想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

赤坂サカス

2009年08月30日 | インポート

 ちょっと、前までは赤坂六本木ヒル、ヒルズ族などと言う言葉がはやっていたのが嘘のようです。ホリエモン、三木谷浩史(楽天社長)などが闊歩していた時代です。
 今日では、リーマンショックに世界は揺れ100年に一度といわれる世界恐慌からやっと、立ち上がって来ました。今日は、総選挙、国政も大きく変わることでしょう。そういえば、幸福の党とか、みんなの党など色々な流れが生まれ、変化してきてます。
  また、最近は赤坂サカスという言葉を聞かないときがないくらいです。前からちょっと気になっていた言葉でした。どうも、TBSの近くの商業都市をいうようです。ちょっと、機会があればいってみたいです、
  そういえば、以前は銀座、青山、六本木等流れが変わって来ていました。どの世界も不易を残しつつも流行し変化して来ています。
 ところで、世界に目を向ければ、もっと、前はベルリンの壁は絶対なくならないぐらいに思っていたのが、急に壊れ、ソ連や東欧で大きな流れが起こったのにはびっくりしてしまいました。まさに歴史を生きものに例えれば「歴史は息をしている。」と、言っても過言でないと思います。ましてや、毛沢東がいた中国、ガンジーの活躍したインド等今では様変わりの近代国家に変身しつつあります。BRICsなる言葉も登場してきています。まさに、歴史は生きものです。やがて、インドと中国が世界の覇権を握る時代が来るのかもしれません。そのとき、日本はアジアでどういう役目をするのだろうか。

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蜂刺され その後

2009年08月29日 | インポート

 27日朝に蜂に刺されてから、今日で2日目になりました。当日は何ともなかったのですが、2日目からやはり、少し腫れてきました。実は、私としてはあんまり医者には行きたくないんですが、腫れが出てきたので、皮膚科に通院しました。昔なら、ほっといたのですが、他の会合にも出席する関係もあるので、一応診察してもらいました。アレルギーの飲み薬をもらってきました。今日の朝は少し腫れが残りましたが、昨日よりは経過はよいようです。それにしても、4,5ヶ所刺されたわけですので、この程度ですみそうで安心しました。刺された後が少し、かゆみも残るようです。
 蜂の気持ちになれば、人が近づき、大きなはさみが、かわいい我が子の巣に近づいて来るんだから相当あせったのでしょうね。襲われても仕方がなかったかと思います。
   ミツバチと人間がうまく共存する方法を考える必要があります。どちらもWinWinが理想です。
 そこで、今後は、蜂がいるかどうか、よく確認してから作業をし、必ず長袖を着るということをしたいと思いました。


  そういえば昔、田中角栄の逮捕に繋がったロッキード事件を思い出しました。そこで、「蜂の一刺し」という言葉がはやりました。私が、教職の道に入って4,5年の頃だったと思います。団塊の世代にとって大きな社会問題だったのです。ピーナッツと言う言葉も流行しました。
 田中角栄といえば、彼のおかげで、教員の給与も待遇も随分向上しました。そうです。人材確保法案ができたのです。当時は今と違って経済も上向きの時代で2度ボーナスをもらったような時代でした。いわゆる、差額支給というものです。
 また、日本列島改造論というものもあり、当時は私もその本を読んだ記憶があります。日本列島を手のひらに載せて彫刻するという発想です。土地神話が生まれ、その辺から自然がだいぶ破壊されていったように記憶しています。今、まさに、その弊害が地球の温暖化となっているのではないでしょうか。自然は破壊するものでなく守って一緒に人間と共存していくものです。
 また、オイルショックもあったと思いました。当時私は埼玉で教員をしていましたが、殆ど、車の走行がない東名を我が物顔で突っ走って、年末にふるさとに帰った思い出が今浮かんできます。随分昔の話になってしまいました。

 

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蜂の一刺し?

2009年08月27日 | インポート

 今日の朝、モッコウバラが、伸びすぎたので、刈り込みばさみで切っていた所、足長バチの巣があるとは知らず、突然ハチに襲われ、4,5ヶ所刺され大変な目にあいました。幸い私はハチに対してアレルギーもなく、蚊に食われた程度ですんでよかったです。一時は顔が腫れてしまうのかと心配しましたが、なんともありませんでした。私が初めてハチに刺されたのが、小学生の頃ですので、50数年ぶりに刺されたようです。それにしても、どこに災難が潜んでいるかわかりません。今後はより注意し、刈り込みをしなければと肝に銘じました。
  ハチは殺虫剤で追い払いましたが、後で、巣を見てまたびっくりでした。巣の大きさは12cm位直径であったと思います。足長バチでした。これが、スズメバチだったら大変なことになっていたなと、冷や汗が出ました。どこで、災難があるか分かりません。
   今後はハチの巣ができていないかをよく見てから、刈り込みをしないと…、と、反省した次第でした。自然界の厳しさを知った一日になってしまいました。ハチにしてみれば巣を守る為に必死ですもんね。

