想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

森の妖精 柿蘭

2011年06月29日 | インポート

 先日から、柿蘭が咲き始めた。私はまだ、山で自生しているところをみたことがない。一度でもいいから見てみたいものである。
 写真のものは、園芸屋で買ってきたものである。柿の花に少しにてはいるが、山野草らしく、質素な美しさがある。さしずめ、「森の妖精」のようだ。現在、コミュニティセンターの飾り棚の所に飾ってある。
 清楚で品のある美しさに乾杯である。来年も是非咲かせ、株分けで少しずつ増やしていきたい。
 花を見ていると、思わず声をかけたい気持ちである。ずっと、見ていると何となく二人で会話をしている感じがする。
 できることなら、平安朝の雅な世界にタイムスリップしたみたい。そなたが、十二単の小町なら私はさしずめ源氏の君か、等、ありもせぬことに思わず思惟をめぐらしたい誘惑にかられそうになる。そこには、夢うつつの私が残る。

 

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愚直

2011年06月21日 | インポート

 

 農園にミツバチが来ていた。どうやら、西洋ミツバチのようだ。一体どこからきたのだろう。きっと、近くに巣でもあるのだろうか。以前、日本ミツバチの飼育の講座を受けたことがあった。飼ってみたらきっとおいしい蜂蜜がいつも食べられるぞと思ったことがあった。

 雌花の中は黄色一色の世界だった。

我が家のカボチャもだんだん実がなるようになってきた。
今年は沢山とれそうである。

 

 

 

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智慧あるものとは?

2011年06月19日 | インポート

智慧ある者とは?

最近は知識という言葉はよく言われるが智慧という言葉はあまり使われなくなってしまった。その中には単なる理解ばかりでなく、もっと広くもっと大きなものが含まれているような気がする。歴史の流れの中で生き残ってきたエッセンスのようなものが未来永劫脈々と流れているような気がする。原子力だけのように試験管の中だけで考えるのでなく。人の痛みが分かるというか、情緒的な思いも受け止めることができるというか、パトスとロゴスの混ざったものの理解とか…。

智慧ある者とは?私なりに思いついたものを次にあげてみた。

智慧ある者とは

     自分一人で生きているのでなく、地球上の他の生き物と共生している。

     自分の存在は祖先や将来との繋がりの中にある。

     自分は自分を中心として考えると、生きているようにみえるが、他者からみれば、生かされているとし考えられない。

     いつも、弱者の立場になってものを考える。

     言葉は単なる記号でなく、いつも、そこには心というか想いや情感が含まれていると考える。故に言葉は言霊に通ず。

     同じ言葉でも自分を中心にして考えれば簡単だが、受け取る側はその人の経験値により何通りにも受け取る。しかも、同じ人でもその時々の状態により、受け取り方が違うことに気づいている。

     同じことでも置かれている状況が変化すれば、考えが変わると気づいている。

     同じ人でも年を重ねることにより、過去に考えた想いは微妙に変わっていく。いわゆる諸行無常である。

     エージングを経て微妙に変わっているのが生き物であるが、反面人は永遠に変わらぬものを求めている。いわゆる、それが、永遠の命というものであろう。永遠の命にふれ天寿を全うしたものは幸せである。信仰の本質はとこしえに変わらないものを求めていくことであろう。それに気づくものが得る喜びでもある。

     喜び、うれしさ、楽しさ、微妙にニュアンスの違うものの機微に気づく力は人を思いやる心から生ずる。

     説明するときに、例え話を添えることのできる人はそのことを真に理解し、相手にも、自分のことを伝えることのできる人。

     道案内を巧みにすることのできる人は、思いやりのある人である。道案内は自分にするのでなく相手にするのだから。相手のことを気遣いながらしないと、うまく伝えられない。自分が分かることではない。主役は相手である。

     難しい理論を難しく伝えるのは簡単である。それを優しく伝えるのが難しい。伝える相手の状況をふまえその人の経験値になって伝える必要がある。そのためには、例え話が効果的である。例え話をするときには絶えず相手のことを想い図って進めるからである。

     人にものを教わるときには例え話がうまい人に教わると理解が進む。その方の頭の隅にはいつも相手の状態がすり込まれているからである。その優劣は受け取る側で決めるからである。

・ 一瞬にしてものの本質に迫る直感力の優れた面と論理的に物事を考える両面を備えている人であり、それらを支える人間味溢れる暖かさを持った人。そして、その進むべき方向は人の道にはずれていないこと。

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自然は生きている

2011年06月06日 | インポート

 毎年、この時期になると、笹百合の花が咲いたか、気になる。何時間みていても飽きないしぜん、特にこの時期の笹百合は香り、色、景色どれも、素晴らしい。自然からいつもエネルギーをもらっている。

