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「『弱者』とはだれか」(小浜逸郎著、PHP新書)について

2007年09月16日 | たばこ弁護の諸説紹介
◎ 今朝(2001年7月5日)の新幹線車中で、「『弱者』とはだれか」(小浜逸郎著、PHP新書083)を読み終えた。その中で、「弱者の人権」を盾にとったもっともばかげた例の一つが「煙草訴訟」であると、最近では珍しくたばこが擁護されていた(95~96ページ)。

◎ さらに、「人は、パンのみにて生くるものにあらず、適度な喫煙がその人のストレス解消におおいに役立っているかもしれず、そんなことは客観的に証明できるはずがない」「煙草が有害だという自覚が喫煙欲求を上回るなら、自分で禁煙すればいいので、それができないからといって、煙草会社のせいにするというはどういう料簡であろうか」とも述べている。いまどき、公にこれだけ明言するには勇気がいる、と感心したのである。

◎ また、本書の194~195ページには、私の本業である労働組合についても次のような記述があり、自分の胸に手をあてて熟考してみれば、うなずけないこともない部分が多く、今後の参考になった。

----- 現在、社会的な課題としての『弱者』問題は、その対象をくっきりと特定することができず、多様な個の生活様態のなかに拡散している。これは、ちょうど『貧者』の声を代表する集団としての労働組合が、かつてのような統合性を維持できず、組合員の激減にみまわれ、闘争課題を一定の政治的な焦点にまで絞り込むことができなくなっているのと似ており、また事実、そうした事態と対応している。 -------

◎ 本書で、彼の著作を読むのは2冊目だが、従来とはひと味違った論証の仕方が新鮮であり、これまでの既成概念、とくに身近な問題とも関連のあることについて、わかりやすく再考させてくれた。(THU.5.JULY.2001)
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