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自尊感情の育成

2009年08月22日 | インポート

 いわゆる「よい子」の中に時として、自尊感情の低い子がいます。自尊感情とは自尊心といってもいいかも知れませんが、うぬぼれとは違います。自分は価値のある人間だという強い肯定感です。これが、揺るぎ無きものになっていると、何に対しても自信があります。ちょっとやそっとではめげません。いわゆる生活力です。これを育てるのが、教育の基本であると思います。目的であるいい子が手段に成ってしまっています。本末転倒です。
 また、私はかねがね、現場にいるとき、幸せ感の醸成といいましょうか、幸せを感ずる心の育成がとても、大切だとも思っていました。最近、教育界も、どの学校でも外部評価や内部評価をやるようになりました。しかし、どれも、幸せ感の観点から評価する学校は私の知る限り出ていないようです。会社にしても同じようなものでしょう。どれだけ物を安く生産し、利益を上げたかで評価しているのではないでしょうか。働いている従業員の一人一人の生き甲斐というか幸せ感をあまり、評価してないような気がするのです。でも、少しずつ、その辺の芽が出てきている学校や会社もあるかもしれません。だとすれば、いい傾向です。
 勉強のできる子がより幸せ感が強いかというと必ずしもそうではないようです。また、勉強はできなくても、毎日が楽しく幸せに満ちている子もいるようです。親も教師もこのことを第一に考えるべきではないでしょうか。だって、社会の究極の目標は幸せを感ずる心の問題だからです。小さい時から勉強ができることを最高の価値観としてすり込まれている子どもは、かわいそうでなりません。何のための勉強か、手段としての勉強のはずです。目的は幸せ感に満ちた生活であるはずです。社会や自分を幸せにする。運動の勝敗も同じです。いつのまにか、その辺がどこかへ追いやられてしまっています。何をやらせてもそつなくできる。でも、幸せ感がない。そんな教育を国はめざしているような状況になっていると思います。
 できる子はできる子なりに、できない子も、できないなりにみんな居場所がある。金子みすずのいわゆる「みんな違ってみんないい」そういう枠組みがあってこそ、個人差はあっても幸せ感は平等に与えられると言うことになるのだと思います。
 低学年で、よく平均点を80以上にするという具体目標を立てることがあります。人間に個性があるように、80点以上になんかなるわけがありません。仮になったとしても、その80点の中身は随分違うはずです。表面的には80点取れているかもしれませんが、そのことを、本当に理解して取れた80点か、単に機械的に取った点なのかを吟味する必要があります。同じ80点のなかでも大きな開きがあるはずです。親はそれをみて、安心してしまいます。形は80点で同じですが、中身はやはり大きな開きがあると考えるのが妥当であると思います。それよりも、50点でも、僕は頑張ったから幸せだよという強い自己肯定感を小さいときから植えておかないと、勉強より大切な幸せ感をも奪ってしまい最悪な劣等感を小さいときから刷り込んでしまいかねません。テストの成績は個性です。顔が違うように点数も違って当たり前です。筆記テストでは0点から100点まであるのが人間の個性です。しかし、動作を伴う100M競走ではどうでしょうか。トップがゴールに着いたとき、遅い子でも、80M位には来ているのでないでしょうか。そうです。体を動かす事では0点から100点のような大きな開きはありません。せいぜい100M競走のように80点から100点までに集中して来るではないでしょうか。そうです。体を動かすことにおいては、そんなに開きはないのであります。その辺が重要な所です。職人に全員成ってみれば分かると思いますが、そんな差はでないと思います。
 ですから、どの子もその子なりに尊敬される枠組み作りが教育の中に必要ではないでしょうか。大きくなってこんなはずではなかった。といっても、もう手遅れです。人生をその観点からもう一度考え直すべきです。
 どんなに勉強ができても幸せ感が抱けないではどうしようもありません。幸せを感ずる感情こそすべてに優先します。なぜなら、すべて前向きに生きる為の教育です。下腹に力を入れるのが教育です。昔から臍下丹田というでしょう。へその下にある所に力をいれると健康と勇気をえることができる。と、いわれています。
 まず、学校が楽しい。生き生きと生活ができる。その手段に勉強もあるのではありませんか。手段と目的の違いをしっかり吟味して、行動しないと取り替えしのつかない人生になってしまいます。
 人間、生まれるときも死ぬときも一人です。自らの分け前である自分なんです。自分の生来持ち合わせている良さで勝負すればいいのです。その中で人と人とは支え合って生きています。人と比べるから優劣が出てきます。自分でなければできない事が必ずあるはずです。それが個性であり自分です。    「みんな違ってみんない」と、いったのは「金子みすず」です。きっと彼女もこんな思いで言ったのではないかと思います。人まねではなく自分でできることをする。生来その力がみんなにはあるのです。 家庭でも学校でも、この辺がおろそかになると、色々問題が出てきます。勉強ができるかどうかでなく、この自尊感情が育ったかどうかが大切なのです。これには単に知識だけでなく体験や情操など情動の変化を伴うものが多くあります。情操などは知識とは違います。頭がいいのとも違います。どんな人間でも時の流れという横軸や体験の裏付けがないと育ちません。みんな平等に与えられているのです。可能性としては殆ど大きな差はないと思います。基本的人権も同じ事でしょう。平等です。どの子にも地球より思い価値があります。人間としてのその価値に差はないでしょう。同じ所と違う個性とを分けてとらえるといいかと思います。一人一人の人間に価値をおく教育が平等教育だと思います。そして、どの子も基本的人権が尊重されんことを願います。
 

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アゲハチョウの羽化

2009年08月21日 | インポート

  庭をみていたら、アゲハがいた。逃げないので不思議だなと思っていたら
よく見てみると、そばにサナギの抜け殻があって、羽を乾かしているところだった。どうも、柚子の木で育ち、5メートルぐらい幼虫としてここまで移動してきて、梅の木の盆栽でさなぎになったらしい。
   我が家では、今まで、シジミチョウ・モンシロチョウ・キアゲハ・アゲハチョウが羽化している。どれも、チョウ固有の食草がないと羽化までいかないようだ。
  ちなみに、食草はシジミチョウはカタバミ・モンシロチョウはキャベツ等アブラナ科、キアゲハは山椒の木や人参の葉等・アゲハは柚子など柑橘類の木
  私も、以前はチョウに食草があり、食べ物が、決まっているとは知らなかった。多分、昆虫はそれぞれ決まった食草があるのだろう。

 

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