想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

コロナ、そして、パンドラの箱は開いた!

2020年05月29日 | エッセイ

コロナ元年5月29日

 地球は経済の発達とともに、温暖化がまだまだ、続いています。本来の大気の内容も変わって来ていました。そんな中、ついにパンドラの箱は開いてしまいました。飛び出してきたのがコロナです。自然は、ある条件が整えば、結果としてそうなるのです。そのことを真摯に受け止めたいと想います。

 <原因は>

①人口の増加と、経済の発達に伴って、炭酸ガスが増加し、温暖化が進んだ。そして、気象、大気の状態が著しく変化した。
③コロナの環境の著しい変化により、それに順応した新型コロナが突然変異で出現した。生物は絶えず変化している。諸行無常は真理である。すべてのものは一瞬たりとも同じではない。

<きっかけは>

 人口の過度の増加とグローバルな人の移動が、春節の時期と重なり、交通手段の格段の発達で瞬く間に全世界へと広がってしまった。

 以上を見てきますと、全て因縁果と諸行無常の中の出来事です。原因があり、きっかけという縁が引き金を引き、パンデミックという果を起こしているのです。これも、古くは仏陀の教えです。仏教の因果の道理なのです。

 仏陀がお生まれになったのが、紀元前563年4月8日ですので、遥か昔の事です。今はIT全盛時代といわれ、進歩したといわれていますが、進歩という言葉は私的にはないのです。ただ、変化があるだけで、進歩しているのではなく、周りの環境に適応して変化しているにすぎないのです。このように、謙虚にとらえないと、コロナの問題も解決しないのではないかと想うのです。

 戦うのでなく、共存するのです。寿命も延ばそうとするのでなく、自分の良さを見つけ各人に与えられた寿命を読み取るのです。

 いたずらに延命を考える医療は間違っています。最終的には自他の幸せを願い、すべての物と、共存する道を選ばない限り、幸せは訪れません。

 競争社会は結局、勝者、敗者を生み出します。そうではないのです。寄り添って、共存し、お互いの良さを認めあう寛容の世界が私たちの幸せにつながるのです。

 もし、ポストコロナをいうなら、まず、万物の霊長たる人間をやめ、地球上の生物の「one of them」が人類であるという謙虚な価値観にこそ変えていかなければなりません。

 今や、個でとらえる西洋の思想は自然と調和する全体でとらえる東洋の思想に変わらざるを得ない状況になって来ているのです。

 開いてしまったこのパンドラの箱は何の他意もないものです。ただ、条件が整って開いたのです。それで、今、人類はあたふたしています。人類を中心に考えると、これは災難かもしれませんが、自然の流れの中で必然的に起こった自然現象の一つでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さくらんぼ狩り 2回目

2020年05月10日 | 我が家の庭

コロナ元年5月10日

 
 5月7日に1回目のさくらんぼ狩りをやりました。今日は、2回目になります。前回の取り残しの分が、結構赤く熟し始めていました。とてもおいしそうでしたので、今日も収穫です。今回でほとんどを取り尽くしましたので、今年の収穫はこれで終わりです。この種類は品種的にはあまり、大きな実では無いのですが、甘みがあり、ジューシーでとてもおいしいさくらんぼでした。
 
 今日は雨上がりで、水滴に輝くさくらんぼはよりおいしさが溢れていました。数年前から取れ始め、この時期のさくらんぼ狩りは、毎年我が家の風物詩になりつつあります。はち切れそうなルビー色の玉は雨露に輝き、見ているだけでも鑑賞価値があります。その上、おいしいので、毎年この時期が楽しみです。まだまだ若く成長途中の木なので、来年も楽しみです。
 





この赤い色がたまらない。食欲をさそいます。新鮮ではち切れそうです。ちょっとでさわると、甘い液体が飛び出して来そうです。まさに赤い宝石、ルビーですね。


 
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赤い宝石、さくらんぼ

2020年05月07日 | 
コロナ元年5月7日

時はめぐり
今年もまた
やって来た
さくらんぼの季節が 

真っ赤な実と
新緑の葉とが
春風にそよぎ
きらきらと
光り輝く

その向こうには
群青の空が横たわり
お日様は惜しげもなく
光を投げかける

そこには
真っ赤なさくらんぼと
のどかな1日がある

コロナ禍も
いっとき忘れてしまう
ああ平和って素晴らしい



















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そよ風の輝き 金蘭(キンラン)

2020年05月05日 | 

コロナ元年5月5日

 
 先日、いつものコースを散策していましたら、金蘭に出会った。そう言えば、この時期だったなと、当時の事が想い出された。青々とした雑草の中で背伸びして咲いていたその姿は、そよ風のゆりかごの中で気持ちよさそうに揺れていた。きっと少女にとってはコロナのことは蚊帳の外の出来事だったのでしょう。
また来年も会えるねと、挨拶を交わし、その場を通り過ぎた。目を上にやると、それは桜の花がいつのまにかさくらんぼに変わっていた4月末のある日の出来事だった。
 
春の陽気に誘われて
何の想いもなく
歩いていると
そよ風さんが
現れ
何かが泳いだ
金蘭だ
今年も会えたね
と声を掛けると
こっくり
彼女は呟いた
その傍らで
蜜蜂が
せわしげに蜜を
集めていた
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蒼い地球よ、いつまでも蒼く美しくあれ!ポストコロナに向けて

