想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

敬老の日

2013年09月16日 | インポート

震災3年9月15日 

 年を取ると誕生日はあまりいい感じがしなくなる。なぜなら、そこで、一つ年を取り残された寿命は少しずつ減っていくからだ。だが、誕生日を祝うということは逆に考えると、今までこうして生きてこられたことに感謝する日でもある。考えようにより陽にも陰にもなるものだと思う。それだけ、精神は可塑性があるというものだ。ならば、陽に考えた方がいい。
 昨日敬老の日の式典と余興を当コミュニティと自治会でやったが、その日をどれだけの人が感謝の気持ちで迎えてくれてただろうかと、疑問にもなった。我が町では77歳から敬老会式典の該当者となる。私もあと、11年である。残された月日を時々考えるといい年になったとつくずく思う。夕に感謝をし床につき両手を合わせ、朝に希望を持ち太陽の光に照らされる毎日がずっと続いていってほしい。そして、人は毎朝生まれ変わり誕生日を迎える。そうして、人生の道はできてゆく。ときたま、振り向きその道を見つめる自分、気を取り直してまた、前に進む。

 

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諸行無常

2013年09月05日 | インポート

震災3年9月5日

 

時が流れれば万物は変化して行く。その辺の一部を考察してみた。

 

1 スイッチの変化

私が子どもの頃のスイッチといえば、だいたい押すかひねるかの二つぐらいしかありませんでした。単純なものでしたが、その間、2度押す、長押し等随分スイッチも操作方法が変わって来ました。最近はタッチパネル方式が主流となりスマートフォンなどは、さわって、横にドラッグしてドロップなんて作業をします。スイッチ一つをとっても変化が激しいものがあります。それについていくだけでも高齢者にとっては意識的に努力しないとITの時代についていけなくなりました。

2 衣服素材の変化

 衣服の素材も随分変化しました。私が子どもの頃はまだ、木綿のもんぺをはいていた人が沢山見られました。また、木綿の手ぬぐい、割烹着を着ていてお母さんもたくさんいました。うちのお袋はよく、手ぬぐいを頭に巻き白い木綿の割烹着を着て家事をしていたのを思い出します。そのうちナイロン、ビニロン、ポリエステルなどの化繊がはやりだし、絹などもすたれていきました。いわゆる化繊が多くなりました。カシミロンなどの言葉もよく聞かれました。最近ではテンセルやデニムなどというのび地染みのする繊維でできた服も現れています。どちらにしても繊維は丈夫さ、着心地、保温性、手触り肌触り等が命ですので、その辺が重要です。

3 通信メディアの変化

 大昔はのろしや伝書鳩という時代があったが、その後、電話が発明され遠くに人にも電気があれば伝えることが可能になった。Tele(遠くに)Phone(音)いわゆる音を遠くに運ぶという意味である。音だけでなくテレビが発明され、Tele(遠くに)Vision(映像)いわゆる映像を遠くに運ぶことができるようになった。最近ではスマートフォンの時代になった。テレビも、PCも大きな変化をとげその境もファージーなものとなりつつある。<o:p></o:p>

4 物作り<o:p></o:p>

 昔は職人が同じ物を長年の経験でつくっていた。そのうちに生まれれば親父の後をついでやっていくという技術の伝承も親子で行われていた。その後、大きな工作機械が発明され大量生産が始まった。そして、PCを始めとする情報機器の進歩と共にNC工作機械が出始め、より省力化されてきた。最近では3Dプリンタなる物も出始め物作りが工場から個人に移り多品種少量生産がよりやりやすくなり、個人レベルでもパソコンさえ操作できれば素人でも複雑な物ができるレベルまで到達してきた。<o:p></o:p>

5 医療<o:p></o:p>

 昔は古くからの言い伝えによる薬草や針灸などで直していた。その後、西洋医学が紹介され医療もより細分化されていった。その間、総合的見地から医療をする東洋医学は脈々と伝えられてきた。今では心療内科などを中心に東洋、西洋に関わらず人間をトータルに看て自然治癒力で直そうとする考えも台頭してきている。新薬の開発も盛んに行われ顕微鏡の制度の向上もあり、ウイルスのような微少な物までのぞけるようになった。しかし、新薬の開発とそれに対する抗体の発生とのせめぎ合いがあり、薬の力にたよるのでなく自然治癒力を高めることがより大切ではないかと思う。わたしもこの考えにたっている。<o:p></o:p>

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過去の経験則

2013年09月03日 | インポート

震災3年9月3日

 

昨日、埼玉、千葉を大きな竜巻が襲った。連日、テレビをつけると、そのことで持ちきりである。また、過去の経験測が通用しない時代になったなと、つくずく思う。いわゆる気象が異常になってきたのだ。私流にいえば、世の中に異常はない。すべてが因縁果により生じているからだ。むしろ、竜巻が増えてくるのが正常なのだ。人間が勝手に地球のあるじを宣言しそう言っているだけだ。地球温暖化が進めば、必然的にそうなったまでのこと。自然とはそういうものなのだ。南からの湿った下からの気流と北からの冷えた気流が交われば気象現象として上昇気流が起こり積乱雲が発達しトルネードが起こったということだろう。
 さて、私論はさておき、一般論として、こうも、異常気象が起こると安心して生活できないのが人間だろう。安定した四季があり春夏秋冬様々な行事が伝統として文化として日本の精神を作っていた時代が少しずつ、壊れ始めてきている。

いわゆる今までは、過去の経験則に頼って生活していれば安心感があったし、普通の生活が行われた。しかし、昨今の気象変化は私たちの生活にも大きく関わってくる。過去の経験則がまるで通用しない時代になったのだ。今までは、年間の気象が四季を挟んで安定していたのだ。ところが最近はこの前提が崩れてしまった。千年に1度というような事態が発生しているのだ。このようなカウントのしかたは、気象が安定しているという前提がもたらしたものだ。いわゆる、気象においてもパラダイムシフトが起こってきているのだ。 

人は知識としては色々学習するが、所詮、知識は知識、日頃の生活に生きて働くには経験がもっとも大切である。知識が経験に迄高まっていなければ、いざと、いうというとき役に立たない。経験値がまるで、ゼロの出来事が最近頻発して起こって来ているのである。この時代にどう私たちは生きていったらいいのだろうか。前提が変わったのだから、それに合わせて今までの考えも変えていかなくてはならない。企業でいえば老舗の三越、三池、三菱財閥からベンチャー企業的な発想転換が必要になったのだ。

本質を見つめ因縁果がなんたるかを考える力、すべてが物理法則で成り立っていることの理解、無い物から有を生ずる企画力などが試される時代になったのだといえる。だから、過去の安定して時代だからいえる千年に一度などという確率論的な考えを捨て、今、起こっていることが一年に一度という感覚で全く新しい考えを入れていかなくてはこの時代を生きていけなくなるのだろうと思う。

昔、為替が固定され1$360円という時があった。遠い過去の思い出にすぎないが、為替はいつも同じだという考えに経済の頭は固まっていたが、今や変動相場になり、100円/$の時代になった。それも、いつ、円安円高になるのかもわからない。これは、経済上に大きなパラダイムシフトが起きた事件だろう。経済は人間の営みが深く関わっているが、気象はもっと、大きな自然現象の変化である。いつの時代でも諸行無常は真理である。
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