想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

エコ社会から自然循環型社会の流れを!

2016年04月28日 | エッセイ

震災6年4月28日

 

 最近、やたらと、エコが叫ばれています。エコとつけば、商品が売れると思われているのでしょうか、そんな感じさえします。でも、本当にエコを追求しているなら、いい流れになっているなと思います。

 エコカー、エコキュート、エコバック…、何でもエコの時代になりました。。自動車の燃費も改善が進み、私の乗っている車はミライースの軽ですが、実質25Km/Lとなっています。前の車の約2倍走ります。消費電力も随分エコ化したものができています。

 トレンドは確実にエコ化へ進んでいる気がします。いい傾向になっているとは思いますが、その行く末に自然循環型社会がないといけません。そのような方向に行っているのか、私たちは見守り、育てていくことが大切です。

 それには、根本には教育の問題があります。先史の時代には本来自然界には存在しなかったごみをどうするかです。ごみの教育を小さい頃からしっかり進めていかないといけません。それなくして、今後の日本、否世界は存在できないでしょう。

 また、リーダーの資質の問題もあります。先日来日した南米の世界一貧乏な大統領ムヒカさん、は別格だとしても、清貧な思想は学ぶべきことが沢山あることでしょう。消費は美徳ではなく、行き過ぎると自然を破壊してしまいます。自然と調和できる範囲の消費を心がけていかないと大変なことになります。まさに里山的発想が大切です。

 昔、「名もなく貧しく美しく」という高峯秀子が主演の映画がありました。その清貧の思想はどこにいったのでしょう。消費が経済を支えるのも現実ではありでしょうが、その考えも変えていかないと、地球が持たなくなって来ています。経済は栄えても心は益々貧乏になってきているのです。

 最近の気候の変化や大地の異変もその辺が少なからず関連しているような気がしてなりません。そろそろ、消費拡大が日本の経済を支えるのでなく、エコ化し、その先に自然調和型経済をイメージして進んでいかないと大変ことになることに気づくべきでしょう。年金までも最近は経済の仕組みにいれ株式運用を拡大しているものおかしな話です。

 天につばすれば、やがて、それは、いつか、我が身に降りかかってきます。それでは、もう、遅いのです。人類はそんな愚かではないと思っています。

 今こそ、一人一人がより足下を見つめて、この美しい地球と共存する自然循環型社会へ移行するようベクトルをシフトして行こうではありませんか。

 こんな中、先日のニュースでは三菱が燃費を偽って長年販売してきたことが判明しました。エコに隠れた偽善も見抜いていかないと大変です。下請け人口が40万人以上もある三菱自動車関連工場は大変です。その家族の人たちも大きな影響を受けます。

 人の上に立つ人は、トータルに物事を考えリードしていかないと、大きな迷惑を負わせてしましまいす。これは大きな罪です。

 東京都知事の週末別荘に移動する経費が問題になっていますが、これも、庶民の日頃の暮らしのことを考えて公務をしていたのかと、誰もが思うでしょう。税金は有効に使ってもらいたいものです。

 上に立つ人はより倫理観を持ってことに当たって欲しいと思います。それだけ、権限もある代わりに責任も大きいのです。

                    三面等価の原則

           政治家 指導者                    庶民

 

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パラダイムシフト 変化する地球環境

2016年04月26日 | エッセイ

震災6年4月26日

ヤマハミュージックメディアの楽譜ダウンロード販売サイト

 最近、たびたび発生する自然災害の目の当たりにするにつれ、歴史は過去を学び未来を予測するものだと、今まで思っていましたが、数年前から、この考えは変更をしなくてはと思うようになりました。

 誰でも過去の経験則をもとに予測をたてます。ところがどうも、最近は、この経験則と未来との土台となる環境が、温暖化と共に様変わりをしてきています。

 過去が同じ条件なら、その予測も成り立ちますが、根本の条件が変わって来ている現在、その条件の変化をもとに、未来を予測しないといけないなとつくづく思うようになりました。

 人はどうしても、過去のようなことがずっと続くような錯覚を起こしましすが、諸行無常が示すように常に同じように見えても移ろいでいくのが世の中だという観点にたたないといけないと思います。

