仏教には、唯我独尊と言う言葉があります。天上天下唯我独尊ですね。最近は、本来の意味から離れて、自分が世界で一番えらいとうぬぼれていると言うふうに使います。
しかし、本来の仏教で言う唯我独尊というのはいろいろ考えていきますと、自分と言うものがあります。自らの分け前である自分、素晴らしい価値が備わっている自分、そういう中で、あなたは唯我独尊の存在だよ。誰にとっても変えることのできないあなただけの価値があるってことですね。
英語では、「天上天下唯我独尊」は「Above heaven and below heaven, I alone am the honored one」と訳されます3。この言葉は、英語圏でも有名な仏教の言葉として知られています。
我儘も同じで、他人に迷惑をかけても、お構いなしの様に最近、使っていますが、現役の頃、家庭訪問をして、聞かされた「わがまま」と、いう本来の言葉を聞いて感銘を受けた事がありました。その方は、保護者になりますが、Aちゃんのお母さんです。
彼女がこんな事をいいました。絵描きでしたが、我儘とは、わがままに行くことであって、何事にも邪魔されない自由な心の状態だよ、だから、素晴らしい絵が描けるんだよ。と、おっしゃいました。彼女と会うのは初めてでしたが、衝撃を受けた言葉でした。
そうか、そういう考えが根底にないと、よい絵は描けないのか、表現とは、創造とはそこから生まれて来るのかと、頭をガーンと打たれた様な感じでした。
今、想うと彼女の娘さんも目立ってはいませんでしたが、実に天真爛漫と言う感じで穢れも微塵にも感じられませんでした。まさに、この親にこの子ありです。とても素直な子でした。
仏教のお言葉を聴くにつけ、本来あるべき人の姿がありありと浮かんでくるではありませんか、なるほどと感心することばかりです。
どんな苦境にあっても、そこから逃げるのではなく、そこで受けた試練を克服することに心を注ぎ、いまいるその場所が、自分が咲くべき場所ですよと読者に言っています。そうです。どんな場所にいても自分の心を前向きのもつことこそ、AI万能の時代とはいえ人間だけに与えられた神様からの大きなギフトなのです。
その後、笑顔こぼれるシスターからは信じられませんが、生まれつき笑顔が少なかったそうです。アメリカ人の男性職員から、「渡辺さんは笑顔が素敵だよ」といわれたことから、笑顔が増えました。そうです。加速度がついてきたのです。前向きの加速度が…。
そして、ただチャームポイントとしての笑顔ではなく、他人への思いやりとしての笑顔、そしてさらには、自分自身の心の戦いとしての笑顔へと、笑顔の質が転換して行きました。
それは、ほほえむことのできない人への愛の笑顔であると同時に、相手の出方に左右されることなく、私の人生を笑顔で生きるという決意であり、主体性の表れとしての笑顔でした。