コロナ2年11月22日
最近、自己中が増えたなと感じることが多々ある。それは、昔ながらの人の心を察し合う力の不足から来ている。日本人の察し合う、思いやりという美徳はどこへ消えてしまったのだろうか。
これも、国際化が進み、自己主張をしないと生きていけないという事を考えるとうなづける面もある。残念な気もするが、致し方ないのかもしれない。相手の事を察している間に、狡猾にも相手にやられてしまうからだろう。
国際政治の世界もまさに、国益第一で進んでいる。国益を主張するとは、まず自国の利益を考えて行動することである。個人に当てはめれば、それは自己中となる。トランプ前アメリカ大統領はその点特に際立っていた。暇があればアメリカ第一主義を叫んでいた。それは自国のみ豊かになればいいということだ。アメリカなどの強大な国がそれをやられたら小国日本等はたまらない。その後、その反動もありバイデン大統領になりだいぶ良い方向に変わって来ている気がする。
さて、昔のように日本だけで生活が成り立つ社会なら何ら問題もないのだが、昨今のご時世、国際化が進み、世界が一つになる時代になると、どうしても国際社会とお付き合いをしていかなくてはならなくなる。そうすると、日本だけの考えでは外国とのお付き合いもできない。必然的に日本スタンダードは国際スタンダードと変化していかざるを得ない。他国が国益を言い出せば、日本もそれを言わざるを得ない。案外、今どきの自己中の原因はこの国益重視の現実の中にあるのかもしれない。
残念だが、世界が国益を主張していると、どの国も国益を主張するようになり、切りがない。どこかで、他国を想いやる国は現れないだろうか。そのリーダーになりえる国は国力があるアメリカや中国だろう。しかし、悲しいかな現実はなかなかそうなっていない。まだまだ、小国は大国のいいなりになっているのが現実のなのだ。だから、今後の日本もあらゆる面で国力を増強していかなくてはならない。まさに、国際社会は力こそ正義の世界なのだ。平和とは悲しいかな、現実、力の均衡の上で成り立っているのだ。
そんな中で、若者は、これから、たくましく、生きていくためには、英語を自由に操り、自分の考えをしっかり発信し受信する語学力が必携となる。日英のバイリンガルでないと生きてゆけない。その中にデジタルリテラシーも求められるのだ。
義務教育では生活科や総合的な学習で体験と気づきを重要視しながら、自立への基礎をめざし。問題解決的な学習法を身に付けていかなくてはならない。
そんな中で、物をはっきり論理的に言わない日本人では国際社会では通用しない。長い間に培ってきた日本の美徳は心の奥においたとしても、積極的なアプローチをしながら、対人関係を気づき、国際感覚を身に付けることが大切な時代となる。
日本語は察し合いの言語で目的語が後に来るが、時には結論から入り論理的に説明しないと理解が得られないかもしれない。そういう時はずばり結論からはっきり言う習慣も身に付けたい。誰とでも話しあえるコミニケション能力は益々大事な時代になって来ている。
幸い、日本ではあまり、自己主張しなくても察し合う雰囲気に満ちていて、単一民族だという環境にも恵まれていたのだろう。今まではそれでよかった。
しかし、より国際化が進む今日にあっては、自分の事をはっきり自己主張していかないと、相手につたわらないし、生きていけない。適度に自己主張しながら、とにかく相手と分かりあえることが何よりも大切である。また、その主張は相手を理解することでより確かなものとなってゆく。