想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

朝の食卓から

2016年08月31日 | エッセイ

震災6年8月31日


旅に出よう

 今日の食卓は自家菜園の野菜が沢山入っていました。毎日、沢山採れるオクラ、デザートのマクワウリ、庭で栽培の中玉トマト、それから、キャベツ、ピーマンです。これだけ、自家野菜だけで、食事ができ、菜園をする喜びを日々感じでいます。



 ただ、肉類や魚はどうして購入しなければならないのですが、これは致し方ありません。年齢が上がってくると、余計には食事に気をつけなければなりません。幸い、私は殆ど好き嫌いがありませんので、できるだけ他品種のものを少しずつ食べるように心がけています。


 それにしても、こうして、自分で作った物が食卓に載るのは気分がいいです。こうして、人は毎朝生まれ代わり、今日という日が始まりです。


 最近はキュウリの株が古くなり、もう採れなくなりました。なので、先日来、新しい種を植え育てています。今では、だいぶ大きくなり後、10日もすれば、次から次へとなってくれるでしょう。


 


 カボチャも、そろそろ採れなくなるので、新しい苗を育てています。多分、カボチャは実を結んでくれるでしょう。秋カボチャは初体験ですので、やってみないと分かりませんが、まだ、温度は高いのでいいのではないかと思います。



 ナスも、まだ、採れるはずですので、新しい苗を育成中です。秋なすをねらっています。現行の苗を切り戻しする方法もあるようですが、新しい苗を育てた方がいいかなと思っています。


 先日、食べたスイカも試しに種から育てています。菜園のスイカも、毎年つくるのですが、途中でキジにつつかれたり、いいものが作れていないです。庭に種を蒔いてみました。さて、どうなることやら。、これからのお楽しみです。 



 挿し芽から松葉ボタンを育ててみました。こんなにきれいに咲きました。色々な色が混ざり合って、より美しくなりました。


 松葉ボタンは昔からの花ですが、最近は改良も重ねられ、八重咲きが多くなり花柄も多種多様になりました。挿し芽をすれば、どんどん増えていきます。摘みきって挿し芽にすればどんどん増えるので、子どもの頃はツミキリソウと呼んでいました。


 


名前の由来


 


葉を松葉、花をボタンになぞらえてこの名前があります。炎天下にもよく花を咲かせるので「ヒデリグサ(日照草)」、茎を切って土に挿しておくと簡単に根が出てふえるので「ツメキリソウ(爪切り草)」もしくは「ツミキリソウ(摘み切り草)」の別名があります。英名の「eleven o clock」は朝に開花して昼前にしぼむ性質に、「rose moss」は花をバラ、草姿をコケに例えたものです。


 


学名はポーチュラカ・グランディフローラ。ポーチュラカはラテン語のポルト(porto:もっている)とラク(lac:乳)からなり、「乳液をもつ」と言う意味ですがマツバボタンは葉や茎を切っても乳液は出さず、(ぬめっとした粘液は出ます)、由来は不明です。グランディフロラは「大きな花」の意です。


 




夏の定番の花にペチュニアの仲間があります。これも、挿し芽で増やしてみました。こんなにかわいく育って来ました。もっと、きれいになるのが楽しみです。他の植物と混植して楽しんでいます。



もう、山桜の葉っぱが一部紅葉し始めました。やがて、北海道から日本中が紅葉に季節を迎えるようになります。いつか、北海道の大雪山の紅葉を見にいきたいと思っています。そのときには勿論温泉も楽しみです。ナナカマドの紅葉も見てみたいです。もう、二三年は色々あって無理かな。


あちこちに   見え隠れする       赤い灯は          秋を知らせる 山桜かな


 


虫食えどなお 葉を付けるいぶし銀その名も山の桜かな



 


旅に出よう
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レッテル社会と生きるということ

2016年08月25日 | エッセイ

震災6年8月25日

日本旅行HP

 最近、やたらとレッテルを貼る社会になってしまいました。私はそれを嘆いているのですが、薬や何かの行政上の申請の際に医師の証明が必要なことが一因としてあるようです。
 
 みんな違ってみんないいという言葉は詩人 金子みすずの言葉で、人それぞれですが、レッテルを付けるとわかりやすいメリットはありますが、本来、ひとはそれぞれ違うものなのです。あまり、気にしないで、おおらかに生きましょう。

