詩とは、論理では割り切れないものを感じ、直感的に捉えるところから始まります。
最終的には、自分自身の本物の想いがなければ、詩は形になりません。どんな表現でも同じですが、本当に伝わるものは、自分の中に根付いた想いが基盤となっています。
詩作とは、日々の感性と姿勢が形となるもの。その営みこそが、相手の心に響く言葉を生むのです。
詩とは、論理では割り切れないものを感じ、直感的に捉えるところから始まります。
最終的には、自分自身の本物の想いがなければ、詩は形になりません。どんな表現でも同じですが、本当に伝わるものは、自分の中に根付いた想いが基盤となっています。
詩作とは、日々の感性と姿勢が形となるもの。その営みこそが、相手の心に響く言葉を生むのです。
コロナ5年11月21日(ウクライナ、ロシア戦争3年)
今回の兵庫県知事選挙では、斉藤知事がSNSを駆使し、従来の「オールドメディア」であるテレビや新聞を打ち破る形で当選しました。ほぼゼロの状態からここまで支持を伸ばしたのは、SNSの力を示す象徴的な出来事だったと言えます。本気で取り組めば、SNSはこれほどの影響力を持つのだと、多くの人が実感したのではないでしょうか。
特に注目したいのは、SNSがこれからますます若者に活用され、彼らの意見が政治に反映される機会が増えるだろうという点です。これまでの投票率を見ても、高齢者層が多くを占める傾向があり、その結果、どうしても保守的な政策が進みがちでした。しかし、SNSが政治の舞台において主流になることで、若い世代の声が前向きな政策につながり、未来志向の議論が加速していくのではないでしょうか。
この流れは止まることなく、むしろ加速度的に広がっていくと思います。政治家にとっても、SNSを通じた有権者との直接的なコミュニケーションが欠かせなくなり、それができなければ生き残るのが難しい時代になるでしょう。
ただし、SNSの普及には課題もあります。政治の世界では、裏で隠された嘘や利害関係がつきものです。だからこそ私たちは、何が正しいのか、何が真実なのかを見極める目を養う必要があります。そうした視点を持たなければ、社会はよりよい方向には進めません。
今回の斉藤知事選は、単なる地方選挙にとどまらず、これからの社会の新しい在り方に大きなインパクトを与えた出来事だったと思います。一地方の出来事が全国に波及したという点でも、歴史的な意義を持つ選挙だったのではないでしょうか。
また、これだけ新しいメディアとしてのSNSが登場してくると、新しい社会のあり方や法制度についても考えていかないとやっていけない時代になったのではないでしょうか。教育制度も時代にあったものにしていかないと、子供たちもこの新しい流れに乗り遅れてしまうのではないかと心配しております。
不易流行は、松尾芭蕉だけのものではなく、今日においてはますます重要な概念になってきました。
コロナ5年11月12日(ウクライナ、ロシア戦争3年)
最近、英語を勉強していると、英語と日本語の思考の違いに気づくことがあります。英語は基本的に「SVO」、つまり主語→動詞→目的語の順に言葉が並びます。まず主語が来て、次に動詞、そして最後に目的が来る。これはどういうことかというと、英語ではまず「行動」が先に来るような感覚です。だから、英語で考えるときは、行動的でアクティブな印象を受けます。
一方で、日本語では「私は学校へ行く」のように、目的が先に来て、最後に動詞が来ます。つまり、日本語の思考は、どうしても行動が後回しになりがちです。これは、日本語が時にわかりにくいと言われる理由の一つかもしれません。
言葉というのは、その国の文化や国民性をよく表していると感じます。
さらに、日本語は抽象的で、物事を総合的に表現するのに優れています。しかし、行動や一つ一つの具体的な動作を示すには、どうしても曖昧になりがちです。だからこそ、日本語は全体を眺めたり、大局的な視点で考えるには強い言語だと思います。
ただ、TPO(時と場合)によっては、行動力が求められることもあります。そんな時は、思考を切り替えて、英語的な「行動優先」の考え方も役に立つのではないでしょうか。