コロナ2年8月22日
私も野菜を育てることが好きで作っています。しかし、その原点は、食べるばかりでなく、それを見ると何となく癒しをもらったり、心が洗われたり、幸せな気分になったりの精神的な充実が得られるところにあります。
前々から園芸には興味があり、色々な草花を育てていたのですが、新しい住宅を購入した頃、本当は庭の続きに菜園があればいいなと何となく想っていたのですが、現実は厳しく経済的に家と庭だけが精一杯でした。菜園までは手が届かなかったのです。ですので、一介の教員としては63坪の建売住宅を購入するのが精一杯というところでした。できれば、家があり、庭があり、その隣に菜園があるのが私の理想でした。
いつもの通り庭仕事をしていた時です。ふと脳裏に菜園に青々と成長する野菜が浮かんできたことがありました。成長途上のエネルギーを一杯発している白菜の青菜じゃなかったかと想うのですが、そんなイメージのワンシーンが突如浮かんで来たのでした。
それを想うと、もう無性に野菜を育てたくなりました。今までは花を育てたり、庭の緑を見たりするのが趣味でしたが、急にそこに野菜が浮かんできたのです。花を育てる視点が庭づくりの行き、野菜作りにまで発展していったのです。
心は「ころころ変わる」から「こころ」というようですが、まさに、心が花から路傍の草花にそして野菜育成などに変化していったのです。まさに、これこそ、諸行は無常なのだつくづく感じさせられました。
最近は植物全般に目を向け、菜園で野菜を育てるのがメインの趣味になっていますが、育てているうちに野菜の姿や変化の具合や葉の色や成長する過程など、そこにまつわるあらゆることに惹かれるようになりました。
生長点を中心に成長していく姿に深遠なものを感じたり、エネルギーをもらったり、はてまた、見たこともないような一見何の変哲もない、葉の色やその変化や、鑑賞用でもない野菜の花が美しく感じたり、山野草や雑草の姿にも感動したりと微妙に自分と植物とのかかわり方が発展していったのです。
時には山野草ばかりでなく路傍の雑草にまで心を奪われることも多々出てきました。その度に私は現世から来世に近づいているんだと意識するし、深遠なものに益々惹かれていく自分がるのにも気が付きました。こうして行く先には私は墓標に「感謝と畏敬の念」を刻んで行こうと、今は益々その意を強くしている所です。
※庭に植えたパプリカです。最近実が色づいて来ました。食べておいしいのはもちろんですが、見るだけでも大いに鑑賞の価値があります。日に日に色が変化してゆくのが手に取るように分かります。
毎日のウォーキングの後に野菜を見るのが楽しみな毎日です。枯れることもあります。できたら、チャーハンやサラダにしたり肉詰めにしたりピラフやパエリアに海老と一緒に入れたら美味しくなるかなとイメージを膨らませています。
黄色と赤と青のパプリカをどう混ぜたら美味しくなるかなど、想いはどんどん膨らんでいきます。