何気なく、ネットサーフィンをしていたら、私が生まれた頃の昭和の写真が懐かしそうに、白黒で載っていた。 私が初めて新聞を意識した事件が『青函連絡船「洞爺丸」沈没』事故であった。今でも鮮明に当時の記憶が残っている。千人以上がなくなったそうである。海岸に横たわる遺体の写真が思い出される。丁度わたしが、7才のころであった。そのころから、新聞は情報源としてたまに、見ていた記憶がある。
それにくらべ、 今の時代は情報があふれているが、新聞は番組欄以外は見ない子どもが多いように思う。私も子どもも、そうである。新聞のない家庭も結構あるという。TVやインターネットで間に合ってしまうらしい。また、電話も据え置き電話のないうちも、出てきている。携帯でまにあってしまうのだ。 このような文明の利器は無かったが、昭和の時代はなつかしいことでいっぱいだ。私も年をとったということかな。もんぺ姿や割烹着が今となっては懐かしい。そのことを思うと、今は亡きお袋を思い出す。もんぺや割烹着を着てかいがいしく動いていた当時を…。生きていれば、今、お袋は97才親父は99才になる。今頃は冥土で私を待っているかな。
当時の子どもの笑顔がいいね。 ←左のリンクをクリック
先日、富士山静岡空港へ見学に行ってきた。大井川の西の茶畑牧之原台地にどっかと腰を据えて、開かれていた。結構近くに空港ができたので、冥土のみやげに一度は乗ってみたいなと思う。
来年の3月に開港を予定しているようだ。

来年の3月に開港を予定しているようだ。