 変化について行くというのは口で言うと簡単ですが、実際はなかなかできるものではありませんが…。私は、いつも懺悔の毎日です。

 自然環境も昔と様変わりしてきました。これににより、台風はより大型化してきています。 

 昔、パラダイムシフトという本を読んだことがありました。要するに、原理原則の根本が変わるということです。誰でも、ある前提をもとに行動したり考えたりします。その根本がシフトするのです。

 根本が変われば、それをもとにしているものが変わって行くのは自然科学的にみても、ごく常識的な出来事です。

 社会や自然が根本から変化して来ている事実を。しっかり心に刻む必要があるなと思いました。

 どの辺がパラダイムシフトしてきたか、表にまとめて見ました。そして、一つの変化が人智でははかりきれない程、多方面に影響を及ぼし、連鎖していってます。まるで、ドミノ倒しのようです。それが、怖いです。

 

 本人の勝手な解釈ですので、間違っているかもしれませんが、当たざるも遠からずだと思います。

 表にしてみると、全体像がよく浮かび上がって来ました。どこに問題があるのかも分かりやすくなりました。

 これからの、生き方の指針にしていきたいと思います。

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シンビジウム開花から想う

2016年04月18日 | 我が家の庭

震災6年4月18日

下の文字をクリックで宿泊サイトに飛ぶ

民泊で楽しむ田舎体験

 シンビジウムが今年も開花しました。平成4年に確か購入しましたので、これで24年も咲き続けています。その間、最近は、たまに植え替えするぐらいで、ほっておいたので、花は一房しかでなくなりました。

 購入した当時は、確か1万円近くしたと記憶しています。よくも、あんな高い物を買ったものだと、当時を思い出します。そのときは3房ぐらいついていたと思います。それが、最近では株別れして、全部で6房に増えました。

 月日のたつのは早いものです。これからは、この花も手入れをして、毎年、きれいに咲かせていきたいと思います。最近はそれに山野草やら菜園が入ってきました。へたの横好きですが、これらは、今後も続いていくでしょう。

 そういえば、セントボーリアも一時やっていたなあと思い出しました。ガラスの温室まで、買い込みましたが、いつの間にか、それも山野草へと変わっていってしまったようです。また、いつか、育ててみたい気もします。その花は私は地中海さんだと思っていましたが、調べたらアフリカ産だったのですね。思いこみはいけません。自戒します。よく、調べて解をださないと、どこかで赤恥をかきます。今後、気をつけたいことですね。

 セントポーリアは花の女王ともいわれます。私がやっていた当時はだいぶブームだったように記憶してます。今、こうして何かの縁で思い出しますと、懐かしい一こまだったように思います。今のように、庭付きの家に住んでいなければ、ずっと、育てていたと思います。部屋でも育てられますものね。

 

民泊で楽しむ田舎体験

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バランス感覚から想う

2016年04月12日 | エッセイ

震災6年4月12日

ヤマハミュージックメディアの楽譜ダウンロード販売サイト「ぷりんと楽譜」

 

バランス感覚というと思い浮かべるのが「やじろべい」です。右左の微妙な感覚を保って釣り合っています。

  さて、バランス感覚について、ちょっと、考えてみましょう。飛行機が落ちないのは重力と揚力のバランスが保たれているのです。この世はすべて、バランス感覚で成り立っているといっても過言ではありません。

 私たちが何気なく過ごしている中には、このような現象はたくさんあります。じっとして動かない物も実はバランスを保っているからなのです。動かないということはエネルギーがゼロではなく、押す力と引く力が釣り合っているからこそ、動かないのです。

 平和の状態も、それを壊そうとする力と、それを守ろうとする力の均衡がとれているからだと思います。

 だから、平和も飛行機もある一方の力だけになると、戦争状態になったり、墜落する羽目に陥ったりすることがわかります。この世はすべて微妙なバランスで成り立っているのです。

 健康もどうでしょう。何もしないでいて、健康状態を持続することができればこんないいことはありませんが、そうはいきません。内面では、絶えず、戦いが行われていて、そのバランスがとれている状態が健康だと思います。