2020年05月01日 | エッセイ

コロナ元年5月2日

 月から地球を始めて見た写真の衝撃は今でも脳裏に焼きついている。どこまでも蒼く地球は宇宙に浮かんでいたのだ。あの地球の蒼さをいつまでも残しておきたいと想うのは私だけだろうか。いや、だれもがそう想っているだろう。

 さて、コロナの影響はこんな所にも顕著に現れて来た。WTI原油先物が先日マイナスになった。今、世界では原油があまって貯蔵タンクが限界、つまり石油が在庫過剰で産業廃棄物として引き取ってもらうのにお金を払った状態なのだ。どこも、移動を自粛されていて、物流が麻痺をしている。

 そんな訳で、一気に石油がだぶついてきている。私も、今月はいつもの半分ぐらいしか消費してない。コロナと経済の関係は莫大な影響を私たちの生活にも与えて来ている。世界の経済が音を立てて変化して来ているのだ。石油化学を中心としたきた大量消費資本主義の修正が、今こそ、必要な時期である。省エネと地球に負荷をかけない経済だ。

 プラごみの問題も目に余るものがある。世界への生物系への影響を考えると、原発の問題より、まずこちらの方が先決の感じがする。とにかく、自然界に無いものを作り出す人間の奢りをどこかで断ち切って行かないといけない。地球そのものが、地下水や石油の組み上げで内部がすかすかになり、持たなくなるのではと危惧をしている。それは、天に唾する行為と同じ、やがて、人類に大きなつけとなって跳ね返ってくる。もう、それも、密かに始まっているのではないだろうか。

 今の新型コロナ問題も、大気の変化や温暖化と密接に繋がっていると考えて間違いない。これからは、人個人でなく、人類という大きなくくりで考えていかないと、新型コロナ問題とも対峙して行けない時期に来ている。

 個人の人権といえども、地球的規模で大きな変化が起こっている時は、個人の人権でなく人類という大きなくくりから考えていかないと解決がむつかしい。今は、コロナが人類に挑戦を挑んで来ているのだ。世界が変化して行かないと大変なことになるのが今回のコロナ禍である。どうか、経済を超えて人類の叡智を持って、この難曲を乗り越えていってもらいたい。人間も生物の一員であるという謙虚な気持ちで生きていってもらいたいのだ。謙虚さがコロナと共存して行く道ではないかと思う。

 人類よ奢るなと言いたい。人はもはや万物の霊長などといっている場合ではないのだ。地球上の全生物の一員なのだ。いわゆる one of themなのだ。自然の摂理の前ではとてつもなく小さな存在なのだ。もっと、謙虚にならなくてはいけない。自然の摂理は宇宙よりも広く大きな力がある。そのたなごころの中で生きてゆくのだ。そろそろ、人類も賢くなってもらいたいものだ。

 また、実体の伴わないバブルの金融も膨れ過ぎていて、大変だ。空気が漏れたらひとたまりもない。ここらで、世界も自然と共存する経済に修正していかないと、地球そののがだめになってしまう。私たちは美しい地球の上で生活しているのだ。その事実を自覚しなければいけない。

 すべての商品はやがて、自然に帰る物質で作る。自然界に存在する物質にするのだ。そうして、自然を師と仰ぎ、自然から学ぶことが大切だ。本来すべての物質は、やがて、土に帰るのだ。間違えても自然に帰らないプラごみなど作っていけない。そういう国際法を作ってでも経済を自然への復帰に変えていかないともう地球はもたない。地球ももう、くたびれて来ているのだ。もう、そういう時期に来ている。石油化学から自然科学商品に変えてゆくのだ。こうして行けば、地球はいつまでも蒼いままで宇宙に浮かんでいることができる。

 実は、新型コロナのパンデミックも人間の経済活動の行きすぎが必然的に生じさせてたという仮説も成り立つのではないだろうか。今後はそれをどう人類の英知で解明してゆくかが問われている問題のような気もする。

 ただ、まだまだ、人間は愚かな一面を見せている。それは、国際政治の世界を見ていると、よくわかる。というのも、国家間は利害で動いているのが、現実である。トランプさんしっかりしてください。米中は戦うのでなく、手を結び、協力するのです。そうすれば、世界は大きく変わっていくでしょう。

 小学校では、教師は道徳で思いやりを教えてきた。純真な子ども達は思いやりこそ素晴らしいと心に刻み卒業してゆく。やがて、大人になって、世界の現実を見るにつけ愕然とするのではないだろうか。思いやりの心が身についている子ほど、現実と理想の狭間で、悩むことになる。

 そんなことを大人が子供たちにさせてもいいのだろうか。米中の争いを見てみればよくわかる。あれだけ、世界がコロナで心を痛めているというのに、米中は相変わらず国家の利益を優先している。これでは、世界はまだまだ平和にならない。ポストコロナがどうなるか、危ぶまれる。トランプさんもっとしっかりしてくださいよと、いいたくなる。

 学校では道徳で思いやりを教えているのに、世界の政治は国家間の利益を主張している。先生どうしてですか。思いやりこそ人間の根源だといったことは嘘だったんですかと、いう子どもの声が聞こえてくる。教職を退いてなお、その命題が頭から離れないでいる。社会に出て現実との違いにあまりにもショックを受ける子供たちが可愛そう。

 今こそ、ポストコロナを世界平和と美しい地球の為に人類のエネルギーを向けていきたいものだ。これからの、若者たちにお願いしたい。団塊の世代もやがて若者たちにゆだねるしかないのだ。どうか、次世代は素晴らしい世界になるように祈らずにはいられない。

 

 

 ★数日前に見た庭の牡丹の花、これを見るともう、5月だなと想う。



 
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