは、医療と人の幸せとか、その辺の事が今後益々脚光を浴びて来るのでは無いでしょうか。
過剰医療、尊厳死もその辺の範疇にはいるでしょう。そして、医学は最後の砦でもう、その力だけではどうしようも無いときにお世話になるものだと思っています。
さて、今回私が言いたいことは、薬はよくよく考えていけば、食べ物でおおかた代用できるのではないかと言うことです。なぜ、もっと速く、このような食物の研究が世間の目に触れなかったのでしょうか。不思議でなりません。この研究がもっと進めば薬は最後の砦となり、日常の体調不良は殆ど食べ物と体調管理ですんでしまうような気がしてなりません。これで、だめな時が寿命です。最近テレビでも言ってましたが、高齢者の透析ができるようになりましたが、その大半が寝たきりの認知症になっていると言うことです。人間の尊厳から考えるとゆゆしき問題だといわざるをえません。
これだけ、食品の事が分かって来ますと、その食べ物をどう取り入れていくかが日常の健康に大いに関わって来るのに気づきます。