想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

何事も、つかず、離れず、さりげなく、さらっと、繰り返し、繰り返し、愛情を持って!

2021年09月30日 | エッセイ
コロナ2年9月20日
 
 周りと関わる時、私がいつも思う事、それは、「つかず、離れず、さりげなく、さらっと、繰り返し、繰り返し、愛情を持って」です。まあ、私の人生の座右の銘の様なもので、今でもアクションを起こす時の指針となります。
 これに気づいたのは、小学校の先生になってからです。十人十色色々な境遇や能力差のある子がいます。6年間で運よくすべての学年を持ちました。そうこう、しているうちに、「つかず、離れず、さりげなく、さらっと、繰り返し、繰り返し、愛情を持って」と、いう言葉に遭遇するようになりました。
 1回で分かる子ばかりはいません。何度も何度も教えないと身に付かない子もいるのです。そして、こちらからあきらめたら終わりです。まさに教えることは、教わる側でなく、教える側の問題なのです。私の方で手を放してしまったらもう終わりです。そうです。根気よく、愛情を持ってこちらが接すればいつか分かる様になるのです。
 教えることは教える側に問題があるのです。そう想わないと相手に責任を擦り付けてしまいます。絶対教師たるものそれだけは避けなければなりません。     今日できなくても、まだ、明日があります。明日できなくても明後日があります。その後は、低学年を多く経験しましたので、余計にその言葉を意識するようになったのかも知れません。いい言葉だなと、自分なりに感心してます。
 この言葉は、私が何かに挑戦するときの励ましにもなっています。あすなろの木の名前のいわれがありますが、そのことと似ているのかもしれません。あすは檜になろうと思い続けたことで檜になったというお話だったと想います。また、私の座右の銘に「想い続けることができればその想いはいつか成就する」というのがありますが、「つかず、離れず…」と似ています。どちらも、諦めずにいつも同じ方向にベクトルを向け進むという事です。
 まだまだ、私にはやりたいことが沢山あります。すべての事にこの言葉を想い出しながら残りの人生を過ごしています。 最初は、高校の倫理社会の先生もいいなと想っていたのですが、そちらは受験に失敗しました。それなら、何でも広くやることが好きなので、小学校でもいいか、という気持ちで受験し先生に初めてなったのが、24歳になった時でした。まだ、当時は小学校の免許がなかったので、明星大の通信教育を受け3年かけて小学校の免許を取ったことがいまとなっては懐かしく想いだされます。
 大学も勤労学生でしたので、その辺は慣れたものでした。結局、回り道をして、通常大卒と2年程のずれがありました。それも、最初は工高卒(電気)でしたので、卒業するとすぐ就職しました。楽器会社や自動車会社、防衛庁の事務官等を経て、当時埼玉県に努めていましたので、そこの教員になりました。
 中途、小学校の先生を続けるならと、持ち前の好奇心がもたげて来て、音楽もやりたくなり、教師二年目からピアノのレッスンも受け、どうにか、バイエルを終了し、オルガンで授業もやれるようになりました。これも、今では懐かしい想い出です。
 小学校の先生は全教科を持ち、担任となりますので全人教育が可能です。今では何でも専門化して能率化を考えますが、当時はあまりまだ、そういう考えがすくなかったのでできたのでしょう。いい時代でした。




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柿の葉、一葉の紅葉

2021年09月26日 | 我が家の庭
コロナ2年10月18日

 この時季になると、山柿は紅葉し始め、その一部は鮮やかに紅葉したまままっしぐらに落下し地面に横たわっていることがよくあります。まさに
     朽ちてなお
         落ち葉光彩を放つ
 柿の葉の一葉ですが、こうも美しいかと一人で感心しています。まさに、自然の妙とでも言いましょうか、そんな感さえ抱かせます。
 この燃えるような紅が落ち葉だなんて思えません。
  案外、樋口一葉の名前はこの辺から来たのかもしれない。

朽ちてなお
 異彩を放つ
   落ち葉かな

✳︎ 樋口一葉というのはペンネームですが、一葉の「葉」は、葦の葉のことでした。


 






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今年もあえたよ、ナンバンギセル

2021年09月18日 | 野山散策
コロナ2年9月18日

 例年、同じ所に行きますと、この時期、ナンバンギセルと出会います。笹の仲間に寄生して成長しますので、笹やススキがある場所でしか見ることができません。
 今年も、あるかなといってみたら、やっぱ出会えました。
 ただ、例年地元の人達が、草刈りをしているので、絶えてしまうかと心配しています。
 彼らが、そこに咲いているかを知っているかは知りませんが、貴重な山野草ですので大事に見守っていきたいです。
 そこには、他にも金蘭、タマゴダケなど、珍しい山野草がたくさん生えています。
 いにしえの昔から、植物と人間は深くかかわり合って来ました。これからも、共存していくことが、蒼い地球を守ることに繋がります。大事に見守りたいです。




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秋を活けてみました! (詩)

2021年09月18日 | 
コロナ2年9月18日

 庭にある山野草をそっと活けてみました。
もっと、素材を長めに切った方が良かった。次回はもっといいものにしたい。池坊のつもり?

空気は
もう秋 

野菊が周りを
薄紫に染め

伸びた茎の先に
載ってい子饅頭
吾亦紅

小雨の中で
そっと下を向いて
咲いていた
ギボウシの花

母ちゃんは
まだ来ない

幼き頃の追憶が
遥かかなたから
雨粒になって
私の下駄をを濡らした












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蟹の住処が危ないから想う総裁選!

2021年09月15日 | エッセイ
コロナ2年8月15日

 ウォーキングの傍ら、よく蟹を見つけます。ただ、可哀想にその住処が、コンクリートの側溝に変わってしまい.段々減っていっていることに心が痛みます。他の生き物も人も同様です。生まれた限りは生きて欲しいです。穴を掘ろうとしてもコンクリートでは掘れませんので、土のある所や隙間を見つけては住処の穴掘りをやっているようです。
 生物の多様性が失われるということは、人類にも大きな影響を与えます。人類も地球上の生物の一員だという謙虚な考えに立ち返って欲しいと思います。欲望の資本主義、大量消費の経済もそろそろ限界に来ています。自然を大切にする事を第一に考える自然循環型経済に切り替えていかないとやっていけない時期に来ています。2030年迄のこの時期こそ、あれかこれかと大きな選択を決断すら時期だと想います。
 巷では、総裁選挙の真っ只中です。私の見方は、高市さんが意外と実力があるように想います。いつも将来を見据えて、政策を考えている意外に思慮深い方だなと感心してます。女性としての細やかなところにもよく目配りをしたいるなと感じました。 
 日本にもそろそろ、女性の視点から政治を行うことのできる人が現れたかなと密かに想っております。ドイツのメルケルさんを目指してくれればと想います。
 俺が俺がでなく、どうすれば世界が良くなるかと遥か遠くに視点をおき、1歩後退、2歩前進の精神で考えることの出来る思慮深いリーダーの登場を願っております。女性が新しい命を宿してそれを育むような発想で新しい世界を創造して欲しいです。まさに、コロナ禍のここ10年は、世界も大きく変わらざるをえないでしょう。







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