方向性は脱原発にいくだろうが、その工程は難しい。なぜなら、国際化の中で日本だけで生きているのならまだ、簡単だ。国際社会は複雑な利害で成り立っている。
さて、今日の新聞でイオンが朝の回転を1時間早めるという記事が載っていた。そのような省エネの動きがスタンドプレーでなく、各地で起こってくることがたいせつだ。いいことだと思う。
本当はまず、政治決断で総理が日本もまず、今後10年以内に脱原発の方向で行くと宣言するのが一番の現実的な近道だろう。ドイツができて、なぜ日本では出来ないだろうか。結局は世論が盛り上がらないのだろう。原発を中心にした経済社会ができあがってしまい、そこの利害で世論が操作されているような気がする。ドイツには緑の党がある。メルケル首相もその考えを取り入れざるを得ない。今回の福島原発の影響で緑の党が大躍進をとげ、脱原発の時期を速める決断をしたらしい。
日本でも不思議に思っていることがある。花粉症の問題である。あれだけ、世間の人たちが春になると、迷惑をしているのに一向に根本を解決しようとする運動になってない。花粉の原因は檜の花粉である。
日本全国至る所に檜は植えられた。戦後は朝鮮戦争の特需を契機に高度経済成長を迎える。建築材として杉や桧の需要を見込んで1955年、当時の河野一郎農林大臣は民有林を人工林に変える「国営造林」構想を打ち出した。それに沿って林野庁は、「国有林経営合理化及び国有林生産力増強計画」に着手。1958年から1997年までの40年間で、森の生産力を2倍にする計画で、国をあげて杉や桧の植樹が奨励されるようになった。ちなみにこの時植えられた杉や桧が30~40年後の今、花粉症の原因となっている。
なぜ、この根本的な問題を解決しないで、テレビを見ると、この時期花粉症のCMだらけ、儲かるのは製薬会社だけ、迷惑しているのは何も分からない市民、おかしな話だといつも思っていた。誰か政治家がこの事を問題にしないのか不思議だ。日本という国はどういう価値観で動いているのかと思ってしまった。誰が考えてもおかしなことが、置いてきぼりになっているのだ。花粉症の薬が売れるのがGDPの増加に繋がるからOKだと言っているようなものだ。人間の健康がまず、第一にあり、そのための薬ではないのだろうか。この辺の考え方がおかしい。原発の考えも同じように考えないといつまでたっても日本社会はよくならない。もうそろそろ、檜だけの山からもっと自然林の落葉樹で紅葉する自然な山に戻す必要があるかと思う。原発問題も花粉症問題も根は同じだ。
震災元年 平成23年3月11日をまた、団塊元年の節目の年と呼ぶことにしたいと思います。
そこで、不思議に思ったことに、余りにも大きなスケールの自然災害に対して人は圧倒されて言葉もでないくらいですが、また、その後、しばらくしてクレーン車が登校児童の列につっこみ7,8人が犠牲になった事故がありました。そのとき、感じたことに人の心は何万人も犠牲のでた地震よりもあのクレーン車の交通事故の方が悲惨に感じられてしまうと言うことです。
どうして、このようなことがおこるのでしょう。人間の心って実に不思議だなと思います。天災で不幸にしてなくなってしまった人たちのことを思うといたたまれない気になるわけですが、まあ、仕方がないと思ってしまうこともあるわけです。
しかし、ひとたび人災被害の原発事故や交通事故は許せない気にもなるわけです。そういうことを考えると、まだ、人間にには自然への畏敬の念がどこかに残っているのかなと安心もします。
これを機に日本もドイツと同じように脱原発の動きに大きく舵を切って欲しいと思います。
東北の人たちの犠牲はあまりにも大きなものでした。その人たちのことを思うと、今、こうして生活していることが申し訳なく思ってしまいます。
さて、現地の人たちにとって、地震は天災で仕方がないと思ったでしょうが、その後の、原発事故は明らかに自然災害のスケールの大きさを見くびってしまった人間の業の深さによるものでしょう。何メートルの津波なら想定内だとか、自然にはそういう想定は成り立たないところに、想定を立て想定外の出来事にしてしまった人間の浅はかさを反省しなければなりません。自然には想定はありません。
因縁果で、原因に応じて、何でも起こってしまいます。自然と対立する原子力がなくならない限りそういうことは起こってしまいます。体験した人でないと分からない心の内を考えるともう日本は脱原発しかないと思います。
戦後の農地改革のような大きな改革が必要ではないでしょうか。一人の人の考えはわずかですが、それを大きなエネルギーにして行く必要はあると思います。それに、戦争を知らない団塊の世代が何かしら関わっていくことも出来るのではないかと思っています。
さて、一見静止して見えるものも、絶対的に静止しているのでなく、互いに正反がバランスよく釣り合っているから、そうなっているのだという事実も見逃すことはできません。地球も止まっているように感じますが、実のところ、毎日、高速で自転し公転しているのです。地球が球だというと、反対側にいる人は自分を中心にしてみれば、逆立ちしているのと同じです。あまりにも地球が大きいので、地球は平らだと思ってしまいます。
さて、現在の平和も微妙なバランスの上で成り立っているのも、よく観察すると分かることでしょう。最近の世の中は自然と人間生活のバランスが人間中心に偏ってきているように思います。その辺からも脱原発の動きはこの事件を境に大きなトレンドになっていくことでしょう。そう、しなければいけません。
この今回の大震災は「ノーモア広島」の災害以上に大きなものともいえます。ですから、この時期を戦後65年からの脱却、戦後から震災元年に変えていく必要がありあます。また、今後、団塊の世代が最後の力を出して行く元年でもあり、団塊元年として、新しい生き方を求めて行くエポックにしたいと思います。 まだまだ、団塊世代には大きな力が残っています。私たちの地区でも自治会の長は殆ど団塊の世代がしめるようになりました。団塊世代はがんばりましょう!
