最近、一種の流行でしょうか、やたらledのイルミネーションが盛んに行われています。近いところですと、つま恋掛川、御殿場の時のすみか、蒲郡のなばなの里でしょうか、宣伝されない日はないぐらいです。
どこも、行ったことがありますが、きれいといえばきれいですが、どうも人工美が私には好きになれません。表面的な美しさできれいだなで終わってしまいます。もっと、日本には自然がたくさんあるはずなのに、残念でなりません。自然は奥が深いです。地球が誕生以来、有史以前自然と共にすべてがあったはずです。これからも、自然は存在し続けるのです。自然は征服するものではなく、理解し共存するものです。
昔からある白砂青松、山紫水明という言葉はどこへ消えたんでしょうかね。海岸は地震対策の防波堤やテトラポットに変わってしまい、索漠とした感があります。藁葺き屋根も最近はほとんどみえなくなり、国の重要文化財にさえ指定されているようです。北の空の遙か彼方の南アルプスも連日、かすんで見えます。
時の流れは致し方ありませんが、人間にとって何が大事かそうでないかを吟味しないで流れに負けてしまっているようです。不易を忘れ流行に流されているといえます。
青色ダイオードの発明はそれはそれで人類には貢献するところが大きく素晴らしいと思います。ただ、残念なことは昨今の風潮として省電力がいいからと行って必要もない照明を無駄にするというのはどうかと思ってしまいます。LEDの発明は昔に比べれば大きな省エネです。それで素晴らしいと思いますが、昨今のイルミネーションブームはどうかと思ってしまいます。
キャンプをやった方なら経験があるでしょうが、炎を見ているだけで癒されます。私も時々炭火で秋刀魚を焼きますが、癒しに最高の薬です。炎が薬なんて言うとおかしな話ですが、昔はそうやって自然と一緒に暮らしていたので、ストレスがなかったかなと思います。生き方もなるべく自然体がいいようです。
ごみということばがなかった昔にはストレスという言葉もなかったはずです。地球全体が循環型の社会で、すべてが回っていた時代でした。石油が発掘されエネルギー消費が大量に起こり、やがて、原子力を始め本来地球に存在しない製品が続々出てきてその循環がたたれてしまったのです。もうちょっと、何の為の文明化かを考え直す必要があります。
西洋医学的な相手を負かす発想でなく相手と共存して行く社会を目指すことが大切です。その点、東洋医学的な発想が大切です。大半の病気はこの辺の所に原因があるのですから。世の中すべては自然の摂理で成り立っています。自然に逆らってはいけません。自然を理解しようではありませんか。
自然界のすべてのものは圧縮されれば、やがて、それは爆発しその圧を和らげて行きます。それがリズムを生みそれが波動というものです。株も経済も人間の生理も、運もチャンスも台風も雨風も、世の中すべてはリズム(波動)であるといっても過言ではありません。人の寿命も地震も台風もすべてそのリズムの中から発生しているのです。一日にもリズムがあります。1年にもリズムがあります。100年1000年にも、数々のリズムの長短の中で人は生かされているのです。大切なことはそのリズムに気づき生かすすべです。私もいつか生を終えるときが来るのです。