想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

LEDイルミネーションから想う

2014年12月31日 | エッセイ

 最近、一種の流行でしょうか、やたらledのイルミネーションが盛んに行われています。近いところですと、つま恋掛川、御殿場の時のすみか、蒲郡のなばなの里でしょうか、宣伝されない日はないぐらいです。

 どこも、行ったことがありますが、きれいといえばきれいですが、どうも人工美が私には好きになれません。表面的な美しさできれいだなで終わってしまいます。もっと、日本には自然がたくさんあるはずなのに、残念でなりません。自然は奥が深いです。地球が誕生以来、有史以前自然と共にすべてがあったはずです。これからも、自然は存在し続けるのです。自然は征服するものではなく、理解し共存するものです。

  昔からある白砂青松、山紫水明という言葉はどこへ消えたんでしょうかね。海岸は地震対策の防波堤やテトラポットに変わってしまい、索漠とした感があります。藁葺き屋根も最近はほとんどみえなくなり、国の重要文化財にさえ指定されているようです。北の空の遙か彼方の南アルプスも連日、かすんで見えます。

 時の流れは致し方ありませんが、人間にとって何が大事かそうでないかを吟味しないで流れに負けてしまっているようです。不易を忘れ流行に流されているといえます。

 青色ダイオードの発明はそれはそれで人類には貢献するところが大きく素晴らしいと思います。ただ、残念なことは昨今の風潮として省電力がいいからと行って必要もない照明を無駄にするというのはどうかと思ってしまいます。LEDの発明は昔に比べれば大きな省エネです。それで素晴らしいと思いますが、昨今のイルミネーションブームはどうかと思ってしまいます。

 キャンプをやった方なら経験があるでしょうが、炎を見ているだけで癒されます。私も時々炭火で秋刀魚を焼きますが、癒しに最高の薬です。炎が薬なんて言うとおかしな話ですが、昔はそうやって自然と一緒に暮らしていたので、ストレスがなかったかなと思います。生き方もなるべく自然体がいいようです。

 ごみということばがなかった昔にはストレスという言葉もなかったはずです。地球全体が循環型の社会で、すべてが回っていた時代でした。石油が発掘されエネルギー消費が大量に起こり、やがて、原子力を始め本来地球に存在しない製品が続々出てきてその循環がたたれてしまったのです。もうちょっと、何の為の文明化かを考え直す必要があります。

 西洋医学的な相手を負かす発想でなく相手と共存して行く社会を目指すことが大切です。その点、東洋医学的な発想が大切です。大半の病気はこの辺の所に原因があるのですから。世の中すべては自然の摂理で成り立っています。自然に逆らってはいけません。自然を理解しようではありませんか。

  自然界のすべてのものは圧縮されれば、やがて、それは爆発しその圧を和らげて行きます。それがリズムを生みそれが波動というものです。株も経済も人間の生理も、運もチャンスも台風も雨風も、世の中すべてはリズム(波動)であるといっても過言ではありません。人の寿命も地震も台風もすべてそのリズムの中から発生しているのです。一日にもリズムがあります。1年にもリズムがあります。100年1000年にも、数々のリズムの長短の中で人は生かされているのです。大切なことはそのリズムに気づき生かすすべです。私もいつか生を終えるときが来るのです。

 

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遠い親戚より近くの他人

2014年12月22日 | エッセイ

 遠い親戚より近くの他人という言葉がある。実際に頼れるのは近くにいる人だ。私も今年は班長と副自治会長をやっている。班員は7戸自治会は170余戸から成り立っている。コミュニティのあり方も昔と確かに変わって来ている。災害もいつ襲ってくるかは分からない。そのとき、地域とある程度の関わりが常日頃からできていないと困ると言うことは3.11でも体験済みだ。

 昨日、班の会合を開いた。最近は班員が全員集まることが少なくなっている。これでは、いけないと言うことで、時期班長さんと相談して年に最低一度は集まり近況を話し合うことが大切だね。ということになり会合を持った。

 そこで、決めた最低限のルールとして慶弔関連の班員が死亡した時の対応だ。
遺族はまず、班長に連絡する。班長は自治会長に遺族の意志をつたえる。そのとき、葬儀の内容をどうするかを遺族は班長に連絡する。家族葬にするのか、否か等を明確し、遺族から要請があれば班員は会計と受付を手伝う。それと、地震のとき、どの家も異常がなければ、黄色い旗を玄関に掲げるということだ。もし、出ていないうちがあったらその家に確かめに行くことになっている。

 葬式なんて自分とは縁がないと思っていたが、少しずつ考えていかなくてはと思いつつある。現実、葬儀には大きな金銭的な負担がかかって来ている。葬儀のあり方も時代と共に変遷してきている。宗教の自由もある。どういう葬儀にするのかは遺族の思いを尊重するのはいうまでもない。それが、民主主義だから。先日、我が家でも義母の葬儀が行われた。姉夫婦が喪主となり家族葬で実施した。ごくごく内輪だけの親族が集まったが、あれもいいなと思った。幸い私なんぞも次男でもあり、自由が効く。自分の事は自分で決めていきたい。

 田舎で困ることはややもすると、旧来の伝統にとらわれることである。時代は流れ、変わっていくのである。芭蕉の不易流行という言葉もある。不易な部分は残し、流れに任せる部分は変えていく。反面、郷に入っては郷に従う部分でうまくいく場合もある。それはそれでいいとして、お互いが窮屈になるような事は変えていく必要がある。伝統の良さは残しながら戦後の民主主義のよい面はどんどん取り入れていく必要がある。