 病原菌があるから病気になるのでなく、それを防ごうとする免疫機能とバランスがとれているから発症しないのです。菌の一つや二つ誰でも持って生活しています。病気は病原菌が問題でなく、詰まるところ、免疫機能の衰えが病気を誘発するのです。手を洗うより、菌が入ってもそれをやっつけるだけの力が病気を防ぐのです。(手を洗うことを否定してるのではありません。)学校教育でも手荒いの励行の前に、この病気にならない体力作りをもっと考えてもいいと思います。手を洗っても、毎日ふしだらな生活をしていることこそ、問題なのですから。

 病気という字は昔から病が半分、気が半分といいます。強い気を持って、病気をはねのけることが大切です。そういう気概が病気を遠ざけるのです。病原菌ばかりのせいにしない方がいいです。病原菌だって生き残りをかけて必死です。この世に不必要なものは一つもないと思って、共存してすることです。

 路傍の石も、動かないでじっとしていますが、これは、重力と石を支える地面の力が均衡状態になっていることだと思います。

 また、努力というと、艱難辛苦を味わいながらやるものだと、昔の人は教えられて来ましたが、楽しんでそれに取り組むことが大切です。同じ力を注ぐなら、我慢して耐えてやるより、前向きに向き合い、進んでそれに興味を持って取りかかれば楽しいものです。気が付いたらやり終えています。

 人の心は大海よりも広いのです。物は考えようで、どうにでもなります。ですから、やるなら、何でも、できるだけ、楽しみながらやり、前向きにとらえていきたいものです。

ヤマハミュージックメディアの楽譜ダウンロード販売サイト「ぷりんと楽譜」
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庭の花たち

2016年04月11日 | 我が家の庭

震災6年4月11日

 桜の花も少しずつ散り始めました。季節の移ろいはいかんともしがたいですが、これからは初夏にむかってくのでしょうか。
 我が家の庭では今、こんな花が咲いていますので、紹介します。

キンギョソウですが、昨年のこぼれ花が咲き始めました。寄せ植えにしてあります。

 カラーでしょうか。昔はもっと和名で呼んでいたように思いましたが、名前を思い出せません。白色です。どこで、買ったか定かではありませんが、最近苗が増えて来ました。白色で涼しげな感じがします。

 十二単(じゅうにひとえ)という名前です。山野草になります。紫っぽいブルーで、よく目立つ花です。その近くにあるのが、ツワブキやユキノシタです。

 日扇の花です。赤がちょっと、きつめです。浜松の平田(なめだ)町のたこの絵柄の花です。花の下の部分が扇の形に似ているところからつけられたようです。白花もあるようです。手前はシャクヤクの花です。シャクヤクもつぼみがついていて、もうじき咲きそうです。楽しみです。

 芝桜の花です。この時期、地面を這うように咲きます。絨毯をしいたように咲く各地の芝桜の公園はみごとです。また、こんな所に行ってみたいです。茶臼山は何度かいったことがありますが、天空の花回廊として、有名です。標高1358Mに咲く芝桜です。富士芝桜もいいようですが、まだ、いってませんので、是非ココには今年訪れてみたいです。右にあるのが、ヤブカンゾウです。葉は酢みそでおしたしにしてもおいしいらしいです。まだ、食べたことはありません。いつか、食べてみようと思います。

 右下の白い山野草の花がイワヤツデの花でしょうか。この目が出始めると春がきたなと、いつも思います。

 入り口にはパンジーの花がにぎやかに咲いています。門扉を開けると右手に桃の花が見えます。小さめの身がなりますが、食べられます。

 モッコウバラが咲き始めました。楽しみです。昔は、もっと、フェンスを組んでトンネルを作って栽培していましたが、台風で倒れてから、規模を縮小しました。

 紀子様のお花とお聞きしていましたが、本当は、モッコウバラは、紀子様ではなく眞子内親王の御印だそうですね。どこで勘違いして覚えていたのか…。私も好きなお花です。モッコウバラの垣根もすてきです。
ちなみに、紀子様の御印は、『檜 扇 菖 蒲 』 (ヒオウギアヤメ)です。

  以前、挿し木していたツツジに花芽が付いていましたので、鉢上げしてみました。咲くまでが楽しみです。
 咲くまでの どきどき感は ツツジかな

 門扉を抜けた所に植えてある桃です。この時期花をつけ、玄関前で来客を迎えます。

 

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