チョウはアザミが好きなようです。よく止まっているのを見つけることがあります。よっぽど蜜がでるのでしょう。先日は、アザミにとまって休んでいたチョウもいました。

このピンクの色が何ともいえない鮮やかさです。緑の中でひときは、異彩を放っている感じです。よく目立ちます。はっとする美しさです。このような自然の手法はプレゼンにも使えそうです。

ちょっと、焦点がぼけてしまいましたが、アシナガバチでしょうか。巣作りを一人でしていました。

 ドクダミの花も結構きれいですね。子どもの頃、鼻づまりで困っていたとき、父が塩で揉んだドクダミを鼻の中に入れてくれて、鼻づまりを直してくれたのを思い出しました。昔の人の知恵はすごいですね。昔は自然を意識することなくさりげなく自然と暮らしていたのだとつくずく思い出します。子どもの頃は、苦くて臭いが嫌いでしたが、大人になると苦みや渋みも自然と受け入れている自分に驚くことがあります。人生、渋みや苦みも苦も楽も全ておなじものなんだと思うようになりました。それが、人生なんだと思うこの頃です。渋くて飲めなかったお茶も飲めるようになった頃がなつかしくよみがえって来ます。あれは、小学2,3年生のころだったかな。小さい時は白湯ばかり飲んでいました。
 最近では子どもの頃あれほど、好きだったラーメンよりもうどんやそばの方に嗜好も変わってきました。不思議です。

 

 名前は分からないが、足下にきれいなキノコを見つけた。きれいなものには毒があるという。初めてみたキノコであった。

 やさい畑にいたら、一匹のチョウが目に入った。○○シジミというなまえだろう。鮮やかな朱色が新鮮だった。その下のスイカも7月には沢山の実をつけるだろう。

 浜辺に咲くハマボウフウの群落である。天ぷらによし、酢味噌和えによし、セリ科で香りも強い。酢味噌和えで一度食べてみたい。

 桜の古木の真ん中に穴が開いていて、そこから見える景色が楽しかったので写してみた。ここから、違う世界が見えてきそうだ。そういえば、子どもの頃、自分の又の間から眺めた景色を思い出した。

 笹百合のピンクが緑に映えていた。派手なようでいて、梅雨空にうまく解け合っている。笹百合は少女の面影がある。まさに、これから彼女の人生が始まろうとしている感がする。行く末に幸あれ!

 

どうも、野ウサギの糞のようです。

 

 多分、これは鳥の糞だろう。サクランボの種が入っていた。

 ヤマユリのつぼみである。つぼみの先には放射能物質も集まってくるらしい。それだけ、先端はエネルギーが集まる場所らしい。

 後ろ向きの百合の姿も又、情緒があっていい。

 ツインで並んで咲いた笹百合、葉っぱは笹そっくり。咲いたときの笹百合の香りが実に官能的な感じがする。近くに行くとその香りで百合の花が咲いているのが分かる。

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政治家の資質

2011年06月03日 | インポート

先日、内閣不信任案否決された。その件に関して、TVでは政治家が色々とコメントしている。果たしてだれがやっても今の民主主義社会では同じなのか。政治家の資質としてどんな人が適任だろうか。少し、考えてみた。

①情に流されず、確かな理念を持ち、中途でぶれず、最後までやり抜く。

②自分の理念や政策をわかりやすく国民にプレゼンする能力。

 さしあたり、以上の二つが思い浮かんだ。

理念無き実行は先が見えず、実行無き理念は絵に描いた餅となる。確かで高邁な理念を持ち、それを現実化させることが良き政治家の道であろう。

しかし、民主主義の世の中であっては、どんな高邁な理念でも国民に分かるように説明する大衆化する能力が無かったらそれは、実現不可能だ。その、高邁性と半ば、二律背反となる大衆性を兼ね備えた政治家が日本の世界では必要ではないだろうか。

果たして、そのような人物が日本で輩出されるだろうか。そこが課題である。

大衆に迎合し正しい理念を失い、失脚する政治家。大衆をないがしろにし、高邁な理論のみ掲げ大衆から見放されていった政治家。とにかく、今、日本に求められている人物はその両面を兼ね備えた人物だろう。

適度なカリスマを持ち、広く分かりやすく、国民に語りかけ、正しい理念に向かっていける人こそが今求められている。

独断と偏見と権謀術数を張り巡らせる。はったりで事を解決しようとさせる。そんな、政治家ではだめだ。

むつかしい所は①②の両面を追求すればするほど、そのジレンマに悩むだろう。その二率背反をいかに昇華することのできる人物の登場を願うしかない。

1000年に一度の災害が東北大震災なら1000年に一度の政治家がこの時期出てきてもおかしくない。これは、はかない夢なのか。

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