震災6年7月24日
ポケモンgoが世界的に流行の兆しです。ゲームは基本的にあまりやったことはないのですが、ついに日本でもポケモンGOが解禁となりました。世界は益々狭くなり、情報の世界ではほぼ、垣根がなくなりつつあり、シームレスになっています。昔はシームレスというと、女性の靴下でしたが、今では、世界はシームレスにつながっているようになりました。恐ろしいというか、領土拡張で争っている場合ではないとおもいまます。
尖閣、南シナ海の問題どころではありません。情報の伝達は国境を越えどこへでもリンクするようになりました。社会学が好きな私ですが、このポケモンの影響は世界に大きな変化を起こしそうです。高齢者のリハビリ道具やひきこもりの大人にも大きなインパクトを与えることは間違いないでしょう。
物好きな私も、早速DLして触ってみました。GPS機能を利用して外に出てポケモンを捕まえるのですが、実に画期的なスケールの大きなゲームを開発したものです。
利用の仕方は無限にあるように思います。教育から医療までどう使うかが今後色々話題になるでしょう。話題性にこと欠かさない社会現象にもなりました。確かにポケモンをみて外に出ると、しっかりしてないと、交通事故になってしまいます。ADSL等多動症の方には特に危険かもしてません。犯罪に利用されることも出てくるかもしれません。
鴨長明の方丈記ではありませんが、
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。 」
諸行無常の理(ことわり)の通りの事が起きています。こうして時代は流れて来たのです。未来も同じようにこの理の中で進んで行きます。
これから、社会現象となったポケモンGOの世界も時たまふれてみたいと思います。体験を通してお伝えできることがあれば、また、掲載していきます。
湖面に映る
白い雲
わずかに揺れる
上下の景色が
シンメトリーを描く
自然の為せる技
二人の息もぴったり
雷雲が現れ
一瞬の落雷
突然のにわか雨
消えかけた
白い雲
織りなす湖面
儚き奇跡の終焉
たまに湖面が真っ平らの時がある。そのときの景色はシンメトリーの世界だ。これも、自然の為せる技だ。ちょっと、その一部を切り抜いてみた。
湖面に映る
空の雲がきれい。
湖面に映る景色が
わずかに揺れる
上の景色と
下の景色は
シンメトリー
見事な造形
自然の為せる技
互いに引き立て合い
ここに存する
自然が織りなす
神秘な池の
不思議な出来事
一瞬
落雷と共に
突然のにわか雨
こわばる湖面
シンメトリーの
世界は終わった
震災6年7月6日
和紙の原料というとコウゾ、ミツマタといわれています。昔から、日本ではお札などにも使用されてきました。日本の紙です。
その中のコウゾの繊維を使って、野菜を支柱に縛ることにしました。野山に行くと、左右非対称の下の様な葉っぱが見られます。それがコウゾです。桑の葉にそっくりです。枝を折ろうとするとなかなか折れません。繊維が強くて折れないのです。
それを使うと縛り紐の代わりになり、野菜を支柱に縛るのにちょうどいい物になります。ですので、私は昔から、余裕があるときには野山に行ってそれを採って来て、干し柿を作ったりして使ってきました。
今回は、キュウリを支柱に縛るためにそれを使ってみました。有機物ですので、自然に腐り、とても環境に優しくなりました。やはり、自然のものはいいですね。使っていると心も落ち着きます。自然と一体感があります。
今までは針金が中に入っていた市販物を使っていましたが、コウゾの繊維の物は自然と溶け合います。
茎をはがしたコウゾの繊維です。和紙の原料だけあって、手で切ってもなかなか切れません。
コウゾを使って縛ってみました。茶色が周りと合いますね。下にある緑の紐は市販品です。
震災6年7月5日
