想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

間もなくお札や硬貨がなくなる時代に突入へ

2021年08月27日 | エッセイ
コロナ2年8月27日

 デジタル庁が9月1日から発足するという話が流れ、政府はその人材選びに事務方トップに女性を起用したニュースがながれました。益々、デジタル化の流れは強いトレンドになって来ています。マイナンバーカードの活用も大きく進んでいくでしょう。
 また、従来の行政の縦割りの弊害も随所に是正され、すべての行政事務がワンストップの方向に向かってゆくものと想われます。
 経済の基本である通貨も紙幣と貨幣がなくなるのも時間の問題ではないかと想います。スマホもこれだけ普及してくると、携帯財布といわれるスマホが財布になり、そこには紙幣や貨幣がなくデータだけがあるという時代になるのです。いわゆるキャシュレスの時代になるのです。
 最近では、Suicaなどの交通系ICカードやPayPay、メルペイといったQRコード決済サービスも普及率が向上しています。 ビットコインやイーサリアムなどの仮想通貨を始め、スイカや楽天ポイントなどのポイントも随所で使われるようになって来ています。
 使えないのは、スマホ持たないお年寄りだけになりつつあります。キャシュレスというと、日本は過去の貨幣通貨の資産が沢山まだまだ残っているだけに、アフリカなどの新興国より遅れてしまうというジレンマがあります。
 変化の激しい時代は過去の資産がない自由がきく身軽な国ほどその流れについていけそうです。日本も抜本的にリストラをしていかないと大きく世界のトレンドに乗り遅れそうです。それを心配しています。
 お札や硬貨を入れる物としての財布がなくなるのももう間近に迫っています。すべては電子データで管理する時代になります。団塊の世代がなくなる頃には、財布は博物館に置かれるようになっているでしょう。お金はすべてデジタル化されています。
 ちなみに2018年の調査ではキャッシュレス決済の割合は世界では韓国が89.1%で、日本といえば、18.4%とという統計が出ています。日本がいかにこの流れから後塵を拝してしまったかが分かると想います。韓国は凄いですね。このままでは、もう、韓国に追いつけないかもしれません。






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野菜を愛でる! 見てよし、食べてよし

2021年08月22日 | 家庭菜園
コロナ2年8月22日

 私も野菜を育てることが好きで作っています。しかし、その原点は、食べるばかりでなく、それを見ると何となく癒しをもらったり、心が洗われたり、幸せな気分になったりの精神的な充実が得られるところにあります。
 前々から園芸には興味があり、色々な草花を育てていたのですが、新しい住宅を購入した頃、本当は庭の続きに菜園があればいいなと何となく想っていたのですが、現実は厳しく経済的に家と庭だけが精一杯でした。菜園までは手が届かなかったのです。ですので、一介の教員としては63坪の建売住宅を購入するのが精一杯というところでした。できれば、家があり、庭があり、その隣に菜園があるのが私の理想でした。
 いつもの通り庭仕事をしていた時です。ふと脳裏に菜園に青々と成長する野菜が浮かんできたことがありました。成長途上のエネルギーを一杯発している白菜の青菜じゃなかったかと想うのですが、そんなイメージのワンシーンが突如浮かんで来たのでした。
 それを想うと、もう無性に野菜を育てたくなりました。今までは花を育てたり、庭の緑を見たりするのが趣味でしたが、急にそこに野菜が浮かんできたのです。花を育てる視点が庭づくりの行き、野菜作りにまで発展していったのです。
 心は「ころころ変わる」から「こころ」というようですが、まさに、心が花から路傍の草花にそして野菜育成などに変化していったのです。まさに、これこそ、諸行は無常なのだつくづく感じさせられました。
 最近は植物全般に目を向け、菜園で野菜を育てるのがメインの趣味になっていますが、育てているうちに野菜の姿や変化の具合や葉の色や成長する過程など、そこにまつわるあらゆることに惹かれるようになりました。
 生長点を中心に成長していく姿に深遠なものを感じたり、エネルギーをもらったり、はてまた、見たこともないような一見何の変哲もない、葉の色やその変化や、鑑賞用でもない野菜の花が美しく感じたり、山野草や雑草の姿にも感動したりと微妙に自分と植物とのかかわり方が発展していったのです。
 時には山野草ばかりでなく路傍の雑草にまで心を奪われることも多々出てきました。その度に私は現世から来世に近づいているんだと意識するし、深遠なものに益々惹かれていく自分がるのにも気が付きました。こうして行く先には私は墓標に「感謝と畏敬の念」を刻んで行こうと、今は益々その意を強くしている所です。

