想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

認知症にオリーブオイルがいい?

2014年12月06日 | エッセ

 この年になると、一番気になるのが認知症のリスクだ。先日も、オリーブオイル使用が認知症によいという話をきいた。そのせいもあり、最近はオイルは基本的にはオリーブオイルを使うことにしている。値段はちょっと普通のオイルより高いが、気分だけでも気持ちがいいい。スーパーに行くとオリーブオイルも色々種類がある。

 エキストラバージン・オリーブは中性脂肪、LDLコレステロール、HDLコレステロールなど血中脂質プロファイルをすべて改善し、活性酸素の攻撃を阻止して動脈硬化を防ぎ、心筋梗塞や脳卒中などの心血管病の予防に役立つとある。オリーブオイルのうちで、特にエキストラバージン・オリーブオイル(EVOO)は抗酸化作用を有するフェノール類の含有量が、通常の精製オリーブオイルよりかなり豊富。中性脂肪が気になる私としては、オイルはエキストラバージン・オリーブオイルに限るということになる。今までの自分はサラダに普通の植物オイルを使っていたが、今後はエキストラバージン・オリーブオイルに切り替えていきたい。最近は地中海料理のお店にいくときもあるが、オリーブオイルの原産地がそちららしいので、ちょうどいいと思っている。イタリア料理もおいしい。

※私が最近使い出したオイル

「エキストラバージンオイル
・ 香りが高いので過熱しない料理に使う方が望ましい。
・ サラダ、生魚、フルーツなど
(ピュア)オリーブオイル
・ 加熱する料理に使用する。

 今後はレシピによりオイルをの種類を使い分ける必要性を痛感した。

 健康のまず、第一は運動と、食べ物が起因であるというのは論外だろう。特に食事は毎日接する事だけに、気をつけたい所。私はあまり好き嫌いはない方なので、基本的にはタンパク質、野菜、デンプン類、油脂、果物をバランスよく食べるようにしている。そして、なるべく旬のもので地元産のものを頂くようには注意している。自然栽培自家菜園があるので、野菜は主にそれをつかっている。そして、ほどよく体を動かす。頭と神経をつかう。この辺を総合的に留意した生活を送っているつもりだ。

 また、お酒もあまり強い方ではないのが、つきあいの時にはほどほどに飲みカラオケが好きなのでよく歌う。通常は酒はなくとも特にこまらない。ただ、中性脂肪がちょっと高めなので、この辺の食べ物には今後も気をつかっていく必要がある。

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沈む太陽 自然の造形は素晴らしい!

2014年11月26日 | エッセ

震災元年11月26日

 自然の造形は素晴らしい!こんなきれいな景色があっただろうかというような仕草を見せる。ただ、私はそれを見、感心するだけ。周りの秋のすじ雲もきれい。太陽の周りから沸き立っているみたい。まさにオーラに太陽が包まれているようだ。私の晩年もこうありたいものだ。

 沈んでるんだけどまた、昇ってくるような感覚に陥る。いや12時間後また、今度は東の空から朝焼けをともなって昇ってくるのだ、こうして諸行無常時は繰り返されてゆく。一瞬たりとも同じ事の繰り返しではない、絶えず事象は流転し日々刻々新しきものを創造しながら動いてゆくのだ。

 

沈む太陽 自然の造形は素晴らしい!

動画にもアップしたのでゆっくり見て欲しい。

youtube動画はこちら

http://youtu.be/8o6b7Ivbpm0

 

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散歩とウォーキングからの想い

2014年11月24日 | エッセ

 散歩とウォーキングは今まではその違いについて考えても見なかったし、両方を散歩と呼んでいました。昨今の健康ブームがいわれ始めてからウォーキングというジャンルが登場してきたように思います。私の中では健康や体力維持、増強を目的とした時にウォーキングという言葉を最近はつかうようになりました。自分で意識して歩く前はすべて散歩で片づけていましたが、私の中でも最近分けて考えるようになりました。それだけ、自分的にも健康意識がたかまってきたのだろうと思います。

