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健康増進法の無意味さについて

2007年09月24日 | たばこ弁護の諸説紹介
* たばこが「明るい生活へ」のキャッチコピーだった時代もあった!


◎ 今日(2003年5月2日)は法事があるので、お休みをいただいた。人はいつまでも生きてはいられない。その間、健康を維持することは社会的環境の整備と個人の自覚が必要だ。でも、社会や国があまりこまごまと「運動」を展開するのはいかがなものだろうか。

◎ ぼくは、そんな運動に多大なお金をかけるより、発泡酒(5月1日から)やたばこ(7月1日)に課税などしない方が、心の健康によほどいいと思うのだ。テレビのコメンテーターも、健康増進法については、口をそろえて「余計なおせっかい」と言っていた。まさに、同感である。(2003 05/02)

※ 健康増進法においては、2007年9月現在、全国的な禁煙政策を展開中であり、喫煙者にとっては大いなる迷惑になっている。そして、健康増進運動の目玉は「メタボリック症候群(糖尿病・高血圧・高脂血症)」の改善である。そうなると、将来的に喫煙率が目標どおりに減少してくれば、肥満の人々が世間の非難の標的になるかも知れない。ただ今のところ、「ぽっちゃり」は愛嬌のある憎めない人として、好意的に受け入れられているが、「限りある食糧を過剰に摂取し、病気にかかりやすく、国民の税金(医療費)を人よりもたくさん使う人物」として、ある種の差別を受ける可能性もあるのだ。私は、最近、肥満を改善しつつあるが喫煙者である。「肥満であるとともに喫煙者である」というだけで、世間から冷たい目で見られるのは断じて嫌だ。そんな心配もしたくなるほど、喫煙者に対する厚生労働省や地方自治体の「排除の論理」が、堂々と横行しているのは良くない傾向だと思う。(2007/09/24)
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たばこ屋をしている友人が言うことには…

2007年09月24日 | たばこの気持ち
◎ この3日間、たばこが売れに売れて、とても忙しかったそうである。日頃は余り売れない銘柄、たとえばマイルドセブン・ボックスの長いサイズなどは、完売してしまったそうである。一人で10カートンぐらいを買う人も多く、もうすぐ価格切り替えの時間をひかえ、お父さんが在庫チェックをしているそうだ。

◎ 僕はといえば、職場で公私混同で使っている1台のパソコンがウィルスに感染したらしく、6月末日の悪い記憶になってしまった。ウィルスを送りつけてくる人の悪意、とても嫌なものを感じる。僕は性善説なのだけれど、近日中にお金をかけてでも対策をとろうと思った。困るんだよー、本当に…。(2003 06/30)
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明日(2003年7月1日)から、たばこが値上げされる…

2007年09月24日 | たばこ弁護の諸説紹介
◎ いよいよ6月も終わりだ。そして、明日(2003年7月1日)からたばこが1本1円値上げされる。僕はささやかな自衛手段として、キャメルを50箱ほど購入しておいた。そんな消費者心理、さらにはこの際だから禁煙しようという人たちが多いと予測されるので、先行的に値上げされた発泡酒と同様、値上げした月の売上は激減することだろう。当初、政府の財源不足から議論された「たばこ増税」であったが、「健康増進法」なる法律によって、「たばこの消費を減らすために値上げしていく」という方向になってきたので、僕のような喫煙者にとってはどこまで持ちこたえられるのかを含め、困った世の中になったと思うのだ。

◎ ちなみに、松下幸之助さんは「一日一話」(PHP研究所編6月30日)の中で、次の「健康法はなくても…」という小論(要旨)を書いている。

---- 私は若い頃から病弱であったが、戦中戦後の無我夢中で働かざるを得ない時期を経て健康体になり、いまもまだ元気でいられる。健康法と言えるものは何もないといっていい私にとって、これは考えてみればまことにありがたいことだし、ほんとうに不思議なものだ。これまでの歩みを振り返ってみると、一つの仕事が成就すると、またすぐ次の仕事をと、たえず目標を持って努めてきた。いま静かに思うと、その繰り返しの中に張り合いがあり、そこにいわば死ぬに死ねないとでもいうか、一種の緊張感がみなぎっていた。そこに生きる張り合いを感じ、毎日を過ごしてきたように思う。----

◎ 僕は、「一つの仕事が成就すると、またすぐ次の仕事をと、たえず目標を持って努めてきた」ことに、健康問題の核心があると理解したのである。つまり、国や自治体がとりくむべきことは、国債や地方債を乱発し、赤字財政を続けながら、抜本的な改革を先延ばしている一方で、とりくみやすい「禁煙」を含めた「健康増進」などという副次的な政策に労力を費やすことではなく、老若男女が安定した仕事に従事でき、子どもたちが将来に向かって希望が持てるような社会を最優先に構想すべきなのだ。そうすれば、おのずから人々の身体や心は健康を取り戻す「良い循環」が出来てくるのである。それを忘れた「健康増進法」は、まさに本質を忘れた悪法と言わざるを得ない(「悪法もまた法なり」という真実もあるけれど…)。(2003 06/30)
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