幼稚園の話を妻から、よく耳にする。その中で、もう、3歳児の話も、精神面は成人と変わらないような気がする。基礎がすべてできているのだ。昔から、三つ子の魂百までもという。その通りだと思う。昔は数え年なので、極端にいえば、最小で満1才過ぎで数え3才になってしまう。
ですから、誕生日はお母さんのお腹から、この世に出て来たときでなく、受胎した日が正しいのだと思う。それを、誕生日にした方が、今時、合理的である。
昔の医学では、いつ、受胎したかは分からなかったかもしれない。しかし、医学の進歩した今、誕生日は受胎した日と、民法で決めてもいいのではという気がする。そこから、大きなリズムが始まるような気がする。早産や未熟児で出産してしまうと、現行の誕生日ではおかしなリズムになってしまうが、受胎した日が誕生日なら、生理学的にいっても、絶対値となり、より比較がしやすいのではと思う。
そうなれば、より、胎教の重要性も増し、受胎した日からの成長にも心配りがなされるし、その間の両親の働きかけの重要性も増してくる。誕生してからでは遅いのだとつくずく思う。
「子育ては受胎から…」が、今後はキャッチフレーズになって来てもおかしくない。医学の進歩に社会が追いついていってないような気がする。その、十月十日は重要な出発点になるのだ。
その間をお母さんのお腹の中でどう過ごしたかが、子育てには最重要になるのだと思う。そういう考え方をもっと、もっと、広めていったらいいと思う。
私の小学校の経験でも直感力は教育するものでなく、生まれつきのものであり、それをどう引き出すかが教育であると思う。それが、いわゆる環境である。孟母三遷の教えもそのことをいっているのだと思う。
素質は変えられないが、環境はいかほどにも変えることができる。この素質と環境をどう組み合わせて、その子の持って生まれた良さを引き出して行くのが教育だ。
素質の根本は遺伝子の中にある。それは神様が与えてた自らの分け前である。自分であり、個性なのだ。それを環境とどう織り交ぜて行き、引き出して、その良さが最大限になるようにするのが教育だ。
その人の一生はその人だけで終わるものではない。その生き方は自分の遺伝子にも、大きな変化をもたらしているだ。ただ、期間が一生と長いので、個人には気が付かないだけだ。
わからなければ、時計の針を思い起こすとよい、その針を長く伸ばすとその先端は動いているのだ。
一生は誰しも、人様に後ろ指を指されないように過ごさなくては子孫に申し訳ない。その生き様が遺伝子に大きく関わっているのだとおもう。自分の人生は一見自分だけのものと、思ってしまうが、大きくとらえると子孫や人類という普遍性の高い物だと思う。だから、できるだけ、遺伝子はきれいにして次世代に譲るとよい。
最近の風潮として、利己主義や個人主義があるが、憲法をよく読みこなしてゆくと、個人はもとより、人類の健全な発達という面にも目がゆくかないとおかしいと、分かるだろう。公共の福祉という重しが基本的人権にはついているのだ。そのことをないがしろにした人権は将来の人類に大きな禍根を残すことになるだろう。
桝添都知事の問題など、考えさせられる事が多々あったとつくずく思う。我々段階の世代はこのことに心配りをして人生を全うして、次の世代にバトンタッチして行く必要があるかと思う。
ただ、残念なことに、高齢者が自己保身に走りすぎている風潮があちこちに見え隠れしている。これも大きな問題である。先日のEU離脱の問題もそのことが大きく出てしまった。
我々は後に続く若い世代のことをしっかり考えて行かないといけない。そのレールを敷いてあげないといけないが、イギリスの決断は若い人の残留の考え方を無視してしまったようだ。
いわゆる老人エゴになってしまっている。高齢者が票につながっている現実はいかんともしがたいが、将来を背負う立派な若者も沢山いる。そのことを、肝に銘じて優秀の美を飾って次世代に託していってほしい。
と、同時に若者も積極的に政治に参加してほしい。若者も投票率があがれば、票はそちらに関心がいくのだ。将来は次世代のものだから…。