 毎朝の歩きはウォーキングになります。適度に負荷をかけ、歩いているからです。慣れてくると歩幅を広げたりスピード感出して歩く癖がついて来ます。散歩しかしらなかった頃とはだいぶ歩き方も変わって来ました。普通の散歩の時でもついついスピードが出ていわゆるウォーキングに成っている自分に気づくことがあります。両手もそんな時はふれています。そのときが、私の中ではウォーキングでしょうね。

 散歩は散歩で肩肘張らないし気分転換にはよいと思いますので、無理をせず、散歩やウォーキングを楽しんでいきたいです。今朝も、女房に頼まれて幼稚園のウサギのえさをとりに菜園に行って来ました。ヨモギやサツマイモの屑を集めて来ました。余裕がでれば、ウサギや山羊をそこに放し飼いにして除草をしたりしたいというプランもあります。

 ホウレンソウがだいぶ大きくなりました。先日もツナとトマトとほうれん草を混ぜサラダにして食べました。ドレッシングは認知症にもいいというオリーブオイルにしました。健康的でさわやかな気分になりました。ホウレンソウはPHが高いので石灰を施さないと酸性土壌の自分の畑ではうまくいかない事が分かりました。今回はアルカリ化にしましたので、上手にできています。簡易PH測定器が壊れてしまったので最近は勘ででPHを計っています。結構密植してますので抜き菜にしてはサラダで食べています。

<抜き菜に向く野菜>

大根、白菜、ほうれん草、ニンジン…等が定番ですが、おひたしやサラダにすることが多いようです。材料はごま、ごま油、オリーブオイル、ツナ、ベーコン、油揚げなどを加えることが多いようです。

※びっしり密植されたホウレンソウ まだ、若いのでサラダに向くようです。みずみずしさがたまりません。ポパイを思い出します。(年ですかね?)上に見えるのが私の好きなカリフラワーの苗です。

ためしに綿を育てて見ました。綿毛ができています。これが昔から使われている木綿の原料になるのですね。一度、木綿の繊維も作ってみたいですね。時期がきたら自然の植物で染め物もやってみたいです。

 キャベツがきれいに結球し始めました。今年は無農薬でもほとんど青虫がつきませんでした。ラッキーという感じです。この分ではいいキャベツがまもなくできそうです。我が菜園では苦土石灰と鶏糞以外は使いません。後は自然界の力に任せ、その力が発揮できるよう見守りながら育てています。自然と野菜がうまくほどほどにマッチするようにしています。商品としては考えていないので自由にできるのが自然栽培の強みです。基本的にはPHは少し調整してますが、天敵を放したり害虫の忌避植物を植えたりしてます。何事も実験です。自由に実験ができる農場になっています。すべては世の中は自然の摂理で動いています。その一員になるよう心がけています。これが私のポリシーです。ですので、自然界にないものはできるだけ使わないようにしています。土に帰るものが基本です。そう考えると原発のように処理ができない放射能は問題ですね。

菜園の広さが4畝もあり、色々な事をちょこちょこやるのが趣味の私としては広すぎて、どう有効利用しようかと考えていたが、さしあたり半分を果樹園にということになった。ぶるーべりー、イチジク、プラムを現在植栽中である。ただ、問題はブルーベリーとイチジク、プラムの果樹の適地PHが違うということである。この辺を知恵を絞り今後クリアーしていかなくてはならない。後は無農薬でも野菜のように果実がうまく実るかだ。これも結局ケセラセラか? 