※庭に植えたパプリカです。最近実が色づいて来ました。食べておいしいのはもちろんですが、見るだけでも大いに鑑賞の価値があります。日に日に色が変化してゆくのが手に取るように分かります。
 毎日のウォーキングの後に野菜を見るのが楽しみな毎日です。枯れることもあります。できたら、チャーハンやサラダにしたり肉詰めにしたりピラフやパエリアに海老と一緒に入れたら美味しくなるかなとイメージを膨らませています。
 黄色と赤と青のパプリカをどう混ぜたら美味しくなるかなど、想いはどんどん膨らんでいきます。












※これはニガウリの種です。まるでルビーの宝石のようです。食べても種の周りの赤いゼリーが甘いです。



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苦瓜の風鈴(詩)

2021年08月19日 | 
コロナ2年8月18日
 
苦瓜の風鈴
風にそよぎ
ゆうらゆら

オレンジの傘
ぶら下げて
ゆうらゆら

鐘が鳴ると
葉っぱが
そよぐ

葉っぱが
そよぐと
鐘が鳴る

鐘が鳴ると
葉っぱっと
風鈴は
溶け合い
一つになる

葉っぱと
風鈴と
そよ風

りんろん
らろりん
ゆうらゆら

音を奏でながら
自然の中に
消えてゆく

風鈴の中で
赤い小人たちが
今日も踊っている

りんろん
らろりん
ゆうらゆら

りんろん
らろりん
ゆうらゆら




重さに耐え下に落ちた熟した苦瓜
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理論より直感(詩)

2021年08月14日 | 

コロナ2年8月14日

変化の時代

論理より

直感

刹那で感じ

本質に迫る

エキスを掴み

直感を磨け

論理に頼るな

芸術に目を向けよ

withコロナは

変化の時代

今がその時 

先行経験こそ

その鍵

右脳を使え

常識は最高の障害物

変化の中に本質がある

それが全て

withコロナ

論理で考えるからだめ

感じること

感じることで人となる

この世は

諸行無常

これは真理

この世は

リズム

これもまた真理

その根底に流れる

時という魔物

物理現象の根幹

時は後ろに流れて

前に進む

全てを解決し

過去に流し込む

センスを磨け

sense of wonder

正反合で動的に

この世は変化する

正あれば反起こり

合となり

正反合と変化する

我が命とて

肉体もまた同じ

時の流れこそ

現世の根幹

その中で

全てが起こり

全てが解決してゆく



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蝉の抜け殻から想う

2021年08月13日 | エッセイ
コロナ2年8月13日
 この時期になると、庭のあちこちに蝉の抜け殻を見つけます。自然が好きな私としてはとてもいい気持になります。
 思えば、数年前駐車場を造成したことがありました。今までは、2台しかとまれなかったのが、1台分増えたのです。3台が停まれる駐車場になり、1台余裕ができました。その時、沢山の庭の土を掘り起こした時のことです。土の中から、沢山のセミの幼虫が出て来たのは驚きでした。その後、庭の面積も減ったため、もうセミの羽化はないかなと中場あきらめかけていましたが、今年も数こそ減らしましたが、数匹の幼虫の羽化が見られました。種類はアブラゼミのようです。セミは地中で数年過ごし、羽化後は1週間の命と聞きますから、これも驚きです。
 さて、平成4年にここに移り住んで以来、園芸が好きでしたので、1年中楽しめる庭、蝶が来て、植物が育ち、花が咲き、毎朝眺めては元気をもらえる庭に近づいているだけで幸せな気分です。
 毎朝の水やり、ウォーキング、植物の点検は毎朝の日課になっています。そ
して、そこから、毎日エネルギーをもらっているのです。自然のエネルギーをいっぱいもらえて、自然に感謝の毎日です。そして、一日に1回は自然と一体となる感覚の時間を持つように心掛けてきました。
 そういう私も、最近は齢い74歳を過ぎ、そろそろ、新しい世界のことも視野に置いておかないとと、考えるようにもなりました。諸行無常の世界が常なれば当然行きつく先があるのです。
 そして、墓石には感謝と畏敬の念という字を刻みたいなと想うようになりました。現世なら大事なことは邂逅なのですが、新しい世界から現世の事を眺めながら、そこに想いを馳せ、その世界の出来事に感謝し人智を超えた深遠なものに畏敬する念を残そうと想っています。
 日々の生活の感謝し自分や森羅万象を司っている大いなる意思(自然の摂理)に畏敬の念を抱く毎日です。
 そんな中、まだまだ、世界は毎日コロナ禍のニュースでいっぱいですが、私としてはwith coronaは当面続くと想っていますので、どう人類が付き合って共存していくかを真剣に考えなくてはいけないと想っています。何か原因があって出現したわけですので、その辺原因に論点を絞てずっと、考察していきたいと想っています。表面的に直そう直そうでなく、因果の法則でいうその根本原因を探ることが大切です。その原因が取り除けないなら、どう、コロナと、人間が折り合いをつけるのかの問題になります。結局は時が解決してくれると想っています。やがて、自ずと然るべきところに落ち着いてゆくでしょう。

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