 一番大事なことは、自尊感情です。自分はかけがえのない人間であると考えることが大切です。いわゆる自己肯定する力です。私は私でいいと強く思念し、生きてゆくことです。

 作今、この自尊感情をもてない人が多くいます。その人は心がいつも不安定です。この心の病の人が多いのが現状です。いくらお金があっても、頭がよくても、心の安定を欠いては失格です。

 ストレスは心で感じるのです。その心を制御できないで、安易に薬に頼っている人がすごく多いのが気になります。すぐ、助けてくれる社会にどっぷりつかっていて、本質が見えなくなっているのです。恋は盲目と似ている現象なのでしょう。保険制度は素晴らしい制度でいいのですが、そのため、安易に薬付けになっている人や薬お宅が多いのも事実です。

 ましてや製薬会社や医者は保険制度があることを利用して過剰医療に陥っている面もあります。頼んでもいないのに、歯医者に行くと、時間稼ぎで歯垢を取り、やたらと歯を削ります。そして、一日で済む治療を何日もかけて行います。これも、保険の点数かせぎです。

 薬も必要以上に数日間も出します。目医者に行けば、待ち時間の間に視力検査をします。視力が異常かどうかは自覚があるはずです。そのとき、やれば十分です。しかも、やるのは医者ではありません。これも、点数稼ぎです。これで、看護師さんのお手当てを出しています。国もこのようなことを取り締まって欲しいですが、何にもしません。資本主義の悪い面です。病気の本質をしっかりとらえていないと大変な目に遭うのは患者です。

 人の目を見ないで、ディスプレイだけ見て診察しています。医の原点はいずこにという感じです。基本は聴診器を当てながら会話を交わしながらの関わりが大切でしょう。中には素晴らしいお医者さんも沢山います。誤解しないでください。

  人の体は一時も同じ状態でないということを銘記してください。病気は病が半分、気が半分です。ストレスは厳禁です。欲望もきりがありません。程差加減してかんがえないと大変な目に遭います。

  来てみれば、こんなではなかった 金(かね)の山 何て川柳もできてしまいます。金で解決するのでなく親からもらった体で自然治癒力で解決するのが基本です。それを補完するのが医療です。

  自分の生きる目的はその良さを最大限発揮することです。そのことができたとき、人は幸せな状態だといえるのです。

  「神は誰しも価値のない人間はお造りにならなかった」のです。これは金科玉条にしている言葉です。誰にも素晴らしい何かが備わっているからこそ、この世に生を受けているのです。その素晴らしいあなただけの価値を見つけるのが人生なのです。

  科学が発達し何でも診断し、病名がつく時代になってしまいました。分からない病気にも病名がついてしまいます。そうしないと、患者も不安になるのです。もっと、広く人間をとらえてください。世の中には分かること、分からないこと、グレーゾーンの三つがあります。

 分かることの中にも、限りなく分からないに近い分かるもあります。

  最終目的は人の幸せです。その観点からとらえてください。医者にかかり、病名がついて病気も治り、幸せになったならいいのですが、そうでなければ、何の為の診断かということになります。病名がついただけで落ち込んでしまいます。何の為の診断かわからなくなってしまいます。

  人間とは実に不思議な存在です。神から野獣までいるのです。精神世界は心の持ち方でいかようにもなります。だから、病気は病が半分、気が半分と表すのです。

  仏教は人の心の有り様を説きます。諸行無常からいっても、刹那、刹那、人の状態は一時も同じ時はないとされています。瞬時の診断ができれば別ですが、諸行無常変わっていっています。人間は一時も、同じ状態ではありません。むしろ、森羅万象がそうなのです。

  薬を飲み過ぎて薬に頼り、その薬の副作用でまた、病気になるなんてスパイラルに陥ったら大変です。不眠などは特に心の状態が関わっています。できるだけ、自分を内省し、原因を探る努力なしで薬に頼ったら致命的です。