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夕日と虹から想う

2014年11月21日 | エッセ

 いつものウォーキングです。これで、どうやら今日も1万歩完遂です。夕日に向かって歩いていた時、ふと、右を向くと虹が出ていました。夕日と虹の絶妙の組み合わせに遭遇しました。めったにこういう光景は見たことがありません。生きているという充実感と幸せ感を同時に感じていたのを思い出します。幸せは案外こんな所にあるんだなと思わずにいられませんでした。

 幸せ感ほど我が儘のものもありません。感じようと思えば傍らの雑草にも宿っています。自然の妙を感ずる心が大切だとつくづく思わずにいられませんでした。経済的には何の価値もありませんが、私にとっても、何事にも変えることのできない自然現象とでくわしたのです。
 
 心をとぎすませば、このような事象は至る所に転がっています。そのサインをいつでも関知できるようなビビッドとした心のあり方が大切だとおもいます。これはもう理屈ではありません。幸せは論理や理屈を超えた感性の問題なのです。幸いこのような感性が沸いてきている自分に感謝の毎日です。

 何気なく交わす会話、暖かい日差し、そっとほほをなでる微風、風で騒ぐ木の葉の音、どこまでも澄み切った青空、けなげに生きる子どもの姿、赤ちゃんの寝顔、我が子を思う無心の親の愛情、何気ない仕草、幸せの事象は至る所に転がっています。ただ、現代人にはそれが気づきにくくなっている状態があるのです。
 
 ちょっと、最近私が残念に思っていることがあります。それは、寒くなると、どこもかしこも、イルミネーションがLEDでにぎわうことです。きのうも、露天風呂が好きでよくいくのですが、サンタさんやそりを中心にイルミネーションがいっぱいになっていました。きれいといえば表面的にはきれいですが、どうも、そういうのに違和感があるのはわたしだけでしょうか。

 皮相的に見ればそうなんですが、そうばかりとはいっていられません。もっと、自然にできたきれいなものがたくさんあるのではないでしょうか。益々、人工的な美ばかり強調されて自然の美しさにうとくなっていく現代人の悲しさを見る思いがします。益々自然から離れ、人類ははどこへいくのでしょう。

 先日、アマゾンの写真集の本が新刊図書として図書館に陳列されていました。アマゾンの大自然が壊されて益々森林が切り倒されているのです。無数の生物がその住処を追われ絶滅の危機に追いやられているのです。そんな中で生物の一員である人間だけが生きながらえる訳がありません。人間は万物の霊長ではありりません。そのおごりがそのような森林破壊を生んでいるのです。

 アベノミクス解散が間近に迫っていますが、もう、経済優先はやめて、もっと幸せ指数の世の中になって欲しいとおもいます。GDPで計るのではなく、ブータンのように幸せの指数で何事も考える時代になって欲しいものです。

 最近健康寿命という言葉が増えてきました。結構なことだと思います。やっと、来たかという感じがしますが、健康でこそ長生きも意義があろうかと思います。医療費が増えて困っています。健康寿命こそ、大事ではないでしょうか。

 その為には、日頃からの健康管理が大切です。人間はいつかなくなるのです。諸行は無常なんです。形あるものは壊れるのです。栄華は長くは続かないのです。自然はリズムを打ちながら時という絶対的なものに委ねているのです。それは誰もが制御できないのです。時を動かせることのできる人こそ神そのものです。

 ですから、どんなに科学が進んでも時を人間が制御しようなんて考えないことです。絶対的な時が制御されることがあるとすれば、もう人間は何を根拠に生きていくかという絶対的な指標がなくなってしまうのです。そんな事があってはいけないのです。科学にも倫理観がひつようです。それを制御するのではなく、それの仕組みを見つけることはいいでしょう。科学は結局はそこまでやってはいけないのです。

 それで、心配しているのが原子力発電です。原子力も同じような発想から成り立っているように思えてなりません。最終的な放射能の処理方法が分からないのに発電続けるということは絶対やめることです。

 アマゾンの森林破壊と同じようなことが世界の各地で行われ心が痛みます。地球内部の石油や地下資源を取り尽くすのも同じことです。特に地球の水と空気が汚れて来ていることは致命的なことです。哲学者タレスも世界は水でできていると、いっています。もっと、広い心でその辺を考え直して欲しいのです。やがて何十年何百年かたつと、その結果は人間の上に自然災害となって降り注ぐだろうと思います。

