想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

私から詩が生まれるとき

2024年11月27日 | エッセイ
コロナ5年11月27日(ウクライナ、ロシア戦争3年)
 
   詩を作るということは、自分の内側から湧き上がる思いを短い言葉に凝縮し、相手に届ける営みです。そのためには、まず自分の感性を研ぎ澄ませ、周りの世界や自身の内面に気づき、感じ取ることが必要です。

  詩とは、論理では割り切れないものを感じ、直感的に捉えるところから始まります。

  
  感覚が鋭くなると、自分の中に自然と湧き上がってくる思いがあります。それをどう言葉にするかが次のステップです。詩は短い言葉の中に豊かな意味を込めるもの。だからこそ、限られた言葉に思いを織り込む工夫が必要です。

   最終的には、自分自身の本物の想いがなければ、詩は形になりません。どんな表現でも同じですが、本当に伝わるものは、自分の中に根付いた想いが基盤となっています。

 
 言葉選びも重要です。相手にどう伝わるかを考えながら、リズムや響きを意識します。言葉には音や流れの美しさがあるので、それを活かすことで詩の魅力が増します。また、繰り返し試行錯誤する中で、新しいアイデアが生まれることもあります。言葉を連想しながら展開させるのも良い方法です。例えば「青」という言葉から「空」や「雲」を思い浮かべるのは一般的ですが、「青」と言ったときにどんな新しいイメージを紡げるかが創造の鍵です。一言で青といっても、群青の青と藍の青ではイメージが全然違います。
 
 ただし、最も大切なのは、人の言葉や考えをそのまま借りるのではなく、それを自分の中で咀嚼し、自分自身の言葉として紡ぎ直すことです。借り物では本当の感動を与えることはできません。それは詩に限らず、生き方にも通じます。
 
 自分自身の納得のいく生き方をしていれば、自然と表現にもそれが反映されます。

 詩作とは、日々の感性と姿勢が形となるもの。その営みこそが、相手の心に響く言葉を生むのです。


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兵庫県の斉藤知事選が示したSNSの力とこれからの時代

2024年11月21日 | エッセイ

 コロナ5年11月21日(ウクライナ、ロシア戦争3年)


 今回の兵庫県知事選挙では、斉藤知事がSNSを駆使し、従来の「オールドメディア」であるテレビや新聞を打ち破る形で当選しました。ほぼゼロの状態からここまで支持を伸ばしたのは、SNSの力を示す象徴的な出来事だったと言えます。本気で取り組めば、SNSはこれほどの影響力を持つのだと、多くの人が実感したのではないでしょうか。


 特に注目したいのは、SNSがこれからますます若者に活用され、彼らの意見が政治に反映される機会が増えるだろうという点です。これまでの投票率を見ても、高齢者層が多くを占める傾向があり、その結果、どうしても保守的な政策が進みがちでした。しかし、SNSが政治の舞台において主流になることで、若い世代の声が前向きな政策につながり、未来志向の議論が加速していくのではないでしょうか。


 この流れは止まることなく、むしろ加速度的に広がっていくと思います。政治家にとっても、SNSを通じた有権者との直接的なコミュニケーションが欠かせなくなり、それができなければ生き残るのが難しい時代になるでしょう。


 ただし、SNSの普及には課題もあります。政治の世界では、裏で隠された嘘や利害関係がつきものです。だからこそ私たちは、何が正しいのか、何が真実なのかを見極める目を養う必要があります。そうした視点を持たなければ、社会はよりよい方向には進めません。


 今回の斉藤知事選は、単なる地方選挙にとどまらず、これからの社会の新しい在り方に大きなインパクトを与えた出来事だったと思います。一地方の出来事が全国に波及したという点でも、歴史的な意義を持つ選挙だったのではないでしょうか。

 

 また、これだけ新しいメディアとしてのSNSが登場してくると、新しい社会のあり方や法制度についても考えていかないとやっていけない時代になったのではないでしょうか。教育制度も時代にあったものにしていかないと、子供たちもこの新しい流れに乗り遅れてしまうのではないかと心配しております。


 不易流行は、松尾芭蕉だけのものではなく、今日においてはますます重要な概念になってきました。



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英語脳と日本語脳とは?

