コロナ3年1月17日
定年退職して、痛烈に感じたことがあります。それは、人間でありながら、いかに人体の事について知識がなかったかと言うことです。肉体は生命つきるまで自分について回ります。だから、人体の理解は終生必要なんです。
我々凡人は何かあると何も考えずに薬を服用する。医者にすぐ行く。医者は医者で問診、診察は少なめで、すぐ、薬を勧めて患者は薬漬けになってしまう。薬の点数を考えながら治療する。
今の医療を制度の根本から考え直していかないと、医療という尊厳ある行為も経済活動になってしまう。
医者は医者で理想に燃えてなっても、最後は患者を診るよりも病院経営をどうしても考えてしまう。
患者は患者で医学知識がない為、どうしていいかわからない。医師に言われれば、何も言えない。今は、情報が溢れている。その気になれば、藪医者よりも良く知っている。
今後は、義務教育で小学生から「人体」を教科として特設し、消化器から神経、筋肉、骨、痛み、栄養、内分泌、心等を人体として総合的に把握出来る知識を誰もが身に付ける事ができないか。年を追って順に義務教育終了迄にはある程度、医者にかかる前の自分の状態がどうであるかを自分なりに理解できる様な力を身に付けさせることが、できないかと考えている。
特設すれば、できるのだが、なぜ、国は特設できなきのか?疑問が残る。
また、必要以上に医者と薬に頼らない新しい制度の創設や現在の保険制度の見直しも進めたらと思っている。
医療と教育は両輪である。心の問題を薬で治そうとする風潮を憂う。やはり、心の治療は根本が人のアナログ的な発想がまずもって、大事な気がする。
病院に行けば、必ず病名がついてしまう。その病名が正しければ問題がないが、怪しいものも沢山ある。特に精神的な病は一括りに病名がつけにくいものだが、やはり、病名はつく。
特別支援教育の中でも、手っ取り早いのか薬を服用している子も最近はたくさんいる。それも、心療内科でも沢山の薬が出ている様である。心の問題は詰まる所、人のたゆまない愛情から解決の先が見えてくるものだと思う。今後は医療を効率性や便利さから解放し、全人的アプローチで当たって欲しいと願っている。
そのためにも、西洋医学一辺倒となっている医師免許に東洋医学も大いに加えたらどうかと思う。全ての治療はまずもって人間理解から始まり人間理解に終わる。人間そのものを深く統合的に捉えて、初めて治療ができる。