コロナ2年9月20日
周りと関わる時、私がいつも思う事、それは、「つかず、離れず、さりげなく、さらっと、繰り返し、繰り返し、愛情を持って」です。まあ、私の人生の座右の銘の様なもので、今でもアクションを起こす時の指針となります。
これに気づいたのは、小学校の先生になってからです。十人十色色々な境遇や能力差のある子がいます。6年間で運よくすべての学年を持ちました。そうこう、しているうちに、「つかず、離れず、さりげなく、さらっと、繰り返し、繰り返し、愛情を持って」と、いう言葉に遭遇するようになりました。
1回で分かる子ばかりはいません。何度も何度も教えないと身に付かない子もいるのです。そして、こちらからあきらめたら終わりです。まさに教えることは、教わる側でなく、教える側の問題なのです。私の方で手を放してしまったらもう終わりです。そうです。根気よく、愛情を持ってこちらが接すればいつか分かる様になるのです。
教えることは教える側に問題があるのです。そう想わないと相手に責任を擦り付けてしまいます。絶対教師たるものそれだけは避けなければなりません。 今日できなくても、まだ、明日があります。明日できなくても明後日があります。その後は、低学年を多く経験しましたので、余計にその言葉を意識するようになったのかも知れません。いい言葉だなと、自分なりに感心してます。
この言葉は、私が何かに挑戦するときの励ましにもなっています。あすなろの木の名前のいわれがありますが、そのことと似ているのかもしれません。あすは檜になろうと思い続けたことで檜になったというお話だったと想います。また、私の座右の銘に「想い続けることができればその想いはいつか成就する」というのがありますが、「つかず、離れず…」と似ています。どちらも、諦めずにいつも同じ方向にベクトルを向け進むという事です。
まだまだ、私にはやりたいことが沢山あります。すべての事にこの言葉を想い出しながら残りの人生を過ごしています。 最初は、高校の倫理社会の先生もいいなと想っていたのですが、そちらは受験に失敗しました。それなら、何でも広くやることが好きなので、小学校でもいいか、という気持ちで受験し先生に初めてなったのが、24歳になった時でした。まだ、当時は小学校の免許がなかったので、明星大の通信教育を受け3年かけて小学校の免許を取ったことがいまとなっては懐かしく想いだされます。
大学も勤労学生でしたので、その辺は慣れたものでした。結局、回り道をして、通常大卒と2年程のずれがありました。それも、最初は工高卒(電気)でしたので、卒業するとすぐ就職しました。楽器会社や自動車会社、防衛庁の事務官等を経て、当時埼玉県に努めていましたので、そこの教員になりました。
中途、小学校の先生を続けるならと、持ち前の好奇心がもたげて来て、音楽もやりたくなり、教師二年目からピアノのレッスンも受け、どうにか、バイエルを終了し、オルガンで授業もやれるようになりました。これも、今では懐かしい想い出です。
小学校の先生は全教科を持ち、担任となりますので全人教育が可能です。今では何でも専門化して能率化を考えますが、当時はあまりまだ、そういう考えがすくなかったのでできたのでしょう。いい時代でした。