浅葱色(あさぎいろ)という言葉がある。日本語は英語に比べて、言葉の意味するところが広いと思う。いわゆるアナログ的である。浅葱の葱はネギとも読む。そうだ、ネギの色に近い。そう思って私が育てているネギをよく見ると、やはり、その色だった。色についていつも思う。色へんに豊かで艶とかく。山へんに上下で峠と書く。雫などは雨が下とかく。体へんに要で腰となる。あげていけばきりがない。「触れ合い」と感じで書くのがいいか、ひらがなで「ふれあい」と書くのがいいか、ひらがなは女文字と言われている。あたりがソフトなのだ。字が曲線的なところが女文字と言われるゆえんであろう。言葉には魂が宿っているという。本当に日本の言葉は幅が広い。俳句や短歌や詩にもそのことがよく現れていると思う。やはり、洗練された詩や文章は芸術の範疇に入るのだろう。絵かきは色や空間を大事にしながらキャンバスに自分の思いを託す。音楽家は休符や音符や拍子、音色、リズム等を使って思いを伝える。書道家は炭の色や筆の運び筆圧等を使って表現する。ダンサーは空間の中で、緩急の動きや肉体等で表現する。
とにかく、芸術は最高な作品だといえる。右脳と左脳が合体し融合するところにそれは存在する。芸術の正解は全くの自由な世界なのだ。あらゆる手段を使って芸術家は内面から浮かび上がる思いを表現する。文学の世界もまた、同じ。全てが芸術であると言っても過言ではない。全て生きていることが作品である。人生は作品作りといっても過言ではない。
浅葱色からとんでもない話になってしまった。
よくよくみると、浅葱色も奥の深いいい色ですね。