お早うございます。毎日、猛暑が続きます。毎朝、ウォーキングを25分程、やってから、朝食をとっています。と、同時に、今日の朝顔どうだろうかと、庭にも目をやっています。
今朝は、ついに、朝顔が4連咲になりました。3つまでは咲いていたのですが、今年初めてです。
朝顔といえば、摘み切りそう同様、もっとも、昔から私が馴染んでいた花です。花びらをお酢で染めた筆でなぞると、なぜか、そこだけ色が変わる事を覚え、何度もやって遊んだ時の記憶が蘇って来ます。それは、兄がやっていて、覚えたように思います。
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学ぶは真似るといいますが、そのようですね。兄のやることから、学んだことが多々ありました。7つ違いの兄ですが、70歳の頃になくなりました。
4、5歳の頃では無いかと思います。摘み切りそうも、昔の花で、よく育てていました。
昔は八重咲きは記憶になく、一重咲しかなかったように思いました。積み切っては、その辺に無造作に挿し芽をして増やしていました。だから、摘み切りそうですね。
他にもヒャクニチソウ、ルコウソウ、ノコギリソウ、木苺、イチジク、サクランボ、柿、山茶花、オモト、棕櫚竹、八朔蜜柑などの植物が植えられていました。
いま思うと、割と家族が植物好きだったように思います。特に中でも姉が花が好きで色々世話をしていたように思います。今でも、その植物好きは姉の影響が多分に関係していると思います。
特にルコウソウは、種がネズミの糞にそっくりだった事を思い出します。毎年、育てていましたね。
棕櫚竹の木は外にあるボットン便所の横の手洗い水を貯めてある横に植えてありました。当時の便所は外にあったんですね。夜は怖くてやたら、行けませんでしたね。
そうそう、当時は、今のようなトイレットペーパーがなくて、新聞紙を手で揉んで柔らかくして使っていましたね。その後、ちり紙になっていきました。それも、始めは鼠色の質の悪い神が使われていました。今の真っ白なペーパーからは想像できません。
屎尿も農家が馬で三方原から買い取りに来たこともありました。農家さんは畑の肥料として人糞を使っていたのです。その関係で、畑には肥溜めがあり、新聞が混ざっていたのを覚えています。
たまに、慌て者が、遊んでいてそこに落ちた話しもありました。のどかといえばのどかな日常でした。
イチジクの木がどぶの脇に植えられていました。昔は下水道がなかったので、家庭排水は、いったん掘られたどぶに流していたんですね。また、井戸水をくんで、風呂や飲料水としても使っていました。今では考えれないことです。毎年、沢山の実がなり食べたことも浮かんで参ります。木が高くなり、兄が木に登らなくても実を取る道具を作って使ったこともありました。
木苺の木は隣のうちに行く道にあり、その下で、ご飯を食べたりおままごとをやった記憶もあります。木苺の木は遊びのいいお供のようでした。よく、実をたべたものです。
サクランボの木もありましたね。真っ赤なルビーの様な実が懐かしく、今も、昔を忍んで我が家にも植えてあります。
柿も沢山なりました。特に母が鶏糞がいいといって肥料に根っこにあげていました。
垣根には白い山茶花が植えられていました。11月頃になると花がさきました。その中に混じって、風に種が舞って来たのか、ザボンの木があり、毎年大きな実がなっていました。
外トイレの横にはノコギリの刃に似た葉を持つノコギリソウが植わっていました。根が丈夫で群生していました。黄色の花でしたが、なぜか、あまり印象がありません。
トイレの横では、兄がカラスやウサギを飼っていました。その関係でウサギの餌は田んぼの畦道で鎌を持ってよく取りに行ったものです。金平糖という草だけは、毒があるので、気をつけていました。
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今朝は、ついに、朝顔が4連咲になりました。3つまでは咲いていたのですが、今年初めてです。
朝顔といえば、摘み切りそう同様、もっとも、昔から私が馴染んでいた花です。花びらをお酢で染めた筆でなぞると、なぜか、そこだけ色が変わる事を覚え、何度もやって遊んだ時の記憶が蘇って来ます。それは、兄がやっていて、覚えたように思います。
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学ぶは真似るといいますが、そのようですね。兄のやることから、学んだことが多々ありました。7つ違いの兄ですが、70歳の頃になくなりました。
4、5歳の頃では無いかと思います。摘み切りそうも、昔の花で、よく育てていました。
昔は八重咲きは記憶になく、一重咲しかなかったように思いました。積み切っては、その辺に無造作に挿し芽をして増やしていました。だから、摘み切りそうですね。
他にもヒャクニチソウ、ルコウソウ、ノコギリソウ、木苺、イチジク、サクランボ、柿、山茶花、オモト、棕櫚竹、八朔蜜柑などの植物が植えられていました。
いま思うと、割と家族が植物好きだったように思います。特に中でも姉が花が好きで色々世話をしていたように思います。今でも、その植物好きは姉の影響が多分に関係していると思います。
特にルコウソウは、種がネズミの糞にそっくりだった事を思い出します。毎年、育てていましたね。
棕櫚竹の木は外にあるボットン便所の横の手洗い水を貯めてある横に植えてありました。当時の便所は外にあったんですね。夜は怖くてやたら、行けませんでしたね。
そうそう、当時は、今のようなトイレットペーパーがなくて、新聞紙を手で揉んで柔らかくして使っていましたね。その後、ちり紙になっていきました。それも、始めは鼠色の質の悪い神が使われていました。今の真っ白なペーパーからは想像できません。
屎尿も農家が馬で三方原から買い取りに来たこともありました。農家さんは畑の肥料として人糞を使っていたのです。その関係で、畑には肥溜めがあり、新聞が混ざっていたのを覚えています。
たまに、慌て者が、遊んでいてそこに落ちた話しもありました。のどかといえばのどかな日常でした。
イチジクの木がどぶの脇に植えられていました。昔は下水道がなかったので、家庭排水は、いったん掘られたどぶに流していたんですね。また、井戸水をくんで、風呂や飲料水としても使っていました。今では考えれないことです。毎年、沢山の実がなり食べたことも浮かんで参ります。木が高くなり、兄が木に登らなくても実を取る道具を作って使ったこともありました。
木苺の木は隣のうちに行く道にあり、その下で、ご飯を食べたりおままごとをやった記憶もあります。木苺の木は遊びのいいお供のようでした。よく、実をたべたものです。
サクランボの木もありましたね。真っ赤なルビーの様な実が懐かしく、今も、昔を忍んで我が家にも植えてあります。
柿も沢山なりました。特に母が鶏糞がいいといって肥料に根っこにあげていました。
垣根には白い山茶花が植えられていました。11月頃になると花がさきました。その中に混じって、風に種が舞って来たのか、ザボンの木があり、毎年大きな実がなっていました。
外トイレの横にはノコギリの刃に似た葉を持つノコギリソウが植わっていました。根が丈夫で群生していました。黄色の花でしたが、なぜか、あまり印象がありません。
トイレの横では、兄がカラスやウサギを飼っていました。その関係でウサギの餌は田んぼの畦道で鎌を持ってよく取りに行ったものです。金平糖という草だけは、毒があるので、気をつけていました。
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