震災9年6月9日
以前、こんな事を考えたことがありました。それは、自分も自分の中の細胞もどんどんミクロに突き詰めて行けば、宇宙と同じ理屈になっているのではないかということです。宇宙も人間も細菌も細胞も元をただせば同じではないだろうかということです。
太陽系の上には銀河系があり、その上にはまた、その〇〇があるということです。どこまで行っても上にきりがないのです。だから、この世は絶対でなく、相対的なものだなとあらためて、思います。
現職の頃、評価の仕方が、相対評価から絶対評価に変わった時期がありましたが、やはり、この世は全て相対的であり、相対評価が現実的であるというのが正しい様な気がします。偏差値が無くならない理由もこの辺にある様です。
さて、今度は自分を中心として、限りなく小さな存在を考えていったら、細胞や核の様なものにたどり着いていくのです。
顕微鏡にも電子顕微鏡が現れ、もっと細部が明らかになって来ています。これとてどこまで小さくなっても永遠にたどり着いていかないでしょう。これからも、次々とミクロの世界が明らかになって来るのでしょうが、これも、限りなく極小の世界に続いていくのでしょう。
人間の存在も1m60センチという大きさですが、そこを基準に考えるからマクロがありミクロがあるわけです。もし、自分の大きさが1ミクロンだったら、今の人間は地球ぐらい大きいのかもしれません。
同時にどこまでも自分より大きな世界を考えても、これまた∞大で切りがないのでしょう。これからの科学も宇宙の事を研究して行くでしょうが、限りは永遠にないでしょう。そうです。それも、本質はこの世は相対的な世界だからなのです。
先日、メタップス社長〈お金2.0〉佐藤航陽著の本を読んでいて、(フラクタル)なる数学の言葉が出て来ました。時々気になっていた言葉でしたが、難しそうだったので、ほっておいたのですが、ついつい興味があったので、ちょっと今回は調べてみました。
円などは微分していくと直線になってしまい、元の円にはなってないのですが、リアス式海岸などの形や木々の形、雲の形などは、どこまでも微分しても直線にはならないで、元の形を維持してるのだそうです。確かめた訳ではないので、わたしはそう信ずるしかないのですが…。全て自然界の造形もそうなっているそうで、その様な形をフラクタルというそうですが、何か目から鱗が落ちた様な感触を得ました。現実はフラクタルなんだなと強く感銘を受けました。科学では割り切れない様なものがある様です。
諸行無常という仏教の言葉がありますが、これなども、時間を長短にとらえても、その瞬間はフラクタルなのかなと思います。
株の動きもフラクタルだそうで、事実は小説よりも奇なりとはうまく言った言葉だと感心をしてますが、小説を科学に変えてもいいのかもしれません。理論通りには全てことは運ばないということです。だから、人生はフラクタルであり、面白いのです。なかなか奥の深いことだなと思いました。
こう考えて来ると、数学を突き詰めて行くと哲学の世界に入った岡潔先生や哲学や宗教の問題も案外切り込み口は違えども同じことを言っているのだなと強く思いました。
また、前にふと考えた自分の体は宇宙と似ているのだなということも成る程と思うようになりました。
フラクタルなる言葉の重みや深さを今しみじみ感じています。私にとってインパクトのある言葉でした。まだまた、新しい気付きがこれからもあると思うと、人生100年時代もまだまだときめく毎日です。