震災10年1月31日
今、世界を震撼させているのが、新型コロナウイルスの問題です。いつも想うのですが、人間というものは未知のもの、真っ暗闇の世界など、何が何だか分からないものに対しては大きな恐れを抱く動物だなとつくつくづく想います。それを解明しようとして頑張って来たのも人間です。そのため、人は照明を考えたり顕微鏡を作ったり、またはラジオやインターネットの情報機器も発明してきました。しかし、まだまだ、解明できていない闇は実はたくさん存在しているのです。
それは、次から次へと世界の事象は変化していくという事実です。解明したつもりでも、その足元から、新しい未知のものが無限に発現してくるのです。それが、この世の中です。ウイルスも次から次へと姿を変えているのです。今回もコロナウイルスもまさに、その流れの中で起こったことです。
科学が著しく発達し情報が4G~5Gに移行され、大きな情報が瞬時に処理される今の時代でさえ、このような今まで見たことのないようなものに出会うと人は仰天し恐怖感を思えます。
昔、もののけ(物の怪)ということを社会化の歴史で学んだことがありますが、それは遥か半世紀以上昔の中学生の頃です。平安の貴族がそれにおののいていたという事を想いだしました。何も分からないから、怖いのです。今は、街灯もあり、明るい夜が却って健康に良くないとさえ言われている時代になりましたが、当時は電灯もなく夜も真っ暗な闇であり、そういう考えに至っても当然だと想うわけですが、今の時代でも人は未知の答えの分からない、行く先も見えないものには大きな恐怖を抱くのは人の本能なのだと想います。
それが、今回の新型コロナウイルスの問題です。それは、以前、同じコロナウイルスのサーズを封じたことで人間に慢心があったのでしょう。今回は、運悪く春節の移動の時期と重なり、また、ウイルスが世界に拡散してしまったからたまりません。瞬く間に広がってしまいました。おまけに、WHOがありながら、その動きも遅きに逸した感がありました。中国政府も正しい情報が外に出せなかったからたまりません。米中の貿易紛争もどこかにすっ飛んでしまいました。
今は、世界を挙げてWHOを中心にして、この拡大を防いでいかなくてはなりません。まさに人類の知恵が求められているのです。
温暖化と共に世界は気象ばかりでなくすべてが日々変化していっています。一時たりとも同じときはないのです。まさに仏教でいう諸行無常の世界が現実なのです。
人は、普通は過去の歴史の中から未来を予測し選択するのが常道なのですが、これから起こる災害とて、この常識も時には当てはまらない事件が起こるのです。地震の予知も沢山の学者が予測してきましたが、占いのようなものでめったに当たらないのです。
百年に一度の災害などという言葉は、世界が安定していた時代の言葉です。東北大震災でさえ、もう日常的の起こるかもしれない地球の状態が過去と変化しているのかもしれません。今、起こっていることを、そのまま直視して、そこから考えていかないと、過去を振り返っていたら対策が遅くなってしまうのです。
昔から、石橋を叩いて渡るという諺がありましたが、変化の激しい時代ではこの言葉は通用しなくなって来ています。歩く前に考えるのでなく、歩きながら考えたり時には歩いてから考えるくらいのスピード感が試される時代なのです。行動し、その都度修正していかないと追いついていけないのです。
変化の激しい時代を生き抜く知恵は先人に学ぶのではなく、今その刹那に学ぶのです。論理でなく、感性を研ぎ澄まし、直観力を鍛えるのです。それが、一番早いのです。
私も長い間教師生活を送ってきましたが、直感や感性は環境面では与えることはできますが、内面の問題でありなかなか、論理を積み重ねてできるものではないのです。
ですから、日ごろから、外界の出来事や事象に対して感度を高めておかないと対応できて行かない時代になって来ているのです。単なる知識ではないのです。知識や論理をも包含するもっと大きなものなのです。体で体感する経験値のようなものです。その経験値はやはり、自然を師として仰ぐことでより大きなものになっていくでしょう。人は自然の中の一員ですからね。万物の霊長ではありません。自然と共に生き、自然の中で生命を終えていくのです。
パラダイムシフトという言葉が一時はやりましたが、今こそ、枠組の大元が昔と大きく変わって来ているのです。それに対応して生き方が求められているのです。
ここで、現代医療につて、一言、それはもっと、生物としての自己免疫力を高める努力をすることです。自然からもっと学び自然治癒力を高めていくことです。ですから、薬漬けでなく、栄養や体力面からもう一度自分を見つめなおしていくことです。栄養学や東洋医学ももっと、医療に取り入れ、保険がきくようにしてほしいものです。そうすることで、人も自然の一員だとわかり、自然を大切にする心が涵養され、温暖化阻止への布石にもなるのです。いたずらに寿命を延ばす医療でなく健康寿命を基本とした医療体系に変換してゆくべきです。