震災4年11月22日
ネギの魅力
最近ネギにはまってきた。その白い肌の美しさ、それに対する葉の緑の何ともいえない色、浅葱色という日本語がぴったりの色、日本人は古来ネギとともに生きてきたのではないかとさえ思う。
日本語は奥が深いなとしみじみ思う。色の表現でも自然と一体化してきた歴史がある。(日本の伝統色)何年追い求めても追い求めきらない深さがある。気がつくまでにあげれば、茜色、鳶色、海老茶色、ねずみ色、朱鷺色、焦げ茶色、藤色、藍色などが思い浮かぶ、自然と連動して発達してきた言葉だろうと思う。古来それほどまでに日本人は自然を神とあがめてきた証拠ではないか。西洋の言葉にはない魅力であろう。言葉の歴史は日本文化の歴史でもある。
同じ緑でも微妙な違いを色々な言葉で表現していて深遠とでもいえるのではないだろうか。間口が広く奥行の深い日本の言葉、歴史に裏打ちされ今日まで文学の中で生活のなかで広くあまねく表現されてきた。この日本に生まれてつくずくよかったと思わずにはいられない。
昔、英語を習っていたころ、こんなことがあった。「雪がしんしんと降る」の「しんしん」が英訳できないという。しんしんの中にはデジタルでは表現できない諸々の深い意味が含まれているのだろう。いや論理的な意味ばかりでなく心情的な面、場面描写、空間など言葉では表せないほどの意味がその中にあると思う。人の営みの中には言葉では表現できない深いものがあるのであろう。言葉だけで議論してしまう今の風潮は真理とはかけ離れたものになってしまう。それだけ、人間の心理は複雑怪奇であるともいえる。
★浅葱色 青と白との コントラストが またまぶし
根が太いのが混じっていますが、それがたぶん下仁田ネギではないかと思う。すき焼きには合うようです。
ねぎも色々な種類があり味が違うのが最近わかってきました。今度は根が赤い葱も育ててみたいと思っています。また、料理でも色々使い方を考えてみたいです。
見ているだけで、惚れ惚れして芸銃的な価値もあります。何時間見ていても飽きがこない素材です。生でもかじってみたくなります。たまねぎとはまた違った食感を楽しむのもいいと思います。
先日、オリーブオイルで炒めて、しょうゆをつけて食べたら結構いけました。また、レシピのレパートリーも増えました。
長葱の 美しき哉 その白さ
ピュアな心は 乙女そのもの
長葱の 人肌に似て 透き通る
その白さこそ 若さそのもの
生きている 息をしている 長葱は
おいしいこと この上なし 味噌で食べよか むらさきか
老いて行く 自分の体 見比べて
かなわぬ願い 長葱に託す
さて、ついでに雨の降る様子を表す言葉にも色々あるという。自然とかかわった表現である。梅の雨と書いてつゆはあまりにも有名です。春、花に降りそそぐ雨、紅雨。新緑に降る緑雨、新緑の緑が映える頃に咲く雨だ。 新緑のころ,青葉に降る雨。翠雨(すいう)。
そうして『青雨』、『黒雨』ときて(空を暗くするばかりに降る大雨。)
、最後に『白雨』(明るい空から降る雨。にわか雨。)
が来れば、夏だという。 黄梅雨(きずゆ・きつゆ)夏至の前にふる雨。ちょっと調べてみるだけで色々ある。どうも、これらは中国と大きくかかわっているようだ。時雨雨(しぐれあめ)春雨(はるさめ)天気雨、夕立、菜種梅雨、涙雨などはよく歌謡曲でも使われる。霧雨、小糠雨なども今でもよく使われている。通り雨なども昔よく使った。
まだまだ、知らない言葉が多くて、これでは一生かかっても追いつかない。一生は短い。後のことは次の世代に譲ることにしよう。毎日その刹那刹那を精一杯生きるしかない。後は人生ケセラセラでなるようになり、なるようにしかならない。これしかないと思う。それにしても人生長くて100年、ずいぶんと短いものだと思わざるしかない。その日その日を大切にし、いつまでも健康ですごしたい。これ、万人の思いだな。
※人は毎朝生まれ変わる。
※何事にも、つかず離れず、さりげなくさらっと、繰り返し繰り返し愛情を持って!