震災6年11月22日
民泊サイト私は野山を歩いたり緑の多い所をドライブしたりするのが、大好きなんですが、その時、ふと思いついたことがあります。それは、緑の野山を見る人には非行人間はないのではと思ったのであります。それは、第六感とも言うべき者だったかもしれませんが、どう考えても緑と非行は結びつきません。
その緑とは都知事でも有名になった小池カラーでもありますし、実に心をきれいにする色だなと思います。そして、私たちが生活して行く上で緑はかかせません。自然の草木はほぼすべて緑でできあがっています。そして、緑を鑑賞する人の心理状態を見てみますと、落ち着きとか思慮深さが関連してくるように思われます。そうです、緑は平和にも繋がる色なのです。
それが、空の青と調和したらどうでしょう。美しいと思いませんか。その中に、朱色の柿でも実っていたらまた、すばらしい色彩の絵が出来上がるでしょう。まさに、透き通り秋空の中に泳ぐ柿の実や錦織りなす紅葉の山々も同じようなものでしょうね。それに、心を寄せ、感動し、感銘を受ける人の中に非行少年はなじみません。どう、考えても彼らとその絵がマッチングしません。それが、絵画だとしたら、とても同じキャンバスに描くことさえ想像できないでしょう。そうなんです。健全な精神は自然の緑に宿るということです。
山ガールや登山愛好家、ハイキング好きに非行はなじまないのです。また、どうでしょう。園芸好きな人と非行も結びつかないでしょう。花を見て怒る人はいないでしょう。花を愛でるという言葉があります。愛でるとは物の美しさ・素晴らしさをほめ味わう。感嘆する。 かわいがる。いとおしむ。等の意味があります。
そうなんです。そう考えるとどうも、非行という概念は人とのつながりや人工的な物の関連において何か屈折したものが、あったに違いありません。特に人間関係が大いに関連してきます。そして、背景は人工物で溢れています。そこには自然や緑は出てこないでしょう。
今の子に一番欠けているのが、畏敬の念です。それと正反対の世界、自分が我執にとらわれてしまっています。諸行は無常なのです。
民泊サイト