 薬で直すのでなく、自然治癒力で治すのが正解です。自然治癒力を最大限引き出す努力こそまず、第一にすべきです。それでもなお、どうしてな直らないときに医療や薬のお世話になるのです。

 子どもが勉強ができないと、本人が原因を調べないで、すぐ、塾に行くというのも同じです。しっかりした子はまず、自分の勉強方法に原因を探ります。だめな子は、短絡的に塾にいきます。その差は生涯続いて行きます。どこかでこれに気づいていかないと、一生浮かばれません。できないのは、親や塾のせいになってしまいます。

  人間は生きる価値があるから、神様がこの世に生誕させたのです。それが、人間なのです。そして、強く心を持って自分の良さを発揮してください。

  仮に、現に発揮できなくとも一生かかって自分の良さを追い求めてください。それが、生きる事です。

  誰にも自分だけの自らの分け前があります。だから、自分なのです。人のまねをしないでください。そうして生きてゆくことが世のため人の為にもなるのです。めげないでください。

  人は毎朝生まれ変わり、その一瞬一瞬、細胞は入れ替わっているのです。いつも、新鮮な気持ちで生きて行きましょう。

  生きる目的は、手段としては自分の良さを最大限に発揮することですが、めざすところは幸せです。自分と世界の幸せの為に人は奉仕するように生まれて来たのです。

 

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morning glory 朝顔から想う

2016年08月25日 | エッセイ

震災6年8月25日



 


 昨日は夕立があったようで、地面が結構濡れていました。夕立というと、局所的に降ることが多く、ここは大雨だが、ちょっと向こうは全然なんていうこともよくあります。


 空の心は気ままなものです。


 そんな中で、確実朝になると、咲いてくれるのが朝顔です。子どもの頃はそれに、酢に浸した筆で絵をかいた思い出があります。それを教えてくれたのが兄でした。


日光にあたると、すぐ、しぼんでしまいますが、陰に置くと午前中は咲いてくれてます。環境を変えれば朝顔の命も変わってきます。すぐしぼむから美しいんですが…。


 朝顔の命は朝だけだと固定観念を持つ人もありますが、環境を変えれば半日以上咲くのです。固定観念はいけませんね。


 水は方円の器に従うという言葉も浮かんで参ります。水だけを変えようとしないで、器を変えれば水も変わるんですね。


 孟母三遷の教えもこのことからもよく分かります。自然のことわりには畏敬の念を抱かざるをえません。たかが朝顔されど朝顔です。


 朝顔はmorning gloryともいいます。 朝顔に今日もおはようを言ってきました。gloryというと、光栄、名誉、賞賛という事ですが、何か深い意味がありそうですね。


 


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挿し木で増やす!

2016年08月24日 | 我が家の庭

 震災6年8月24日



先日来、増えたサフィニアを挿し木していましたら、しっかり活着していましたので、上の鉢に植え替えました。植物と寄せ植えにしてみました。



 下のサフィニアが挿し木したものです。多分、もうしばらくすると増えて来ると思います。まだ、苗が新しいので、どんどん成長をしていくものと思います。半月後が楽しみです。



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Rio 400Mリレー銀から想う

2016年08月21日 | エッセイ

震災6年8月22日



 


 400Mリレー銀は素晴らしいものでした。感銘を受けたのは私だけではありません。体力に劣る日本人が勝てたのです。世界も驚いたことと思います。日本人の底力はすごいと思いました。


 強い自己肯定感を持ち、最後まで、どう対処したらメダルが取れるかと、考えたその結果です。世界への衝撃もすごいと思いました。


 多分、日本人が一番感銘を受けたメダルだったのではないかと思います。


 2020年に向けて新しい時代が始まったのです。素直に喜ぶべき慶事です。日本万歳!


 走力では勝てないが、どこにその活路があるかといえばバトンの受け渡しです。その練習を何度も何度も4人が協力してやれたからこそできたことなのでしょう。


 そのことから、最初からできないとあきらめるのでなく、最後まで希望を見つけ、それに向かって協力していくことの大切さをたくさんの国民が学んだのではないかと思います。感動はやはり天才から生まれるのでなく努力からだと思います。


 我々日本人に勇気と感激を与えてくれてありがとう。


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