2024年11月12日 | エッセイ

 コロナ5年11月12日(ウクライナ、ロシア戦争3年)


 最近、英語を勉強していると、英語と日本語の思考の違いに気づくことがあります。英語は基本的に「SVO」、つまり主語→動詞→目的語の順に言葉が並びます。まず主語が来て、次に動詞、そして最後に目的が来る。これはどういうことかというと、英語ではまず「行動」が先に来るような感覚です。だから、英語で考えるときは、行動的でアクティブな印象を受けます。


    一方で、日本語では「私は学校へ行く」のように、目的が先に来て、最後に動詞が来ます。つまり、日本語の思考は、どうしても行動が後回しになりがちです。これは、日本語が時にわかりにくいと言われる理由の一つかもしれません。


    言葉というのは、その国の文化や国民性をよく表していると感じます。


    さらに、日本語は抽象的で、物事を総合的に表現するのに優れています。しかし、行動や一つ一つの具体的な動作を示すには、どうしても曖昧になりがちです。だからこそ、日本語は全体を眺めたり、大局的な視点で考えるには強い言語だと思います。


    ただ、TPO(時と場合)によっては、行動力が求められることもあります。そんな時は、思考を切り替えて、英語的な「行動優先」の考え方も役に立つのではないでしょうか。


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ブレずに、まっすぐに!人生もドライブも?

2024年10月29日 | エッセイ
   コロナ5年10月29日(ウクライナ、ロシア戦争3年) 

 車の運転で遠くを見て運転すると、ぶれないで、まっすぐ走れますよね。
車の初心者が1番最初やる場合、周りをキロキロ見てしまうんですね。だから危なくて怖くなってしまいますね。私もそういう経験があります。国道を通ってるときにね、まだ初心者の頃、周りのトラックの大きな輪が見えたりするんですね。それが大きな恐怖心になった経験があります。

 それが、段々と慣れてくると、遠くを見て運転すればいいんだ。横のトラックが気にならなくなりますね。人生も一緒でね。遠くの価値をめざして歩めば、ぶれないまっすぐ行けます。横の利害に惑わされず、自分の進める道がしっかり見えてくるですね。

 自動車の運転も同じです。初心者がやるべきことは横の大きなトラックに惑わされるのでなく、生きたい方向をしっかり向いて、そこをめざせばいいんですね。私も初心者の頃、それに気づいてから、だいぶ、高速道路もスムーズに運転ができたことを想い出しました。人生もドライブ本質は同じだなと気づかされた過去を今、想いめぐらしているところです。

 何事も気づき発見の連続ですね。これからも、心を赤ちゃんのように真っ白にして新たな気づきの念をブラシュアップしていきたいです。そう想いめぐらすだけでまだまだ、どきどきの人生が歩めそうです。あとは健康管理をどうするかが大事かといつお想っています。
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あら不思議?同じリンゴが違って見える?

2024年10月24日 | エッセイ
コロナ5年10月24日(ウクライナ、ロシア戦争3年)

 写真を撮るとき、私はいつも被写体の位置や背景に気を配ります。同じリンゴを撮る場合でも、そのリンゴをどこに置くかで、受け取る側の印象が微妙に変わります。

 これは人間関係にも当てはまります。人間も、どこに位置するか、どんな環境にいるかで、周りからの影響が変わります。
 
 例えば、リンゴの位置です。左上に置いたとします。リンゴはリンゴでも、真ん中に置いたリンゴと受け手は違う印象を受けます。そうです。置いた位置により受け手は微妙な受け取り方をするものです。

 それでは、同じりんごでも背景を変えるとどうでしょう。赤い背景に置くと目立たなくなりますが、緑の背景に置くと浮き出て見えます。

 人間も同じで、似たような人ばかりの中にいると自分が目立たなくなり、反対の性質を持つ人々の中にいると自分が際立ちます。
 
 芸術的な発想は、日常生活や人間関係にも応用できるものです。環境や周囲の人々が自分に与える影響を考えることで、新たな視点や気づきを得ることができます。

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