 幸い、我が班は全員よそからの集まりである。新しい考え方で班のコミュニティを今後も、みんなで集まり、話し合うことで決めていきたいと思う。

 時代が変わってきても、遠くの親戚よりは近くの他人という言葉は生きている。公共の福祉と基本的人権の調和の観点から、現代流にアレンジしてどうこの辺の枠組みを作っていくかみなさんと考えていきたい。

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今日も寒さ続く

2014年12月19日 | 日記

 今日も昨日に続き、寒気団の影響で寒さが厳しいです。外は0℃でした。ただ、風が昨日のようになく、幾分朝は暖かく感じました。庭に出てみると野菜に霜がはっていたり、氷ができていました。

こんなに寒くなってきても、まだ、もみじが紅葉して葉っぱをつけていました。最近、我が家でも、朝の寒暖のせいか紅葉が見られるようになりました。このもみじももうちょっと手入れするといい盆栽になりますね。

車のフロントガラスも霜だらけになりました。まるで、滝のように見えます。燃費がいいエコ車ミライースで25Km/Lは走ります。文字通り下駄代わりに飛び回っています。9月に買ってもう、6千キロオーバーです。頼もしい相棒です。

睡蓮蜂を覗いたら氷がはっていました。薄氷でした。これからは、大寒に向かって寒さもより厳しくなるでしょう。寒さに負けない体を鍛えたいです。子どもは風の子、私も風の子です。かめのそこにはメダカが住んでいます。今は多分じっとしていることでしょう。

庭の紫キャベツや白菜にも霜がはりました。霜の結晶も見事な自然の造形ですね。

紫の野菜にはアントシアニンとポリフェノールがいっぱいだと聞きます。これからも、野菜はいっぱい食べます。

飛び石を千鳥に並べてあります。分譲住宅ができたときに自分で適当に庭を造りました。作ってから、かれこれ20数年が過ぎました。増し土をしたりして、だいぶ埋まった状態になっていましたので、最近、少しずつ、石を掘り起こして目だたたせています。庭も最近は放りっぱなしにしていたので、少しずつ手入れをしていこうと思っています。

※前回のブログで詩の一部が欠けていました。現在、修復が終わりました。お詫びして訂正させていただきます。

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今日という日の始まり

2014年12月18日 | エッセイ

月天心
  貧しき町を
      通りけり   …蕪村

 今日の外気は朝6時で0℃です。特に冷えました。シベリア寒気団が発達し、北海道や東北、日本海側は猛吹雪です。詩を作って見ました。ご鑑賞ください。

 

 

 

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衆議院選に想う

2014年12月17日 | エッセイ

震災4年12月17日 

 衆議院選挙も自民圧勝で終わりました。民主主義とはいえ、最後は力は正義なりを見せつけた今回の選挙でした。民意を反映するのが選挙なら棄権も含めてこれが民意と言うのでしょう。

 投票率も戦後最低を更新した模様で、52%台と言うところでしょう。棄権も民意とはいえ今一度盛り上がりに欠けた選挙でした。争点もアベノミクスの経済再生に偏っていました。私的にはもう、経済の拡大というには地球環境が危ういと思うのですが、いかがでしょう。

 また、もうちょっと、若者が政治に関心を持ってもいいのではないでしょうか。その辺でも、国も今後はその工夫としてネット選挙の仕組みを研究して実施して欲しいです。投票率は60代が一番多かったように思います。退職して時間がたっぷりあるからでしょう。速くネット選挙も解禁になって欲しいです。そうすれば、若者や仕事が忙しい人の投票率もあがるでしょう。

 解散権は現職総理にあるわけですので、自民主導で総選挙も始まるのは致し方かありありません。現実世界はどんな立派な事をいっても、力の論理で世の中は動いているのです。

 私が昔4年間ばかり国の公務員に務めていて、そのことをつくづく感じました。正義を実現するなら力をつけねばなりません。力こそ最大の正義になるのです。世界はbalance of powerで動いているのです。力とは何かはここでは論じませんが、エネルギーの様なものです。どんなきれい事も現実界ではこのパワーに跳ね返されてしまいます。

 私が一番憂いているのは全体主義になったら大変だと言うことです。この辺はいつも警戒をしていないと、国民は大変な悲劇に見舞われます。そのトレンドが来ているかいないかを国民は常に監視することが大切です。「物言えば唇寒し」こんな戦前の世の中に逆戻りさせてはいけません。能率は悪いが何でもいえる世界こそ現実素晴らしいのです。

 その意味でも特定秘密保護法は今後も監視して言った方がいいと思います。民主主義ではバランス感覚が重要です。ある時期改革し引っ張っていくにはバランスというより猪突猛進もいいかもしれませんが、民主主義の世の中では最終的にこのバランス感覚が一番だと思います。

 国の組織も三権分立で現在は機能していて安心しています。お互いが牽制しあう仕組みは優れたものだと思います。これも、マグナカルタを中心とした基本的人権思想が寝付いて来ているのではないでしょうか。

 神様のような人が仮にいたとすれば専制国家もいいのでしょうが、現実、生身の人間が統治する世の中においてこのようなお方は出現していません。これは宗教にお任せした方がいいようです。

 やはり民意を反映した政治をおこなう民主主義が一番だと思います。公共の福祉と基本的人権のバランスを考慮しながら今後もこの民主主義が機能するように我々国民は責任ある国民の一員として自覚と責任を持って行動ることが肝要です。

※人は毎朝生まれ変わる。
※何事も、つかず離れず、さりげなくさらっと、繰り返し繰り返し愛情を持って!

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