私たち世代には戦後、阪神大震災、石油パニック、万博、東京オリンピック、東名、新幹線以外、大きな節目がなかっように思います。今回の大震災はほんとに日本人を覚醒させる大きな節目だと思います。この出来事を忘れることなく、ここを境に私たちがよりよい復興日本を作る起爆剤にして欲しいです。絶対この事を風化させないようしなければなりません。
昔から「無用の用」という言葉があります。老子や荘子のいった言葉らしいのですが、その方がいわずとも、その事実は存在していたのです。ただ、それに気づいていなかったのです。
木は登るものだと思うのですが、実は、下りるときが一番難しいのです。学級の発表も発表する人のことは誰もが注目しますが、実は聞いてくれる人が大事なんです。そのことを忘れると大変なことになります。
授業の成立も発表者を中心にして展開される研究授業の分析が多いのですが、1/40人が発表すると聞いている人は39/40人な訳です。しかし、発表する人はよくしゃべりますが、聞いている人は黙って聞いているか、何か変わったことを考えているかも知れません。黙って何も言わずにじっとしている人がいるから、発表者が引き立って見えるのです。授業を芸術的に分析すればいいのです。人生は芸術だといった人もいます。PL教団御木徳近です。そんな本を若い頃読んだことが今浮かんできます。
人間も同じです。万物の霊長などと、威張っていると周りの自然が安定しているからこんなことがいえるわけです。その辺が、最近の学校では気づいていないし、あまり、教育されていないような気がします。今後はその辺に視点を当てて学校を再点検する必要があるかもしれません。社会も同じです。
空間があるから、立体も引き立ちます。キャンバスのリンゴの絵も無地の場面がそのリンゴを引き立てているのです。芸術を考えればその辺のことは自明の理でしょう。その、リンゴの位置を微妙に変えるだけで受け手の印象はすごく変化します。いつでもリンゴと地は相対関係時なっています。だから、私はいま学校教育が絶対評価に傾いていることに反対の態度です。人間の幸せは絶対値より相対的なものです。幸せを価値の中心に据えるとやはり人は相対的に感ずるのだと思います。今まで1g持っていたとします。それに、もう1gを加えれば倍重くなったと感じます。しかし、100g持っていたところから1g加えても1%増えただけなので、あまり体では増えた感じがしないのです。その辺が絶対値では同じでも相対的には殆ど増えたと感じないでしょう。その辺に幸せ感を理解する要諦があるのではないかと思います。
経済で20才の頃、ならったことに「限界効用逓減の法則」といのが、あります。まさに、それをいっているのだと思います。
今、世の中は益々、のりしろの部分、無用の用の部分、空間やゆとりの部分が(効率化や合理化、学力アップ面から)減少して来ています。益々、小学1年生なんかの親や子を見ていましても、追い立てられて来ています。親も子もストレス社会です。もっと、大きな心で親や教師は子どもたちを見てあげることが大切です。
勉強が出来なくったっていいじゃないですか。子どもの目が生き生きさえしていれば、大切なのはすぐ出来ることではなく、好奇心を持って、自分から主体的に外部にアプローチして行くことです。すぐ咲く花もあるし、10年に一度咲く花もありましょう。中には、花を咲かせない植物だってあるのです。どれも、存在価値があると、自然界から認められています。
知能指数ではなく幸せ指数が生活する上では大切です。余りにも、今の世の中この事の大切だが忘れ去られています。
貧乏でもいい。貧乏ということばも最近では聞かれなくなってしまいました。みんなが、貧乏だから貧乏を不憫に感じなかったのです。
昔、「名もなく貧しく美しく」という、高峰秀子主演の映画を見たような気がします。まさにそのタイトルのような価値観の世界が展開されていた時代がありました。幸せはあくまで、人それぞれの心が決めることです。
法と道徳という言葉があります。法は外面を規制しますが、法が整備されても必ずしも人は幸せにはならないのです。心が病んでいてはだめなんです。
震災を機会に本当の幸せとは何かをもう一度考えて見たいです。戦後世代以後は大きな時代の区切りがなくなってしまいました。東北大震災をまた、一つの時代の区切りとして日本人が考えることができれば、その教訓も生きて来ると思いますが、どうも、現実、原子力発電はドイツのようになくなって行かないようです。戦後65年の経済大国から東北大震災を機に精神大国になろうではありませんか。ドイツはいち早く脱原発を決めました。日本も正しい選択を子孫の為にもして行かなくてはなりません。