 その時、世界の人口も地球的規模で大きく減少をはじめるでしょう。それでは、手遅れなんです。今でも刻々と人口増加は起こっています。エボラやエイズ、デング熱、鳥インフルエンザ、温暖化もその現れです。とにかく、人口が多すぎるのです。人類という種が生物学的にいっても、それ一種のみが増えすぎるということはあり得ないのです。その結果、ひずみが来ているのが地球の現状です。すべて、それでは、もう遅いのです。私も陰ながらそのような自然破壊の行為を危惧する一人でもあります。認知症の増加と単なる長生きも医学の発達と大きく関連しています。その医療費たるや相当のものです。生き甲斐と寿命の関連も国を挙げて考えねばならない大きな問題でしょう。

 高齢者が昔は惜しいとか尊敬されてなくなっていたのに、最近の風潮はといえば疎まれてなくなっったり孤独死などといわれてきています。悲しいことです。使い捨ての高齢者になってきています。百も二百も生きたいと思うのが人情ですが、そもそも生物学的にも無理な話です。生老病死は必然なのです。

 植物を見ていれば分かるように種子が芽を出し成長し盛りを迎え、花を咲かせ実を結び枯れてゆき、子孫を残して、その種は生き延びて行くのです。今は個人が尊重される時代ですが、結局は生物としての人間を考えた時に種の存続という観点から次世代のことも考えなければならない宿命をになっているのです。その辺と個の関係も捉えていかないと個=自分勝手ということになりかねません。憲法で保障されている基本的人権もその辺の事も考えて行かないといけないでしょう。次世代へのバトンをしっかり受けついて行かないといけないのです。前期高齢者はその要諦を握っている存在なのです。

 自然こそ私は神に近い存在だと思うのです。そうです。私流には神は自然の摂理そのものなのです。神が唯一絶対のものとすれば、それはキリストでもなく、仏陀でもなくまさに自然の摂理そのものが神だといえるでしょう。誰が考えてもそこへいきつくはずです。それは真理だからです。

 私はキリストや仏陀は自然の摂理を具現化させているものだと思っています。どうか、人類がそのことに気づいて平和な争いのない世界になって欲しいです。我を通せばキリスト教徒と仏教とは違うというのでしょうが、もっと、高いところから考えればどちらも自然の摂理に到達する道筋の一つなのでしょう。キリストや仏教が悪いと行っているわけではありません。そのような考えのもと、具体的な人格神であるキリストや仏教を信仰するとすれば素晴らしいことです。このように世界でも有名な宗教を信じている人たちの中にも広い心で信仰に励んでいる方が多数いると思います。私もその宗教の中の言葉で癒されることもたくさんあります。だから、今日まで生き残ってきた宗教だと思います。その上に、もっと大きなものがあるのだということをいいたかったのです。

 ※下の写真をクリックしてください。動画に飛びます。

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庭のリニューアル

2014年11月06日 | エッセ

震災4年11月6日

 ちょっとばかり玄関先の庭を改造しました。バックにあるキンモクセイは大きく上を止めましたので、今年はあの香りはお預けとなりました。きっと、来年には、また、いい香りを振りまくことでしょう。

 小岩の横にあったコメザクラをナツハゼの木に植え替えました。そして、横にツワブキをあしらいました。またナツハゼの後ろにハランがうえてありましたが、どんどん増えて見苦しくなったのですべてこいでしまいました。後ろに大きな切り株がみえますが、これも、数年前に切り倒しました。というのも、台風などで倒れて隣の家に被害がいくといけないからです。
 今後はそこへ何か、他のシンボルツリーになるようなものを植えていきたいと思います。何がいいか思案中です。常緑樹にしようか、落葉樹にしようかと…。

人は毎朝生まれ変わる
つかず、離れず、さりげなく、さらっと、、繰り返し繰り返し、愛情を持って!

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