自分の想いを短歌にしてみました。これからも、言葉の持つリズム、韻律、イメージ、色等を考えながら、少しずつ作品を増やして行こうと思います。
昔、紀元前、ギリシャにタレスという人がいたというお話を思い出した。彼は万物の根源を水と考え、存在する全てのものがそれから生成し、それへと消滅していくものだと考えた。そして大地は水の上に浮かんでいるとした。世界は水からなり、そして水に帰るという説を唱えたのだった。
今、考えても確かに一理ある考えだなと思う。地球の環境を考えたとき一番大切なものは清き水がこの青き地球に満ちあふれていることだと思う。そのことには、誰も異論はないだろう。
地球を人間に置き換えて考えて見ても同じだろう。清き水が身体になければ人は生きていけない。この、水がよどんで停滞したときが、病気の状態であるのだろう。人間は70%が水でできているといわれている。この事からも確かに水は大切だ。水に関心を払わずにいられない。世界の水が濁ってくると、体内の水も濁ってくるのは自明の理であろう。故にこの事に留意することが健康には大切だということが分かってくる。また、せっかく、取り入れた水がもっと大切なことはいつも、流れて巡回していくことだとおもう。一つ所にそれが、とどまると肩こりや色々な病気の原因になる。水は絶えずさらさらと流れるようにしておく必要がある。
そのために何をするか、そう、適度な運動をして体を動かすことが、ことの他大切だということが分かるだろう。適度な運動、そして、水である体液(血流)を止めないことである。絶えず流し巡回させる。
頭の中も血流がめぐっている。好奇心を働かせ「日々是新たなり」の感覚で周りの事象と接することが、若さの源である。指先から頭のてっぺんまで、まんべんなく体液を循環させることこそ若さの秘訣である。
血流の流れを情報、気流に置き換え、地球を眺めれば、人体もまた、小ささ地球であるといえよう。そして、その考えは、100才という限りのある生物の命が永遠の命に繋がっていくことにも通ずるだろう。永遠の命を得ることができれば、もう、怖いものはなくなる。
今、考えても確かに一理ある考えだなと思う。地球の環境を考えたとき一番大切なものは清き水がこの青き地球に満ちあふれていることだと思う。そのことには、誰も異論はないだろう。
地球を人間に置き換えて考えて見ても同じだろう。清き水が身体になければ人は生きていけない。この、水がよどんで停滞したときが、病気の状態であるのだろう。人間は70%が水でできているといわれている。この事からも確かに水は大切だ。水に関心を払わずにいられない。世界の水が濁ってくると、体内の水も濁ってくるのは自明の理であろう。故にこの事に留意することが健康には大切だということが分かってくる。また、せっかく、取り入れた水がもっと大切なことはいつも、流れて巡回していくことだとおもう。一つ所にそれが、とどまると肩こりや色々な病気の原因になる。水は絶えずさらさらと流れるようにしておく必要がある。
そのために何をするか、そう、適度な運動をして体を動かすことが、ことの他大切だということが分かるだろう。適度な運動、そして、水である体液(血流)を止めないことである。絶えず流し巡回させる。
頭の中も血流がめぐっている。好奇心を働かせ「日々是新たなり」の感覚で周りの事象と接することが、若さの源である。指先から頭のてっぺんまで、まんべんなく体液を循環させることこそ若さの秘訣である。
血流の流れを情報、気流に置き換え、地球を眺めれば、人体もまた、小ささ地球であるといえよう。そして、その考えは、100才という限りのある生物の命が永遠の命に繋がっていくことにも通ずるだろう。永遠の命を得ることができれば、もう、怖いものはなくなる。
高齢化になってくると、進歩とは縁がないように思われがちですが、そうではなく進歩のスピードがただ、以前に比べて落ちてきているだけのように思います。
気を高めて継続してやれば、必ず進歩するようです。まさに継続は力なりです。
最近始めた、「後ろ向き歩き」や「後ろ向きジョギング」の例でも分かるように、最近はだいぶうまくなりました。できない、もうだめだ、というあきらめが一番いけません。進歩は確かに牛歩のようですが、確実に伸びてきているものです。
いつも、できない方を見るのでなく、できる方、明るい光の方を見つめることが大切です。現状維持でもそれは、鍛えているからそうなるのであって、ほっておいたらずるずる下がって行くのです。そのことを体感しているこの頃です。
気を高めて継続してやれば、必ず進歩するようです。まさに継続は力なりです。
最近始めた、「後ろ向き歩き」や「後ろ向きジョギング」の例でも分かるように、最近はだいぶうまくなりました。できない、もうだめだ、というあきらめが一番いけません。進歩は確かに牛歩のようですが、確実に伸びてきているものです。
いつも、できない方を見るのでなく、できる方、明るい光の方を見つめることが大切です。現状維持でもそれは、鍛えているからそうなるのであって、ほっておいたらずるずる下がって行くのです。そのことを体感しているこの頃です。
毎年、この時期にコミュニティ協議会主催の「会館祭り」を開催している。今年は会館が完成して2年目であった。私は事務局として影になり日向になり、この祭りの運営に参加してきた。昨年に比し参加人数や団体も増え盛況になってきた。私の役目は触媒であると肝に銘じている。
主役はあくまで、地域の人たちである。店が出たり芸能発表や輪投げ、グランドゴルフ、しめ飾りづくり、ボール送り競争、もち投げ、餅つき等出し物も多彩になり子どもから老人まで楽しめるものとなった。
私に取って初めてのもち投げの体験であった。受け取る人を見るとどの人も真剣そのもの、自分の所へ投げて欲しいので声援がすごい。私としてはなるべく公平に色々な場所に投げることを心得たつもりだ。昔からのもち投げの伝統はどんなに世の中が変わっても人の心を高揚させ地域を一つにさせるのにいいものだとつくづく思った。
一番左側で投げているのが私
スポレク部会の皆さんがサンタに変装してドッチビーのお手伝い。
自治会や有志による売店が並んだ
環境推進委員会がもち投げや餅つき、おこわ作りに参加した。
会館に展示してあった石蕗を大文字草の山野草に交換しました。
携帯のカメラなので、ちょっと色が赤みがかってしまいました
本当はもっと、きれいなんですが…。