今思うと、私が20年前浜松の学校から、異動して来た学校が、原発のある地域の小学校だったと言うことも何かの因縁かも知れません。原発のすぐそばまで家庭訪問に言ったことを思い出します。縁とは異なものです。生前母が進めた会社が中電でした。当時は原発はなかったと思いますが、強電には興味がなかったので就職しなかったことが懐かしく思い出されます。
ところで、デジタルテレビもいいですが、最近のテレビ番組も殆どがお笑いタレントが出ている番組が多く、年のせいかなとも思いますが、言い番組が内容に思います。昔はラジオはよかったなとつくづく思います。もっと、ラジオ番組をどこでもユビキタスで聞こえるような基盤整理にお金をNHKも回して欲しいです。お金をかけなくてもエネルギーを使わなくてもラジオ番組ならいくらでのその気になれば充実させることができるのに、NHKは一体どこに目を向けていのか分かりません。団塊の世代にとってラジオは目にも優しいしながら族もできるしいいと思うのですが、経済の論理で動いている政治が悪いのでしょうか。私たちの住んでいる地域ではカーラジオはよく聞こえますが、部屋の中ではFMのNHK位しか聞こえません。デジタルテレビの財源をもっと、ラジオに振り向けて欲しいです。デジタルラジオもきっといいでしょうね。災害にも乾電池一つで動くし省エネで健康にもいいですね。世の中どうなっているか、行く末心配です。そろそろ、沢山消費して経済を活性化すると言う考えから脱却をしないといけないと思います。そんなマジックに踊らされないで、省エネで自然と仲良くする社会、精神生活の豊かさはお金で買えません。どうにかならないのかと考えるときがあります。NHKや東電も公共性のある会社ですが、目をむく方向が少しずれている気がいたします。図体が大きくなり恐竜絶滅の運命をたどらなければいいのですが、東電では下請け下請けで仕事をやっている方式が色々構造的に問題を生んでいるようです。また、NHKも同じように庶民のささやかな声が届きにくい構造ができているようです。民主主義の社会ですので民の声をもっと、取り入れて欲しいと思います。難しい時代です。
東電しかり、政府しかり誰一人としてあんな大きな地震やそれに伴う震災を予想だにしていなかったのだ。だが、事実は冷酷そのものである。確実に沢山の命を奪ってしまった。後の祭りである。
今後、絶対、地球の生態系をくずような物を作ってはいけない。わたしなら、そう考えるが、まだ、原子力を存続させたい人が多数と聞く。実際の現場を見たり震災で肉親を亡くした人たちは絶対反対だと思う。全ての国民が東北の震災の現状を見るべきだと思う。私も近いうちに言って、現地の人の気持ちにそってみたいと思う。
今年の修学旅行は現地を見て若者が今後の人生をどう向き合っていくか考えて見るのがいい。しっかり目を開いて現状を見つめる必要がある。あれは、東京大空襲よりひどいと言っていた人がいた。まさに、空前の出来事だった。私の近くにも浜岡原発がある。何かおこれば、真っ先に避難の対象になる場所だ。
科学は自然を理解し自然と共生してゆくために使って欲しい。ことあれば、人智の及ばないマシーンを作り上げた人間の浅はかなところであろう。
short cut、 効率化、能率化、 画一化、何でも早く早くとせかせる世の中、規格化されすぎている社会、もっと、のびのび考えればいいのではないか。本来は地震は地球のあくびであったはずだ。それを震災にさせたのは誰だ。 試験管の中でだけ原理原則を見いだそうとしている科学の浅はかさ、いずれも大自然の中のちっぽけな人間の存在を肥大化して考えている。
うどの芽が出た。挿し芽でもよく増えます。
花の命は短くて…
海鳴りの音と山野草のコラボレーション
ホウチャクソウ
ヒトリシズカとタンチョウソウ
首をかしげてご覧ください。
十二単(贅沢な名前がついてます。) アジュガ シラン
柚子の実がまだ木についています。
芝桜は何度見てもきれいです。群生地に行ってみたいです。
朝露がいっぱいついています。これが、植物にはいいです。
職場に飾っています。草の名を忘れてしまい、ざんねん。また、しらべなくてはと思っています。名前が分かりました。キランソウです。